平成30年川尻八幡宮例大祭・お旅所めぐり
                                                      例大祭 平成30年7月27日 
                                                       2018・8・31 作成

 万灯を持って若葉台の坂を上る子供たち(部分)
はじめに
 私事ですが、私はこれまで「日の出を観賞する会」だとか、神社の歴史について、思考を重ねてまいりました。今回に思うことは、何のために「まつり」があるのかを問うための、その原点とは何か、また、どこにあるのかを探したいと、その原点を求めての、その取材をして見ようと思い立ち神輿の前後を自転車で前後しながらついてまいりました。
 左の写真は、私が選んだ一枚です。この写真に私が悩んでいた「まつり」の原点を見つけたような気がしています。やや高台からの写真で、その時は気がつきませんでしたが二人で前を見ながら進んでいるあの姿です。
 神社の「まつり」には、とてつもなく大きな綱を編んでの「大つなひき」もあれば、諏訪大社で行われる七年に一度行われる柱を立てる「まつり」など、日常では考えられないほどの命がけの「まつり」もあります。川尻八幡宮の神輿は大変に重く、これを旧川尻村を一巡(渡御)するわけですから、なみたいていなことではおさまりません。
 何で先祖たちはそんなことを考え出したのか、どこかに眠っているものが「まつり」を通じ、何だか分からないうちに、とてつもないエネルギーとなって現れて来るのです。そして、「まつり」は非日常のことなのですが、生きて行くための大切なことを、誰一人、語らないまま教えてくれる一日でもあるように思えてくるのです。
 1000年後の時代は果してどのような時代になるかと考えて見るのも面白いと思う。多分気持ちは変わらないと思う。私はそんな風なことを考えながら神輿の前後を追いました。


                               朝日射す翁塚と神輿庫
















                    「一之鳥居」まで900メートも続く参道を万灯を持って進む原宿の子どもたち 川尻八幡宮の杜 ↑




 「一之鳥居」を南(右)に曲がり、津久井街道を通って八幡宮の原宿のお旅所(原宿堀公園)へ向います。





                                               原宿のお旅所




 原宿のお旅所から大山道(鮎釣街道)を「赤坂」を経由して向原のお旅所に向います。


  「赤坂」とは「相模原段丘・上段」と「田名原段丘・下段」の段丘面にかかる坂道の名前です。


  向原のお旅所




 向原のお旅所からの次は二手に別れ、圏央道に続く道を東に山野(さんや)のお旅所に向いました。


 大きな柿木の下のお旅所(山野)




          雌龍籠山↓ ↓雄龍籠山 
         広々とした畑が広がる向原、そこを時にダッシュして神輿が走る。        色とりどりのトマトが並んだ橋本工務店内のお旅所




 二基の神輿が再び合流、向原のお旅所から久保沢のお旅所へ向け向原の交差点を通過。  山王社の坂道を下る。


                   お神輿の前後を警備誘導の人々、安全を第一に久保沢のお旅所に向かいました。


 久保沢観音堂から見た子供たちの行列             


  谷ケ原のお旅所前、万灯(まんどう)には「五風十雨」、「楽しむ」、「仲間」、「友達」など沢山の文字を見つけました。
    五風十雨(ごふうじゅうう): 五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降るの意から、気候が穏やかで順調なことで、農作物によいとされる。また、転じて、世の中が平穏無事であること。






                     城山宝ヶ峯を背景に城山のお旅所へ向かう。







            城山のお旅所、子供たち専用のテントがご用意されしばしの休憩、お疲れさまでした。







   さあ、これから長い長い坂道のつづく若葉台のお旅所へ、万灯も力合わせて




                    若葉台のお旅所では金魚やヨーヨーのコーナーもありました。沢山の笑顔を見つけました。


 若葉台のお旅所、赤ちゃんを抱いたバアバから、「お宮参り」のお話もお聞きしました。赤ちゃんとの再びの「お顔合わせ」をと思いさがして見ましたが、
 その時は一番の奥に坐っておられました。

 
                          友情の絆(きずな)




 旧川尻村最高地点での渡御の風景。


 稲穂の実る川尻小学校の学校田を通過。そしてカタクリの里引継ぎのお旅所へ、一番の難所を越えました。




 巨大カボチャが実ったカタクリの里のお旅所、引継ぎに大勢の担ぎ手のみなさんが待っておられました。


カタクリの里から和田と小野地区に分れた神輿は再び小松のお旅所で合流しました。

 
小松のお旅所(現小松自治会館)は戦争中、横浜の浦島国民学校の皆さんが疎開したところです。近くには子供たちが避難できる大きな防空壕もありました。



 
                                                           城北地区のお旅所。


雄龍籠山に太陽の光が差し込んでいる。  中央のライブTV中継用のアンテナとディレクター たわわに実る稲穂に光。お旅所の近くに注連縄奉納のための耕作田



 
                                         奥に神輿の來るを待つ町屋自治会長と町屋お旅所


                                 神輿の動きに合わせ連打の音がひと際大きく響きわたりました。






 8月27日、17時57分か、ほんの少し雲に覆われましたが雌龍籠山に日が沈みました。19時30分頃より雨が降り始めましたが、渡御は休むことなく22時の「宮入」まで続けられました。ご本殿の前に集まった皆様のお顔は、清々しく神々しく、思わず手を合わせたくなる思いでした。事故もなく安全につつがなく「まつり」は終りました。
 多くの笑顔を写真に収めることができました。そして何よりも、力を合わせることの素晴らしさをあらためて直感した「まつり」でもありました。
 お疲れさまでした。 
プライバシー保護のため全体的に画質を落としました。写真は後世に伝えるための大切な歴史的資料としてご掲載をさせて戴きました。ありがとうございました。


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