明治天皇大嘗祭
明治天皇の大嘗祭は、
明治四年十一月十七日、皇城内※吹上山里の禁苑に於て行はせらる、
是より先、
同年三月二十五日、今冬東京に於て大嘗祭を行はせらるべき旨布告せられ、
四月八日、※大納言徳大寺實則を勅使として、
孝明天皇山稜及び皇太后に其の由を告げ給ひ、
※神祇伯中山忠能・※大辨防城俊政・※神祇少副福羽美静・
※神祇大祐門脇重綾をして其の事を掌らしめ給ふ。
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明治天皇大嘗祭
※吹上山里の禁苑(きんえん):皇居の庭。
※大納言徳大寺實則(とくだいじ さねつね):公卿・官僚。宮内卿、内大臣、明治天皇の侍従長等を務めた。
※神祇伯中山忠能(なかやま ただやす):公家、政治家。和宮の江戸下向に随行、岩倉具視らと協力して王政復古の大号令を実現させる。明治政府の議定。
※大辨防城俊政ぼうじょう としただ)幕末の公家。明治4年式部頭。以後、宮中の祭祀、典礼を司る。
※神祇少副福羽美静(ふくば びせい)、元津和野藩士、国学者、歌人、明治2年明治天皇の侍講、同年大学御用掛、3年神祇大福、5年に教部大輔となる。神祇制度確立に尽力
※神祇大祐門脇重綾(かどわき しげあや):日御崎神社の神官門脇重郷の子として生まれる。元鳥取藩士、国学者。 |
甲斐國を悠紀に定せらる
次いで、五月二十三日、國郡※卜定あり、
※甲斐国巨摩郡を以て※悠紀とし、
※安房國長狹郡を以て※主基と定めらる、
越えて九月九日、悠紀方※抜穂使として
※大掌典※白川資訓を※甲斐國巨摩郡上石田村に發遣し、
十二日、※抜穂の式を行はせらる。
次いで同月二十三日、更に同大掌典を主基方抜穂使として
※安房國長狹郡小町村に發遣し、
二十六日、抜穂の式を行はせらる。
十月十四日、明日※班幣に付き、宮中に於て※幣物天覧の儀あり、
翌十五日、神祇省に於て神宮以下の※班幣の式を行はせらる。
次いで正二位※三條西季知を勅使として發遣せられ、
同二十七日、※皇大神宮並豊受宮に※由奉幣、
翌二十八日、更に両宮の※大奉幣あり、
十一月二日、神祇省神殿に神祇大輔福羽美静、
※皇霊に神祇少輔※門脇重綾、
同三日※賀茂の両社に
同四日※男山八幡に神祇少丞澤簡徳、
同三日、※氷川神社に神祇少輔門脇重綾を勅使として參向奉幣せしめ、
自餘の官幣大社廿六社・官幣中社六社・國幣中社四十五社・
國幣小社十七社には、幣到るの日地方官をして奉幣せしめられたり。
同十五日、宮地鎮祭・神門祭・悠紀主基両殿祭を行はせられ、
又宮中にて節折及び大祓の式を行はせらる。
是の日左の諭告あり、且本日より十八日に至る迄、
重輕服の者は参朝を憚(はばか)り失火を戒め、
焚鐘一切停止の旨、布告ありたり。 |
甲斐國を悠紀に定せらる
※卜定(ぼくじょう):吉凶をうらない定めること。ぼくてい
※悠紀/※主基
大嘗祭(だいじようさい)における祭儀に関する名称。〈ゆき〉は斎忌,由基,〈すき〉は次,須伎などとも記す。悠紀国,主基国の斎田の新穀が,それぞれ大嘗宮の東の悠紀殿,西の主基殿で神饌に供された。悠紀・主基の国郡は卜定によって選ぶのが原則で特定されていなかったが,平安中期以降は悠紀は近江国,主基は丹波国と備中国が交互に選ばれ,郡のみが卜定された。明治の登極令では京都の以東以南に悠紀,以西以北に主基の斎田を勅定する定めとなった。
※抜穂使(ぬきほのつかい):大嘗祭(だいじょうさい)の行われる年の8月下旬、抜穂のために悠紀(ゆき)・主基(すき)の両国に巡遣された勅使。ぬきほし。
※大掌典:掌典職(しょうてんしょく)は、日本の皇室において宮中祭祀を担当する部門である。宮中三殿においてその職務を行う。
※白川資訓(しらかわ すけのり):幕末の公家、明治期の華族。子爵。
※班幣(へいはく):神道の祭祀において神に奉献する、神饌以外のものの総称。広義には神饌をも含む。みてぐら、幣物(へいもつ)とも言う。
※正二位三條西季知(さんじょうにし すえとも):公卿・歌人。七卿落ちの一人
※皇大神宮並豊受宮:伊勢神宮内宮外宮
※由奉幣(よしのほうべい):天皇の即位・大嘗祭・元服の儀の日程を伊勢神宮などに報告するための臨時の奉幣。
※大奉幣(だいほうへい):>大嘗祭あたり、伊勢神宮以下、京畿七道の神社に奉る幣帛(へいはく)
※賀茂の両社
※男山八幡:石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の旧称、京都府八幡市にある神社。
澤簡徳(さわ かんとく):幕末の旗本、明治期の内務官僚、裁判官、政治家。外国奉行、福岡県権令、若松県令、貴族院勅選議員。旧名・蔵六
※氷川神社:さいたま市大宮武蔵一之宮
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大嘗祭諭告
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大嘗會之儀は天孫瓊々杵尊降臨の時天祖天照大神詔して豊葦原瑞穂國は吾御子のお所知(シラサム)國と封じ玉ひ及齋庭(ユニハ)の穂を授け玉ひしより天孫日向高千穂宮に天降りましまし始て其稲穂を播(ホドコシ)て新穀を聞食す是れ大嘗新嘗の起源也是より御歴代年々の新嘗祭あり殊に御即位繼體の初に於て大嘗の大儀を行ひ玉ふことは新帝更に斯國を所知食(シロシメ)し天祖の封を受玉ふ所以の御大禮にして國家第一重事たり其儀本月卯日※宸儀恭(うやうやし)く天祖天神地祗を饗祀ましまし辰日高御座に御して新穀の饗饌を聞食し即酒饌を百官群臣に賜ふ是を豊明節會と云ふ夫穀は天祖の授與し玉ふ所生霊億兆の命を保つ所のものにして天皇斯生民を※鞠育し以て其恩頼を報じ天職を奉じ玉ふこと斯の如し然則此大嘗會に於けるや天下萬民謹で御趣旨を奉戴し當日人民休業各其地方産土神を参拝し天祖の徳澤を仰ぎ隆盛の洪福を祝せずんばあるべからざるなり。 |
十七日、大嘗祭當日に付き、
太政大臣三条實朝・参議西郷隆盛・同大隈重信・
同板垣正形・文部卿大木喬任・宮内卿徳大寺實則・
副議長江藤新平・神祇大輔福羽美静・外務大輔寺島宗則・
大蔵大輔井上馨・兵部大輔山県有朋・司法大輔宍戸□・
侍従長河瀬眞孝・式部頭坊城俊政・神祇少輔門脇重綾・
員外中山忠能を従へて大嘗宮に行幸御親祭を行はせらる。
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大嘗祭諭告
宸儀(しんぎ):天子のからだ。また、天子自身。
鞠育(きくいく):養い育てること。養育。
三条實朝(略)/西郷隆盛(略)/大隈重信(略)/板垣正形(まさかた):板垣退助
※大木喬任(おおき たかとう)元佐賀藩士、新政府が樹立されると、大隈・副島・江藤らとともに出仕、徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などを務める。江戸を東京とすること(東京奠都)に尽力。民部卿、文部卿として学制を制定。
※徳大寺實則(略)
※江藤新平(えとう しんぺい):元佐賀藩士、「維新の十傑」、「佐賀の七賢人」の一人に挙げられる。
※寺島宗則(てらしま むねのり):日本の電気通信の父と呼ばれる。第4代外務卿として活躍。
※井上馨(略)/山県有朋(略)
※宍戸:(ししど たまき)元長州藩士、明治4年11月に司法大輔。明治5年文部大輔。
※河瀬眞孝(かわせ まさたか):元長州藩士、慶応3年トーマス・ブレーク・グラバーの協力の下イギリスに渡り明治4年、帰国後工部少輔、侍従長に就任するも、明治6年(1873年)にイタリア、オーストリアに赴任。
※坊城俊政(略)
※中山忠能(略) |
御親祭の儀
当日平旦宮殿の※御装飾を、
午後一時※舗設を奉仕し、
同四時※神座を奉安し、
次いで※忌火の御燈を點し、忌火の※庭燎を焼く、
午後六時天皇※廻立殿に出御あらせられ、
※御湯殿の事あり、
※帛の御衣を御祭服に改めさせられ、
先づ※悠紀殿に※渡御、※御親祭の儀あり、
終て※廻立殿に還御、
次に皇后の御拝禮あり、
夜半更に※主基殿にて御親祭あり、其儀悠紀殿に同じ、
両殿に於て奏せる※國風歌四種、左の如し。
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御親祭の儀
※御親祭(ごしんさい)天皇が自ら神をまつり、御告げ文を奉上する祭儀。元始祭等。
※御装飾:調査中
※舗設:調査中
※神座(しんざ):神霊の座する場所。
※奉安(ほうあん):尊いものをつつしんで安置すること。
※火(いみび):「清浄な火」のこと。火鑽(ひき)りで熾し、神への供物の煮炊きなどの神事に用いる
※庭燎(にわび)祭場で焚く篝火。「ていりょう」ともいう。神を招くとともに、照明の役。
※廻立殿(かいりゅうでん):天皇が湯あみをし、装束を改める殿舎。ここでまず沐浴(もくよく)して祭衣に着替え、悠紀殿(ゆきでん)に行幸して神事ののち、ここに還り、さらに沐浴と更衣をして主基殿(すきでん)へ行幸する。
※御湯殿(略)/※帛(きぬ)の御衣(略)/※御祭服(略)/
※悠紀殿(略)/※主基殿(略)
※國風歌(くにぶり):調査中
参考:稲舂歌(いねつきうた):大嘗会(だいじょうえ)に神前に供える稲をつく時にうたう歌。多く悠紀(ゆき)、主基(すき)の地名をよみ入れた。いなつきうた。 |
國風歌
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悠紀國名所
白嶺 巨摩郡 作者 神祇大輔 ※福羽美静 君が代の光りにいとく顯れて甲斐の白嶺のかひはありけり。
青柳 同郡 作者 宣教權中博士 ※八田知紀 大御代の風にしたかふ民草の姿を見するあをやきのさと。
主基國名所
長狭川 長狭郡 作者 神祇少輔 ※門脇重綾 岩間行く水のみとりも長狭川いさよふ瀬々の末深むらむ。
蓬島 同郡 作者 神祇大録 ※飯田年平 名細しさ蓬が島は君が代の長狭縣のかみやつくりし。
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國風歌
※八田知紀(はったとものり):元鹿児島藩士・歌人。維新後は宮内省に出仕して歌道御用掛。
※飯田年平(いいだ としひら):因幡国鳥取藩国学方、国学者。維新後史官、次いで神祗大史。その後、神祇大録・式部大属兼中掌典・神宮神嘗祭奉幣使。
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豊明節會
翌十八日、※豊明節會を行はられ、
神祇大輔福羽美静、※天神壽詞を奏し、太政大臣三条實美、宣命を宣し、
奏任官以上に※饗饌を賜ひ、
十九日も亦同節會を行はせられ太政大臣宣命を宣し、
※麝香間祗候及非役華族に饗饌を賜ひ、
各省判任及地方官其の他外人等にも其省廳に於て饗宴を賜へり。
大嘗祭御當日即ち十七日には※皇霊殿に於て御祭典を行はせられ、
勅使として神祇少丞※戸田忠至を差遣せられ、
當日及び十八日の両日、陸海軍は※櫻操練塲及び
※神奈川臺塲に於て祝砲を放ち、
天下大小の神社は、
齋しく祝祭を擧行し、
國民擧(こぞ)りて共に與に※寶祚の※無窮を祝し奉れり。 |
豊明節會
※豊明節會(とよのあかりのせちえ):「とよ」は美称、「あかり」は酒を飲んで顔の赤らむことをいい,宴会。
※天神壽詞(あまつかみのよごと):中臣氏によって奏上された寿ぎ詞(ほぎごと)。「中臣寿詞」とも。
参考 「祝詞正訓 : 付・天神寿詞」 発行 明治9年2月 pid/815976
※饗饌(きょうせん):もてなしのための膳。ごちそうの膳。
※麝香間祗候(じゃこうのましこう):明治維新の功労者である華族または親任官の地位にあった官吏を優遇するため、明治時代の初めに置かれた資格。職制・俸給等はない名誉職。
※皇霊殿(こうれいでん):宮中三殿の一。賢所(かしこどころ)の西にあり、皇霊を祭る。
※戸田 忠至(とだ ただゆき):下野宇都宮藩の重臣、後に下野高徳藩の初代藩主。江戸幕府若年寄・山陵奉行。
※櫻操練塲:。築地に創立開設された海軍操練所か明治3年、海軍兵学寮に改称。
(調査要)
※寶祚(ほうそ):天子の位。皇位。
※無窮(むきゅう):果てしないこと。また、そのさま。無限。永遠。
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