旧津久井郡吉野村に疎開した画家、佐藤敬の生涯(年譜)  
2019・8・2  作成 (satoukei.html)
2020・6・6 「はじめに」の項の下から7段目に「けれど」を追加する。

はじめに
 作曲家古関裕而が「ユネスコの歌」を作曲している。私はこの歌を高校生の頃、随分と歌ったことがある。「世界中の人たちが手に手をとって」と、始まる歌である。平和の尊さを説いた歌だ。
 戦争末期、都会に住む多くの子どもたちが親元を離れ疎開したことを聞いている。私の姉たちは、そのことを今でもよく知っている。私は戦後生まれなので、姉たちから疎開の話をよく聞いてはいたが、「戦争に行った」と云うようなことは、もう直接本人たちから聞けない。歳月と云うか、当時のことは、もう書物や映像に頼るしかないのである。
 ことの良し悪しは別にして、小説家や写真家そして画家たちも戦地に赴いて、命がけで戦況を伝えたのである。その記録の一部が戦争画である。そして、全容は知らないが、多くの画家たちが旧津久井郡吉野村(相模原市緑区)に疎開していたのである。
 ユネスコは世界や文化遺産のことばかりではない。壊れそうになりそうな「平和の砦」を手に手をとって築き続けよと説いているのです。吉野には、あの有名な藤田嗣治もいたが、私はなんとなく佐藤敬に魅力を感じ、その生涯を少し訪ねることにしました。 
特に、丹羽文雄著「怒りの街」について
 丹羽文雄著「怒りの街」は、昭和24年4月から9月にかけ北海道新聞と西日本新聞に連載されていました。また、その翌年の5月には、宇野重吉主演による映画化もされました。単行本となって八雲書店から発売されたのは、昭和24年11月からでした。
 早速、この単行本を手に、装丁者は佐藤敬に違いないと思いながら頁を開いたのですが、どこにも記載はありませんでした。また、「まえがき」とか「あとがき」もなく、小説は書き綴られていました。
 カットは、表紙と扉部分にある二枚があるのみで左は扉の部分です。椅子に坐り足を水面に浸している情景です。
 けれど、水面の右側にイニシャル(サイン)がありましたが「敬・kei」とか「佐藤・sato」のようには読み取れませんでした。
 その後、画ペンの使い方が、同じ頃に描かれた昭和24年発売「婦人公論 2月号」と類似していたのが分かり、またサインも同じであったことから「怒りの街」の挿絵を画いたのは佐藤敬と断定できそうですが如何でしょう。他の作品等の再検討も必要と思われます。分からないことが少しだけ分かり、ホッとしました。今も未だ分からないことが多いのですが、画家たちが津久井郡の吉野と云うところに住んだ、束の間の「マチス道り」だとか「ピカソ道り」とか呼んだ、その「通り」は、一体どこにあるのだろうと、そして今も、その道があるとしたら、さぞかし楽しいことかと思いを寄せています。
佐藤敬の生涯                                             
西暦 和年号 年令 出来事
1906 明治39 10月28日(戸籍上で実際は10月8日) 、佐藤敬が大分県大分郡で生まれる。父通、母祥子。
1907 40 1
1908 41 2
1909 42 3
1910 43 4
1911 44 5
1912 大正元年 6
1913 2 7 4月13日、島崎藤村が神戸発フランス船、エルネスト・シモン号にてフランスに渡り、マルセイユ、リオンを経てパリに入る。
1914 3 8
1915 4 9
1916 5 10 〇この頃から絵を描くことに興味を示す。
1917 6 11 11月17日、ロダンなくなる。(77歳)
1918 7 12
1919 8 13 3月、佐藤敬が 別府北尋常高等小学校卒業。
4月、佐藤敬が 旧制大分県立大分中学校入学。図画教師山下鉄之輔に指導を受ける。
12月6日、木村荘八が洛陽社から「少年藝術史ニール河の艸」を刊行する。
  
pid/961536 閲覧可能  注 扉は艸  はしがき・奥付は草
最終章「四、現代」より (全文)
 
自然の神秘を探る藝術の天才は、いつも世界の何所かにゐて、人間の智恵を代表してゐてくれないと人類は不幸です。戦争ばかりが世界の大仕事ではらり切れない。ロダンは實に彫刻家のレムブラント、親愛なる現代藝術の父でした。今な猶(なお)その喪に服するしめやかな時代だ。/然し、フランスにはロマン・ローランがあり、ベルギーにはメーテルリンク、それからヴェルハーレンと云ふ詩人もゐて、独逸に踏みにじられた祖國の可哀想な民に就ていろいろ心配をし、親切に世話をしてゐたのですが、矢張り大正六年にその仕事の道で誤って汽車にひかれて、亡くなられた。之等の人々は文藝の上に働くし、ロシアにはゴルキーが同じく文藝の正直に立って仕事してゐる。印度にはタゴールと云ふ静かに考へてゐる詩人がゐる筈だし、ロダンのお弟子やその感化を直接に受けた彫刻家達は、フランスで健全に今も仕事してゐることと思ひます。然し新聞で見ると、フランスでは三十三人も若い美術家が戦争に出て死んだ想だし、ロシアでは又國の状態が治まらぬ不安の爲に、藝術どころでなく、去年はレビンと云ふ老畫家が餓死したと云ふ報道を見ました。之れからと云ふところで弾丸の的になってもたまらないし、故郷が亂れて落付かぬのも情けない。日本は離れてゐて、そんなとり返しのつかぬ飛ばっちりはみんなの上に来なくて幸(しあはせ)でしたが、それにしても、日本も之れからはうか(く)してゐられぬ、大切(だいじ)な時です。兵隊や軍艦などいくら増へても仕方がない。精心次第で世にも面白い楽しみな時代です。それでは之れで筆をおきます。皆さん御機嫌よう。    (一九一八年春。稿。/一九一九年夏。再讀)
掲載されている「さしゑ」の一覧表
大項目 中項目 さしゑ
No
小項目
聖母子    チマブエ (チマブーエ Cimabue)
古代の部 エヂプト(エジプト) 上、有史以前の浮彫 
下、初期王朝時代の浮彫
チェオプスの大金字塔
上、ピラミッドとスフィンクス  
下、金字塔遠望
ラ・ヘシーの木彫板
ギリシャ 古代の少女立像
上、パルテノン(西部正面) 
下、パルテノンよりの展望
ポムペイの壁畫 ポンペイ イタリア語: Pompei
古代の壺繪模様
10 クニドスのデメター  クニドスのデメテル
ローマ 11 メロス島のヴィーナス
12 皇帝アウグスッス アウグストゥス(Augustus)
13 上、皇帝コンスタンテインの凱旋門 
下、圓形劇塲
中世之部 モザイク 14 ラヴァンナのサント・アポリナレ・インクラッセ寺院奥殿にあるもの
ロマネスク 15 上、ピサの城壁と寺院  
下、ピサの洗禮堂、本寺及び斜塔
ゴチック 16 ランス、アミアン本寺の内陣
17 フランス、ルアンの聖オーエン會堂
ギベルテイ 18 フローレンス、洗禮道の扉
ドナロテとヴェロツキオ 19 上、ガッタメラータの騎馬像 
下、コレオニの騎馬像
ヂオット 20 今年に説教する聖フランチエス
フラ・アンジェリコ 21 天國に入るもの(最後の審判の一部)
ボッテイチェリ 22 上、聖アウガスラインの幻想 
下、聖聖アウガスラインの死
フーベルト・ファン・アイク 23
マンテニア 24 東方聖者の尊敬
ミケルアンジェロ 25 モーゼ
レオナルド 26 きいちごの寫生圖
チントレットー 27 素畫(ティントレットー作)
近代の部 プーサン Nicolas Poussin 28 四季の環
エル・グレコ 29 グレコの家族
デューラー 30 メランコリア
ゴヤ 31 母と四人の娘
ブレーク 32 天帝
ヤン・ファン・アイク 33 小説家の肖像
ルーベンス 34 ヘレネ・フールマン立像
レムブラント 35 ヘントリック・ストッフエルの肖像
ヴァン・ゴオホ van Gogh 36 アウベルの役塲  オヴェールの町役場
近世の部 ドラクロア ドラクロワ 37 フアウスト ファウスト
プルペー 38 波にもまれる三艘の舟
ミレー 39 右、グレーユの村はづれ グリューシュの村はずれ
左、家の後庭に立てるミレー
(寫眞)
ドーミエー 40 三等列車(ドーミエー作)
シャヴァンヌ 41 秋(シャヴァンヌ作)
アンリ・ルソー 42 或る河岸(ルーソー作)
セザンヌ 43 風景(セダンヌ作)
ロダン 44 クレマンソー胸像(ロダン作)
 私が最初にエジプトに関心を持ったのは中学の一年生か二年生の頃だったと思います。その頃画家の木村荘八が少年向けの美術史「ナイル川の艸」という本を書いていますが、偶然手に入れたこの本が私をひどく啓発した。ナイル河の河岸にはパピルスという草が密生しています。パピルスは日本の蘆のような草で幹の中に髄があり、この繊維を織って紙のようなものを作ります。(略・パピルスで)今日この国の古代の歴史が解明されてきました。そんなことをこの「ナイル河の艸」で知り、子供ながらエジプトが私の憧憬と夢になりました。私は昭和五年初めてこの地を訪れ、そのはさらに深められたのです。 
                 
 「遙かなる時間の抽象 P10」より
1920 9 14
1921 10 15 〇山下鉄之輔の影響により、油彩を描くようになる。
1922 11 16 〇父に美術学校志望を打ち明けるが、強く反対され、法律家になるようにすすめられる。この年は留年する。のち美術学校に進むことを許可される。
1923 12 17
1924 13 18
1925 14 19 3月、佐藤敬が大分県立大分中学校を卒業。上京し、川端画学校洋画部で石膏デッサンを学ぶ。
〇この夏、山下鉄之輔と耶麻渓(大分県下毛郡)に写生に行き、宇佐市から国東半島を廻って、はじめて富貴寺を訪ねる。※「遥かなる時間の抽象」より確認要→確認済 2019・9・30 保坂
始めて富貴寺訪ねたのは、中学を卒業した年(一九二四)の夏でした。山下鉄之輔さんと耶馬渓に写生に行き、青の洞門附近を三枚ばかり画いて、宇佐から国東半島を廻った。今からおよそ五十年前の事です。富貴寺は村道かあら石段を少々登った、こんもりした森の中に端麗な姿を見せていました。油蝉の鳴き声が、ひときは高く木々の青葉をふるわせているだけで、あたりは静まりかえって人ひとりいません。道々この寺の美しさは聞いていましたが、堂が思ったより小さいのが意外でした。然しよく見るとこの四面高縁式阿弥陀堂は、その構造と均衝の美しさ、反り屋根の曲線が四方から中心の擬宝珠に結集うされた流線の豊かさ、高足式床柱と方形堂部の優美な調和に陶然として見とれるのでした。そこへ下から中年の僧侶が上って来ました。 「遥かなる時間の抽象 P88」より
1926 昭和元年 20 4月、東京美術学校西洋画科本科に入学。
1927 2 21
1928 3 22 〇この年、「前衛 創刊号/前衛芸術家同盟」が刊行され、落合三郎(本名:佐々木孝丸が「山嶽党」を発表、挿絵を佐藤敬が画く。また同号に橋本英吉が「棺と赤旗」を発表する。
〇この年、佐藤敬が「ベラスケス模写」の作品を画く。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より 
1929 4 23 1月、板垣鷹穂が「フランスの近代画 (学芸叢書 ; 第4)岩波書店」を刊行する。 pid/1175110
目次 / 一 フランス繪畫の特質に就いて /
二 フランス繪畫の先驅者 /
三 古典主義 /
四 ロマンティック /
五 理想畫と裝飾畫 /
六 一八三〇年代の風景畫 /
七 寫實主義と平民主義 /
八 印象派と其前後 /
九 セザンヌ及び其以後 /
十 手近な參考書に就いて /
10月、第10回帝展に「若き男の像」が初入選する。
10月、「新興芸術. (1)(1)」が創刊される。pid/1510208
    航空機の形態美に就いて / 板垣鷹穗 パシフィック二三一號 / 吉川靜雄
11月、板垣鷹穗が「新興芸術. (2) 」に「ヴェルトフの映畫論」を発表する。pid/1510209
     編輯 / 板垣鷹穗 ; 岩崎昶 ; 坂倉準三 ; 吉川靜雄 ; 吉田謙吉
1930 5 24 1月、 藤島亥治カが「新興芸術. (4) 」に「國際建築批判」を発表する。pid/1510210
    夢の王族 / 瀧口修造  編輯/ 板垣鷹穗 ; 岩崎昶 ; 坂倉準三 ; 吉川靜雄 ; 吉田謙吉
3月、吉川靜雄が「新興芸術. (5/6)」に「ピカソ藝術」を発表する。心意表象の繪畫 / 川路柳虹  pid/1510211
5月20日、板垣鷹穂が「天人社」から「新しき藝術の獲得」を刊行、堀野正雄、永田一脩、佐藤敬の三氏が装幀を行う。 同書の序文に3名の記述があり 確認済 2019.11.4 保坂
/(略・末尾の部分)この一年間に、私は、各方面の方々の厚い御厚意に恵まれてゐた。私の仕事を促勵して下さった方々。好意ある批評を下さった方々、考察に必要な材料を呈供して下さった方々、見學に便宜を與へて下さった方々ー等に就いての限りない追憶は、深い感謝の心持と共に、私の心から離れる時がない。その數多い芳名を此處に揚げる失體を避けて、今は唯だ、謹んで謝意を表するに止めたい。本書の装幀に就いては、堀野正雄、永田一脩、佐藤敬、三氏の勞を煩はした。此處に更めてその御厚意を感謝する。      一九三〇年春  上落合にて 著者しるす
  
 ※佐藤敬作品のどちらかについては記述がないため不明    

参考 永田一脩の装幀
5月、佐藤敬が「新興芸術 7・8合併号 4月・5月合併号 芸文書院」に「現代美術の対角線的傾向」を発表する。
6月、板垣鷹穂が「天人社」から「美術史の根本問題 1923-1930」を刊行、佐藤敬がその装幀を行う。 pid/1259493 所蔵:早稲田大学/板垣鷹穂文庫
 
 美術史の根本問題
  
今後の研究のテーマ 2019・7・18 保坂   早稲田大学図書館:板垣鷹穂文庫
「日本の古本屋」からの書影に依ると、デザインの類似性が予見されるので装幀者の確認が必要。
10月、佐藤敬が第11回帝展に「本を持てる少女」を出品、入選する。
10月25日、佐藤敬が日本郵船の諏訪丸で門司港からフランスへ出発する。
11月、はじめリュ・ド・ヴァンブ(Rue de Vanves)34番地に住み、やがてリュ・アルマン・モアザン(Rue Armand Moisant)6番地のアトリエに転居する。
1931 6 25 3月、東京美術学校西洋画科本科を卒業。サロン・ドートンヌに「首巻をせる婦人」が入選。
10月、佐藤敬が第12回帝展「窓際」を出品する。
〇この年、佐藤敬が「ドンキ・ホーテ」を製作する。   H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
〇この年、佐藤敬が「新興芸術研究. 第1輯 刀江書院」に 「プロレタリア美術の新らしき形態」を発表する。 pid/1259000
  また、同号に千葉龜雄が「日本のプロレタリア文學」を、板垣鷹穗が「現代藝術考察者の手記 」を発表する
1932 7 26 2月、板垣鷹穂が「東京六文館」から「藝術界の基調と時潮」を刊行、堀口捨巳が装幀を行う。 イター021
〇この年、佐藤敬がサロン・ドートンヌに「泉」、「猫と女」を出品する。
   注  「遙かなる時間の抽象 略歴」では1931年になっている。 再検討要 2019・10・3 保坂
10月、佐藤敬が第13回帝展に「レ・クルン(道化者)」を出品、特選となる。
〇この年、佐藤敬が「Notre Dame du Paris」を製作する。
      H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1933 8 27 10月、佐藤敬が第14回帝展に「ル・ルツール(帰途)」を出品する。
〇この頃、リュ・フランソア・ギベール(Rue Francois Guibert)のアトリエに転居。
1934 9 28 10月、佐藤敬が第15回帝展に「西班牙婦人(スペイン婦人)」を出品する。
〇この年の終わり、白山丸でマルセイユより帰国の途に着く。
(別府の両親のいる家から)やがて上京して、本牧海岸にしばらく住み、翌年は鶴見の高台の貸家に落ちつきました。昭和十一年のことです。 「遙かなる時間の抽象 P212」より
1935 10 29 3月、東京府美術館開館10周年記念現代総合美術展に「レ・クルン(道化者)」を出品する。
6月16日、木下郁夫妻の媒酌で、佐藤美子と結婚式をあげる。
6月、佐藤敬が滞欧作品展に「レ・クルン」「ルクサンブルグの噴水」「道化役者」他を出品する。
7月、帝展改組にともない第二部会の設立に参加する。
7月、佐藤敬が『アトリエ 12巻7号 特集:帝院改組問題批判號』に「帝展改組問題に就いて」を発表する。
/山本鼎「帝展廻り舞台」/外狩素心庵「帝展改組八つ当り」/横川毅一郎「帝展改組をめぐる諸現象の文化的研究」/森口多里「帝国美術院改組に関連して」/佐波甫「帝院改組と復古主義の前進」/岡田三郎助、他「会員の立場から」/黒田重太郎「新『帝院』か『帝展』か」/鈴木千久馬「帝展改組問題に際して」/伊原宇三郎「大事な事一つ」/高村眞夫「帝展改組の考察」/内田巌「現実性なき帝展改組/向井潤吉「改組か壊組か」/林武「帝展改組私見」/佐藤敬「帝展改組問題に就いて」/「帝院改組是非」/長谷川如是閑ほか「帝院改組問題批判座談会」
10月、佐藤敬が第二部会展に「海辺裸婦」を出品、文化賞を受賞、新会員に推挙される。
〇この年、「 デッサン社」から「佐藤敬画集 滞欧作品第一輯」を刊行する。
1936 11 30 1月、佐藤敬が日本水彩画会展に出品する。
2月、2・26事件が起こる。
4月、第二部会新進作家17人によるミニオン展覧会に出品する。
7月、佐藤敬が猪熊弦一郎、伊勢正義、脇田和、中西利雄、内田巌、小磯良平、三田康、鈴木誠と新制作派協会を創立する。
11月、佐藤敬が新制
作派協会第1回展に「独唱」「制作」を出品する。
〇この年、横浜市鶴見区に住む。
(略)二月の終わりに近い雪の日に、東京で反乱軍の蜂起があり、不安で騒然とした日々を迎えます。あわててラジオを買ったのを、よく覚えていますが、日本の運命の行えについては、未だ何も解りません。しばらくして私は結婚し、佐藤美子とこの家に住み、彼女も多忙の活動、私も滞欧作品の個展の準備をしていました。
  注 住まいとの関係が不明瞭なため再調査要   「遙かなる時間の抽象 P213」より
〇この年、「新制作派協会」が 猪熊源一郎編「新制作派 第1号」を創刊する。
表紙は佐藤敬、藤島武二、荒城季夫、富永惣一、猪熊源一郎、脇田和、小磯良平、中西利雄、小磯良平、伊勢正義、鈴木誠等執筆、  モノクロ20図版 注 佐藤敬の執筆の有無は未確認 5400円 遊学文庫
1937 12 31 5月5日、「アトリエ社」から佐藤敬編「ピカソ素描集 アトリエ臨時増刊」が刊行される。
  表紙/佐藤敬  ピカソの素描 ワルドマール・ジョルジュ、佐藤敬訳  後書/佐藤敬
   
 ピカソ素描集 発行 S12年5月 
冒頭の部分
 
ピカソは数百年間の描写方法(モード)に対し断然首を横に振り、自分といふものをはっきり示した芸術家である。ピカソは一個の探検家であり、探究者である。
 ピカソのスタイルの幾多の変化を通じて、人々は彼の作品に一貫した法則を発見する。一寸見ると、ピカソの作品は、それが独創的であるために、常軌を逸した個人の怪奇なエクスプレションのやうに見える。従って、彼の審美的な又は叙情的な力量は、現代の大多数の作品の研究に適合する狭少な観点に立つことを禁じられる。故にピカソを敢て爼上にのせる批評家は、忽ちヂレンマに陥る外はない。若し批評家がピカソの仕事を述
べ、之を解説する程度に留めるにしても、ピカソの仕事の明かな特色をすべて分析するにしても、或はまた、ピカソの作品の意義及び造形的価値を摘出するにしても、果してピカソの演じた史的役割を明確になし得るであらうか。反対に、ピカソのなした革新の意義を決定し、或は幾何学的スタイルを正常に評価し、或は、古典的な、又は地中海的な象形芸術を東洋に源を持つ象徴的芸術に対立せしめんと試みるならば、ピカソの絵画の特徴を見失ひ、彼の作品を学者の頭脳から出た理論的傾向乃至は教科書的原則やうのものにしてしまふであらう。(略) ワルドマール・ジョルジュ、佐藤敬訳より
作品名 作品名 作品名
女の顔(オーフオル) 19 筆をひらふ畫家 37 海邊裸婦
辻藝人達(オーフオル) 20 踊子(ジンク・モノタイプ) 38 角力(クレイヨン)
辻藝人の家族(ドライ・ポイント) 21 線の入った背景による裸婦(ジンク・モノタイプ) 39 裸婦と動物のエスキース(オーフオール)
沐浴(ドライ・ポイント) 22 人物(リト・グラフイツク) 40 製作する畫家とモデル(オーフオール)
アルルカン 23 左方に向いてゐる人物(木版) 41 畫家とモデル
コワフイユーズ(クレイヨン) 24 憩ふ裸婦(ドライ・ポイント) 42 戀人達を押すヴェルチュムン(ドライ・ポイント)
コワフイユーズ(油繪) 25 ヴェールをかぶる女(オーフオール) 43 老いたるミイロン(オーフオール)
踊子達 26 花の冠をかぶれる女 44 赦されるポリーゼ(オーフオール)
ドランの肖像 27 花の冠を持つ女(オーフオール) 45 四季(オーフオール)
10 楽譜を持つ二人 28 花の冠をかぶれる女(オーフオール) 46 人體の男女の顔(オーフオール)
11 コワフイユーズ 29 化粧室(リト・クレイオン) 47 彫刻家とその作品(オーフオール)
12 アルヽカン 30 騎士と女達 48 横顔(オー・フオール)
13 ポルトレー 31 闘牛(オーフオール) 49 三つの顔(オー・フオール)
14 二人(ドライ・ポイント) 32 三人の裸婦と顔のエスキース 50 四人の裸婦
15 ポルトレー 33 闘牛(オーフオール) 51 鏡を見る婦人
16 競争(オーフオール) 34 フアエトンの落馬(オーフオール) 52 瀕死の馬(オー・フオール)
17 プロフィール(リト・グラフイ) 35 畫家とモデル(オーフオール) 53 立像と二人の彫刻家
18 案内(リト・クレイオン) 36 家と作品(オーフオール) 54 母子
後書(全文)
 現代美術の新しい発見は、極度の主観化と、表現の意識的構成の抽象化へ進みつゝあるかの如く思はれる。そしてこの傾向ーーー抽象繪畫(peinture:パンチュール・アブストレ)は、本来の繪畫上の主張、純粹主義(ピューリズム)との深い関聯を持ちつゝ、我々の其れを浴すると否とに関はらず二十世紀後半の藝術上の現實的な問題となり終へてしまった。ピカソは云ふまでもなく誰れよりもこの問題に就いて身を以つて闘った畫家である。と同時に彼程厳密な現實的な関心を持って、それを敢行した畫家は少ないと云はなくてはならない。これはピカソのデッサン力、或はデッサンに對する彼の思考が明に物語ってゐる。彼のデッサンは藝術史上稀に見るレアリストとして我々に君臨してゐる。色、型、に對する敏感なる直観、同時に表現意慾は、更に其の表現の技術的可能を必要とする。これは繪畫上のあたりまへの問題に過ぎない。がその獲得された、可成り高い「表現の技術的可能」は、更に色、型に對する美的直観に拍車をかけないであらうか?ピカソの「新しい繪畫」への出發はたしかにそこに「必然的過程」をもってゐる。云ひかへれば彼は身をもって現實の種々さまざまな秘密を知ってゐると同時に、勇敢にそれをふみにじり、更に新しい現實の創造に解剖のメスを進めるのである。こう云ふ意味で、デッサン力は現實の繪畫的解剖の鋭利なるメスである。我國に於いても近来、この新しい繪畫傾向が熱心に取りあげられ、執拗に研究されてゐる時この「鋭利なるメス」への新しい関心が更に高められる事が興望されて居る。このデッサン集は、私自身のそう云ふ意味で集められた寫眞を中心に、私の持ってゐるプランを、アトリエ社によって具體されたものである。そしてこの擧はアトリエ社が現畫壇から充分むくひられていゝ仕事であると信じる。たゞ困難である仕事であると思われたのは未發表のデッサンをあつめると云ふ事であった。これは單なる「ジャーナリズムの價値」以上に、たしかに意義ある事だと云へる。出来るだけの用意をもってなしたとは云へ我國に出版されてゐる全部には、我々の目のとゞかない所もある。或は一二枚はそう云ふ意で氣のつかないデッサンがあるかも知れないけれど、それは此のデッサン集に何等の價値を減ずるものではないと信じる。又デッサンと對比上二三枚の油繪も入れられてゐる。これは特に同じモチーヴを取扱かった油繪とデッサンの比較研究に役立たせる目的からである。原色版の「ピエロ」も素描力が最も感知され得る作品として、挿入したのである。又二色版のグラビュールはルシャンバレーのカタログより取ったものである。論文として入れられたワルドマール・ジョジの文章は一九二六年巴里から出版された彼の「ピカソデッサン集」の序説によるものである。このデッサン集は可成り廣く日本に入ってゐる関係上特にテキストの必要のため挿入した四五枚のデッサン(テキストの文章に入られてゐるもの)をのぞいては一枚もこんどのデッサン集中には入れなかった。テキストの方は、特別に新しい解釋は得られないまでも、これ程ピカソのデッサンに就いて、單的にも然も合理的に説明したものは少ないだらうと思ふ。この翻譯に當って、僕の最も信ョする美術評論家佐波甫氏の共力を得た。謹んで感謝すると同時に、氏の将来の發展を祈ってやまない。また未發表のデッサン蒐集に関しては、特に藤島先生の御好意に預かった事を深く感謝し、合せて友人諸氏の御助力に謹んで感謝するものである。
    
 一九三六年五月 於鶴見 佐藤敬
12月、佐藤敬が新制作派協会第2回展に「水の姿勢」「裸婦」を出品する。
〇この年、「アトリヱ社」から「現代洋画大全集 第13巻」が刊行され、「紫のコステユム・佐藤敬 /フランスの小學校・藤田嗣治 」等が所収される。  pid/1015581
〇この年、「アトリヱ社」からアトリヱ社編「現代素描全集」が刊行され、「大島の女・藤田嗣治/釡無川の對岸・倉田三郎/裸婦・猪熊弦一カ / 老人の裸體・中村不折 /大島の女・藤田嗣治 / 婦人・伊勢正義 /裸体・佐藤敬/ 放牧二馬・坂本繁二郎」等が所収される。  pid/8311972
〇この頃、佐藤敬が「亜土」を製作する。H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1938 13 32 11月、佐藤敬が新制作派協会第2回展に「人物」「雪」「月」を出品する。
〇この年、石川達三が「新潮社」から「結婚の生態」を刊行、佐藤敬が装幀を施す。
1939 14 33 1月、「文藝 7(1);新年號  改造社」が刊行され、佐藤敬が「女と猫p332〜p333」を発表する。また、同号に飯田蛇笏も「山都新春 p285〜285」を発表する。 pid/10988077
5月、佐藤敬が新制作派協会満3年結成記念展(三昧堂)に「人物」を出品する。
6月、佐藤敬が「アトリエ社」から「西洋美術文庫第13巻 ドガ」を刊行する。 pid/1263086
11月、佐藤敬が新制作派協会第4回展に「椅子に寄る人物」「水災に就いて」「人物」を出品する。
〇この年、「アトリヱ社」からアトリヱ社編 「原色版現代洋画家選 第1」が刊行され、佐藤敬が「月」を発表する。  pid/1685035
〇この年、佐藤敬が新制作派協会春季展に「少女半身」を出品する。 

      
 注 同派の満3年結成記念展は同じか未確認   H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
参考:〇この年、北原 武夫が吉屋信子および藤田嗣治の媒酌により宇野千代と結婚する。
1940 15 34 4月、佐藤敬近作展に「座せる裸婦」「黒い帽子」等を出品する。
7月、佐藤敬がアトリヱ社編「アトリエ 第17巻第8号」に内容未確認を発表する。
   
 真珠論/サルヴアドル・ダリ 欧羅巴をよぎって/ギィヨオム・アポリネエル 民族の祭典/太田三郎
     恩地孝四郎、土方定一 三枝博音 江川和彦 植村鷹千代他

9月、佐藤敬が新制作派協会第5回展に「暁」を出品する。
10月、佐藤敬が紀元二千六百年奉祝美術展に「三人の家族」を出品する。
  
   
11月10日、紀元二千六百年記念式典が皇居前で挙行される。
〇この年、窪川稲子が「新潮社」から「素足の娘 30版」を刊行、佐藤敬が装幀を施す。
  兵庫県相生市が小説の舞台で初版の1万部から、またたく間に7万部が売れて、当時のベストセラーとなりました。
   
  素足の娘 30版
 発行 昭和15年
  
装幀者未確認のため調査要 2019・7・18 保坂 「日本の古本屋」からの書影より
1941 16 35 5月、中支派遣軍報道部の報道班員として猪熊弦一郎とともに従軍、3ヶ月後帰国する。
7月、伊藤整が「文藝. 9(7);7月號」に「石坂洋次カ(流行作家論)」を発表する。
7月、雄弁 32(7);7月特大號 」に「一つの庭」を発表する。pid/11006952
   また、同号に
松前重義が東亞共榮圈の科學的性格」を発表する。
9月、佐藤敬が新制作派協会第6回展に「安陸戦趾」「安陸前戦」「黄色い鳥」「難民区にて」を出品する。
9月、佐藤敬が「現地報告 9(9)(48)文芸春秋社」に「中支第一線を描」を発表する。pid/11004640
10月、佐藤敬が陸軍省・海軍省編「
秋季大祭記念 靖國の繪巻 陸軍美術協会」に「陸鷲巫山爆撃」を掲載する。また同絵巻に藤田嗣治が「巴爾巴河畔の戦闘」と「海鷲長駆成都を急襲」を掲載する。
10月、石坂洋次カが「文藝. 9(10);10月號」に「熊の皮に坐りて」を発表する。
12月1日、
佐藤敬が文藝 9(12);12月號  改造社 」に「(扉繪)難民區にて」を発表する。
  また、同号に三木Cと高坂正顯が「民族の哲學 /對談」と題して対談を行う。pid/10988112

12月8日、日本軍、ハワイ真珠湾攻撃、マレー半島上陸、対米英宣戦布告。

〇この年、佐藤敬が「玄武湖にて」、「漢口にて」、「中国風景 
同名が3枚あり」を製作する。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
〇この年、佐藤敬が新制作派協会春季展に「南京光華門」を出品する。
H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1942 17 36 1月、(参考)「文藝. 10(1);新年號」が刊行される。
目次/ /(扉繪)植ゑる人/海老原喜之助 / (歌)開戰/齋藤茂吉 /(詩)彼等を撃つ/高村光太カ / (詩)われら斷じて戰ふ/草野心平 / 戰ひの意志(文化人宣言)/中村研一 ; 齋藤瀏 ; 本田顯彰 ; 龜井勝一カ ; 張赫宙 ; 水原秋櫻子 ; 淺野晃 ; 保田與重カ ; 上田廣 ; 小磯良平 ; 富澤有爲男 ; 石川達三 ; C水幾太カ ; 津村秀夫 ; 野間仁根 ; 丸山 ; 火野葦平 ; 中河與一 ; 崔承喜 ; 齋藤史 ; 秋山謙藏 ; 島木健作 ; 伊藤武雄 ; 編輯者協會 /所感/正宗白鳥 /時代への決意/平貞藏 /雜感/武者小路實篤 / 愛國子供隊/李貞來 /思想解放の戰爭/ディートリッヒ / 文化戰爭 座談會/加田哲二 ; 中島健藏 ; 大串兎代夫 ; 津久井龍雄 /讀書遍歴i /三木C /名作研究「ガリヴァ旅行記」/中野好夫 /カラマアゾフの兄弟/小林秀雄 /新春短篇集/ / 瀧澤馬琴/林芙美子 / 仲間/深田久彌 / 善良な人達/窪川稻子 /その前夜/寺崎浩 /北海/福田C人 / 眼鏡の小母さん/眞杉靜枝 /父の記憶/伊藤整 /落下傘/ / 編輯後記/ /
2月、(参考)兪鎭午 ; 張赫宙が「文藝. 10(2);2月號」で「對談 朝鮮文學の將來」と題して対談が行われる。また、同号に岡本潤が「生活詩 」を発表する。
3月、藤田嗣治が「文藝. 10(3);3月號」に「佛印の風俗(繪・文)を発表する。
pid/10988115
シンガポール陷落に際して/志賀直哉 /シンガポール陷落に際して/谷崎潤一カ / 重慶の同窓へ/草野心平 /中村地平樣/眞杉靜枝
4月、佐藤敬が陸軍省・海軍省編「春季大祭記念 靖國の繪巻 陸軍美術協会」に「比島バランガの激戦」を掲載する。また同絵巻に藤田嗣治が「口絵 「陸鷲・テンガー飛行場低空猛爆」、猪熊弦一郎が「英東亜侵略の拠点 香港攻略」を掲載する。
4月18日、米陸軍機B25による日本本土発空襲(川崎、横須賀、横浜、名古屋、大阪、神戸
4月末、佐藤敬が海軍の飛行艇でフィリピンに向う。セブを経てミンダナオ島、一週間後にマニラに到着。
(略)私にはマニラの海岸道りにある、三部屋続きの新しいアパートが提供されました。(略・住居や待遇)こう住居や待遇の事を書いたのは、陸軍の報道班員、記録画制作画家と比べて、余りにその処遇が違いすぎるからです。当時比島の陸軍報道班員には大勢の文士画家がいましたが、接収されたヴェビュー・ホテルの各室にすし詰めで、食事も酒保も段違いに悪く、煙草や酒類の入手に大変困難のようでした。私は頻繁に酒や煙草を陸軍報道斑友人にはこんだし、車も再三用立てました。この徴用された各氏は、三木清、尾崎士郎、今日出海、石坂洋次郎、画家の向井潤吉、記録画の猪熊弦一郎さんと、何の基準もないバラバラの動員で三木さんや石坂さんにどんな戦争協力を期待したのか。これは比島のみでなく、シンガポールの中島健蔵、井伏鱒二、ビルマの高見順の諸氏も同様、その選択の基準が全く解らないものでした。私はこれらの陸軍側の人々とも親しくつき合いましたが、特に三木さんと親しくなったのです。これは三木さんと陸軍報道班員の間に、今さんの「三木清に於ける人間の研究」という文章で解るように、何か気まずい空気があったようです。私の方は海軍で陸軍側とは何の関係もない立場で、アパートも広いし酒も食料も豊富で、毎日のように三木さんは訪ねて来ました。何をするでもなし、ぼんやり酒を飲むか昼寝をして行くかです。時には三木さんの仕事であったマッカーサーによって設立された比島の東洋文庫を調査する読書の日々、面白い本について話してくれた事もありました。戦地を引き揚げ三木さんが、人文地理誌「比島」と云う本を書く事になって、その挿絵を多数たのまれ共著にしようと云う話がありましたが、その後の三木さんの運命がああいう事になり、ここの本は未完でおわりました。一方画家としては猪熊弦一郎さんと、毎日一緒に過ごしていたことは云うまでもありません。(略)
「比島」は「比島風土記」のことで(記憶違い)と思われます。 保坂 「遥かなる時間の抽象」 p238〜240より
5月7日、日本軍コレヒドール島占拠・珊瑚海海戦。
6月5日、空母「赤城」が- ミッドウェー海戦で大破炎上する。
(参考 9月25日 - 除籍)
6月、(参考)「文藝. 10(6);6月號」に豐島與志雄が「臺彎の姿態」を発表する。
瀧澤馬琴/林芙美子  眞珠/坂口安吾   /萩原朔太カ先生/保田與重カ
7月、(参考)東條英機が「文藝. 10(7);7月號」に「日本文學の使命」を発表する。
日本文學報國會の結成(文藝手帖)/ / 與謝野晶子女史/日夏耿之介
7月、大下正男編「新美術 第11号春鳥會」に〇〇を発表する。内容未確認
   戦争画の矛盾/福澤一郎、.福澤一郎.赤城泰舒.石川菊壽.向井潤吉.佐藤 敬.小糸源太郎 
    土方定一.曽宮一念.岡鹿之助他
  りら書店 神奈川県相模原市中央区淵野辺 700円
8月、佐藤敬が「旅 19(8) 日本旅行倶楽部,新潮社 p35〜35」に「絵と文 或る漁村にて」を発表する。また同号に田村剛が「自然愛護と國土崇敬 p2〜3 」を発表する。pid/7887473
8月、(参考)文藝. 10(8);8月號」に「翼賛會文化部長の更迭(文藝手帖)」を発表する。
富山の藥賣/伊藤永之介 /
8月7日、米軍、ガダルカナル島上陸。
9月、佐藤敬が新制作派協会第7回展に「南方飛行」「コレビドール戦跡A」他を出品する。
10月、(参考)「文藝. 10(10);10月號」が刊行される。   
座談會 東亞文藝復興/豐島與志雄 ; 片岡鐵兵 ; 谷川徹三 ; 搏c渉 /文化戰線にて/今日出海 /艦上日記/丹羽文雄
10月26日、ガダルカナルの攻防をめぐり南太平洋海戦。
11月、(参考)文藝. 10(11);11月號」が刊行される。
(扉繪)收穫/猪熊弦一郎  西田先生夏日C談/天野貞祐  景ヘの研究/正宗白鳥  芭蕉と現代/中村草田男
12月、(参考)文藝. 10(12);12月號」が刊行される。
大東亞文學者會議の人々  北原白秋先生/木俣修
12月31日、大本営、ガダルカナル島撤退を決定する。
〇この年、海軍の命により、フィリピン、クラークフィールドの海軍爆撃機の攻撃を記録画として制作するよう依頼される。
〇この年、佐藤敬が「クラークフィールド攻撃」を発表する。
〇この年、佐藤敬が「雨季来る(マニラ)」を製作する。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
〇この年、森本俊夫が「擬装 限定250部」を刊行する。 逗子八郎/序 佐藤敬/画
1943 18 37 1月、藤田嗣治が「新美術 18号 ゴヤ特集」に「(原色)12月8日の真珠湾」を発表する。
   
(原色)浴室の女(藤島武二)、ゴヤの作品(須田国太郎)、藤島武二論(藤森順三)
1月、 猪木卓爾編「旬刊 美術新報 第47号 ボチチェルリ特集号 日本美術新報社」に佐藤敬が「比島の生活」 を発表する。
    ビルマ人の協力/伊原宇三郎 比島の住民/猪熊弦一郎 

佐藤敬画 「比島の生活」より
  
猪熊弦一郎画 「比島の住民」より
3月、「画論 第19号 ジョット 造形藝術社」に佐藤敬が「画家の集団と環境」を発表する。
4月、佐藤敬が陸軍省・海軍省編「春季大祭記念 靖國の繪巻 陸軍美術協会」に「帝国海軍・太西洋に出撃活躍」を掲載する。
4月3日、佐藤敬が「新美術 21号」に「中村研一さん」を発表する。
5月、佐藤敬が新制作派協会会員春季展に「少年航空兵」出品する。

6月、「旅 20(6) 日本旅行倶楽部,新潮社,」が刊行、 佐藤敬 が「南の印象(繪と文) キャビィテの水上家屋」を発表する。 pid/7887483
   また、同号に飯田蛇笏 が「
翼賛地方だより 甲斐の山峽に婦人會の繩綯ひ」を発表する。
9月、藤田嗣治が陸軍美術協会主催「国民総力決戦美術展 東京都美術館」に「アッツ島玉砕」を出品する。
9月、新制作派協会第8回展に「火の玉」「沐浴」「白い衣」「焔」「蝉の羽(バリンタワック)」「印度少女」を出品する。
9月、「画論 第25号 造形芸術社」に「新美術建設の理念と技術――座談會 / 佐藤敬 ; 岡鹿之助 ; 嘉門安雄」 が掲載される、また同号に藤田嗣治が表紙と「素描 兵士習作 (8頁)」を画く。pid/1536771
12月15日、三木清編集代表「比島風土記」が小山書店から刊行される。pid/1044205
  
  「比島風土記」(表紙)
  三木清編集代表
三木清著「比島人の東洋的性格」の冒頭部分
 昨年十二月中旬、マニラを發って歸ってくる直ぐ前のことである。我々報道班員の數人は某将軍から送別の意味で招待にあづかった。その席上将軍は、自分は永らく支那にゐたが、フィリッピンに来て、初めはフィリッピン人が嫌でならなかった、ところが今では彼等が可愛くなって、彼等のために力を入れてやりたい氣持でゐる。と述懐された。将軍が最初フィリッピン人を嫌に思はれたのは、彼等の輕薄なアメリカかぶれが目についたからであらう。やがて将軍が彼等を可愛く思はれるやうになったのは、それにも拘らず彼等がもろもろの東洋的性格を持ってゐることを發見されたためであらう。この将軍の述懐は、フィリッピン人の性格のうちに東洋的なものを見出して興味を感じ、それについていくらか調べたり書いたりしてゐた私ーー次に揚げるのはその文章であるーーには、特に感銘の
深いものであった。現地に行く前私はフィリッピン人は全くアメリカ化されてゐるやうに聞いてゐたのであるが、その土地に入って違った印象を得たのである。アメリカ人の書いた物がフィリッピンのアメリカ化を誇大に述べてゐるのは自然であらう。或るアメリカの学者は、昔のスペインの宣教師たちは自分の功績を示すためにフィリッピンのカトリック教化について誇張して傳へてゐると批評してゐるが、我々は同じやうな傾向をアメリカ人の書物において認めることができる。(略)
 「比島風土記」の中に掲載されていたカット(全)

 
 比島人の東洋的性格・三木清



 
  比島の文化・火野葦平

 
  舊教と混血兒・今日出海
 
 
 マニラの藝能文化・澤村勉


 
 マニラの藝能文化・澤村勉



 
 フィリッピンの出版文化・柴田賢次郎

 
 比島の自然・安田貞雄




 
  戰場雜觀・尾崎士郎

 
  比島土産話・石坂洋次郎


 
 忘れ得ぬ人・上田廣
 
 
 
比島人の東洋的性格(サイン拡大)
 
 
 
忘れ得ぬ人・上田廣(サイン拡大)
目次 /比島人の東洋的性格・三木清 /
比島の文化・火野葦平 /
舊教と混血兒・今日出海 /
マニラの藝能文化・澤村勉 /
比島の自然・安田貞雄 /
戰場雜觀・尾崎士郎 /
比島土産話・石坂洋次郎 /
忘れ得ぬ人・上田廣 /

12月、佐藤敬が朝日新聞社主催「第二回大東亜戦争美術展 東京都美術館」に「ニューギニア戦線−密林の死闘」を出品する。
  主な出品者:北蓮蔵、小堀安雄、中村研一、小早川篤四郎、三輪晃勢、藤本東一郎、勝田哲、加藤栄三
  宮本三郎、佐藤敬、新井勝利、大久保作次郎、山口華揚、藤田嗣治、三田康、清水良雄、森谷譲太郎他

 
  ニューギニア戦線−密林の死闘 182.0×259.5 
       
 所蔵:東京国立近代美術館(米国より無期限貸与)
(略)その次のいやな思い出は今度も鶴見暑を通じて、神奈川県外事課より、妻美子の母がフランス人であったため、要視察人となり、刑事が毎日やって来ることになりました。其の後少しづつ監視はゆるやかになったが、これはたまらなく不愉快な事でした。戦況は益々不利になり、南の島づたいのアメリカの反攻は次第に戦果を上げていました。次の年ガダルカナルにアメリカ軍が上陸し、我方は陰惨な戦いに全滅する。今度は海軍陸戦隊のニューギニアの密林に於ける、安田大佐の玉砕を主題とした作画を命じられましたがニューギニアへの渡航用意をせよと云うだけで、画家が行けるような状態ではありませんでした。渡航は中止され、海軍
大本営にある戦闘詳報によって、描くと云う事になったのです。然し状況は払暁を期し、敵陣地へ突入玉砕したという事しか解らず、これは「密林の死闘」図として描く事にしました。この最後の突入は凄惨な自滅であったはずですが、日本兵の死体は描いてはならぬという命令があり、玉砕という事実をどう描けばいいのか。これでは死の美学が成り立ちません。この作品は上野の戦争美術展の陳列の日、少し問題を起こしました。一応各室に作品を配置した所で、私が小磯良平、猪熊弦一郎其の他の諸氏と一緒にいた所へ、宮本三郎さんがやって来て今下の室で軍関係の人で下見の結果を話しているが、佐藤さんの作品が少々反戦的だと云うので問題を起こしています。私と藤田さんがそばにいて、何とか説明して来た所です」と云う。私は意識して反戦的なものを描こうとした訳ではないし、この時局下それが可能な訳でもない。然し戦争の悲惨な実態は表現されなくてはならないと考えていました。知らず知らずそうした情念が作品に現われたのか。そこへあがって来た藤田嗣治さんに訊ねたのです。「どう云う事です」藤田さんは「突撃している部隊長の表情が暗く絶望的で、これでは戦意高揚とならないと云うんだよ、でもね、まあ何とか納得させました。」私はこれに複雑な思いをしたが、今これ以上書きたくない。戦争の意識も其の結果も、絶望的な混迷した感情が、作品の上に現れてもこれはしかたがないと思う。 「遥かなる時間の抽象 P244・245 」より
〇この年、大日本海洋美術協会編「海軍美術 大東亜戦争」が刊行される。
     1 十二月八日の眞珠灣 海軍派遣畫家 藤田嗣治作 /
     9 クラークフイールド攻撃 仝 佐藤敬作 /
:(他は省略)
昭和17年刊行の「海軍美術」の続篇として刊行されたもの、海軍省後援 カラー貼り込み35図版 ほとんどが真珠湾以降の海軍の作戦記録画
掲載画家名:藤田嗣治・中村研一・川端實・御厨純一・江崎孝坪・奥瀬英三・有岡一郎・矢澤弦月・佐藤敬・三國久作・石川滋彦・三輪晁勢・藤本東一良・松坂康・小早川篤四郎・高橋亮・小林清榮・田邊穰・石川重信・村上松次郎・古嶋松之助・松添健・小林清榮・石井柏亭作・久保田金僊。三上知治・古城江觀・松見吉彦
〇この年、佐藤敬が第8回新制作派協会展に「印度少女」を出品する。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
〇この年、森本俊夫が「入道雲と駈けっこする 画〔佐藤敬〕」を刊行する。
1944 19 38 1月、佐藤 敬が「美術 7(6)」に「口絵・原色版 雷撃」を発表する。
  また、同号に小野具定が「第二ブーゲンビル島沖航空戦」、吉岡堅二が「陸軍作戦記録画草稿」。中川一政が「かさご」等を発表する。(海洋美術展出陳作品)
 
注 中川一政の「かさご」昭和26年第28回春陽会展にも同名の作品が出品されているようなので確認要が必要 2019・7・23 保坂
3月、佐藤敬が「週刊毎日 昭和19年三月十二日号 毎日新聞社」の表紙絵を画く。
4月、佐藤敬が陸軍省・海軍省編「
春季大祭記念 靖國の繪巻 陸軍美術協会」に「陸軍船舶兵払暁の奇襲上陸」を出品する。
  また同絵巻の扉絵を藤田嗣治が「神域の春」と題し、また猪熊弦一郎も「陸鷲暁の出撃」を発表する。

6月30日。大都市の学童集団疎開が決定される。
7月7日、サイパン島の日本軍が全滅「玉砕」する。
7月、佐藤敬が「美術 6号 日本美術出版」に「(原色)〇〇」を発表する。 内容未確認
    大東亜建設と日本美術(秋山謙蔵)
10月、佐藤敬が陸軍省・海軍省編「秋季大祭記念 靖國の繪巻 陸軍美術協会」に「ビルマ作戦 我が航空部隊の敢闘」を掲載する。また同絵巻に藤田嗣治が「サイパンの忠烈に応へよ」を掲載する。
11月24日、B29東京初空襲。
〇この年、佐藤敬が新制作派協会春季展に「眞弓」を出品する。
        
H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
〇この年、神奈川県津久井郡吉野村に疎開する。
 本土空襲は必至となりました。防空壕作りと疎開が奨励され、私も庭の一隅に待避壕をつくりました。或る日藤田嗣治さんが遊びに来て、この防空壕を見て「これでは助からないよ。私は神奈川県の藤野に疎開する事にした。君達も是非疎開をすすめる。一度家さがしに藤野においでなさい」と云うのです。私も疎開の必要は解っていました。其の後中央線の藤野に藤田さんを訪ねました。この辺一帯は甲州街道にそい、桂川の渓谷を見下ろす美しい風光の地です。然し山と谷の狭い耕地の小さい村落は、食糧事情が余りよくないようです。この村に部屋や家を見つけるのは困難で、与瀬の方に二キロばかり帰った所に、吉野と云う村があり、そこなら部屋が見つかるかも知れないと云う。私は街道にそって吉野村を見に行きました。其の後紹介してくれる人があって、この村では相当大きな農家の山本健蔵さんの二階と下の八疊を借り、終戦まで疎開生活をする事になりました。全く新しい未知の生活が始まります。当時長男は八才、下の娘が満一才でやっと歩く年頃でした。其の後私のすすめで猪熊弦一郎さんが、家主の親戚にあたる人の家に疎開して来ました。続いて脇田和、中西利雄、伊藤正義、荻須高徳の新制作派の仲間がこの付近の部落に集まり、まるで新制作派村が出来た感じになりました。混雑する中央線に乗って上京し、何かと所用を果していましたが、東京・横浜の空襲激化で仕事の連絡も絶えがちになりました。村の生活は闇の食糧さがしと、せっせと魚釣りにはげむ日々でした。疎開してしばらくすると、相模湖のダム建設が始まり、この人造湖に旧桂川のアユ漁の補償に多くのコイ、フナ、ワカサギを放魚したのです。これは結構蛋白性の補給になりました。「遥かなる時間の抽象」 p248〜249より
1945 20 39 3月1日、硫黄島の日本軍が全滅する。
3月10日、B29、東京を夜間大空襲、この頃より空襲が激化される。
3月、藤田嗣治が疎開先の吉野で「サイパン島同胞臣節を全うす」を描く。
181.0×362.0p 1945年陸軍美術展に出品。   所蔵:東京国立近代美術館(無期限貸与作品) 
4月1日、米軍、沖縄島に上陸、6月21日占領される。
4月11日〜、上野の都美術館に於て「陸軍美術展覧会」が開かれ、アサヒグラフに載せられた作品も出品される。(他の作品については不明 確認要 2019・7・21 保坂)
月25日、朝日新聞社編 「アサヒグラフ」44巻16号 敵の暴爆を弾き返す 勝機を握る沖縄決戦・新鋭戦闘機"雷電"・大東亜戦争記録画 」が刊行され、藤田嗣治・鈴木誠・佐藤敬・伊原宇三郎・吉岡竪二・蓮尾辰雄が「大東亜戦争記録画」を画く。
 
 アサヒグラフ 昭和20年4月25日号
参考資料:表紙の右下の部分に記された文章(全文)
 沖縄決戦に皇軍は全軍特攻隊となって凄壮な戰ひをつゞけてゐる。撃って、撃って、撃ちまくるのだ。息のつゞく者が勝ち抜くのだ。補給だ、補給だ。今はこれあるのみ寫眞は神酒を受け、沖縄の決戦場へ出撃する特攻隊員

大東亜戰争作戰記録畫」(部分の全文)
 皇國をこぞり大みいくさに勇戰敢闘するとき、大東亜戰争作戰記録畫を一堂に集めて、陸軍美術天覧會が、陸軍美術協會並に本社主催で、四月十一日から上野の都美術館で開催された。戰局危急を告げるとき、展覧會を開催出來るのも、戰ふ日本の余裕を示すものであらう。また、この戰時下に、これほどの作品が完成されたことも、わが畫壇の不屈の闘志を物語って嬉しい。
 天皇、皇后陛下にはこの健氣なる赤子のうへに驚き思召を垂れさせ給ひ、宮中豊明殿ならびに千種ノ間にて、親しく天覧並に
台覧あらせられた。光榮に浴した記録畫は、陸軍の委嘱による日本畫三、油彩二十の合計二十三点であった。
國家の興亡を賭した決戰下、しかも展覧されてゐる繪は、すべてこれ皇軍の勇戰奮闘、至誠盡忠の眞の姿を傳へる不朽のものばかりだ。なかでも藤田嗣治畫伯の「サイパン島同胞忠節を全うす」の前など「勝たねばならぬ、サイパンの同胞はかくの如くして忠節を全うしたのだ」と人々は悲憤の涙を止め得ないでゐた。
     台覧(だいらん):皇族など高貴な人が見ること。
     悲憤(ひふん):悲しみ、いきどおること。
  大東亜戰争作戰記録畫
 
           
ガダルカナル島の残存勇士敵魚雷艇を奪取奮戦す   佐藤敬

  
          
サイパン島同胞臣節を全うす     藤田嗣治

 
  
高千穂降下部隊レイテ敵飛行場を攻撃す  吉岡竪二     皇土防衛の軍民防空陣  鈴木誠

  
   
   特攻隊内地基地を進發す  伊原宇三郎        壕の内  蓮尾辰雄
8月2日、八王子大空襲。
  (午前0時ごろ、米軍機は伊豆半島から丹沢山を経て八王子に侵入、B-29爆撃機169機が来襲した。)
 昭和二十年になると東京は次第に瓦礫の街と化し、この田舎にも艦上機が来襲する。その銀白色に輝くB29の編隊が、毎日のように上空に姿を現わすのにも慣れて来ます。もう迎戦する我が方の戦闘機がなく、ただ高射砲が白い煙をうちあげるのみです。八王子周辺が爆撃された夜、私は子供連れで背後の丘にのがれながら見ると、夜空に照明弾を投下し、一面銀色の空間が闇の中に拡がっり、照明灯につかまったB29の巨体がゆうゆううと飛んでいました。めずらしく高射砲が命中し、機は火を吹いて落下しました。  「遙かなる時間の抽象 P249」より
〇この頃の様子。
(略)いよいよ暗く絶望的な戦争が終わり、私は疎開先から戦災をまぬがれた鶴見の我が家へ帰ってきたのですが、東京の食料事情は日々最悪の時期を迎えていました。子供達を戦災にもあわず食料も豊富な、別府の母に、しばらく見てもらう事にしました。長男の亜土は野口小学校に転入します。私も子供にひかれてと云うよりも、食べ物にひかれてすっかり落ち着いてしまいます。(戦後朝日新聞に連載小説が復活し、石坂洋次郎さんの「青い山脈」の挿絵を引き受け上京するまで、焼跡のない別府の生活は、戦争の苦労を全く忘れさせてくれました。)    「遙かなる時間の抽象 P90」より
1946 21 40 2月、佐藤敬が「婦人画報 41巻2号(通巻498号) 特輯・アメリカ女性生活号」の表紙を画く。また、同誌のカットや挿絵を恩地孝四郎、佐野繁次郎が画く。
8月、佐藤敬が福井文雄編「週刊朝日 49巻5号」に「
〇〇」を発表する。
 
内容未確認 2019・7・22 保坂
9月、佐藤敬が「新制作派協会第10回展」に「草上」「読書」「肖像A」「肖像B」「午後」を出品する。
11月、藤田嗣治が「苦楽 1(1) 苦楽社」に「哀愁美(繪と文)」を発表する。
  また、同号に加藤武雄が「小説 著作堂晩年(江崎孝坪画)」、
  大佛次カが「小説 靜夜 (猪熊弦一カ画)」を発表する。
12月、佐藤敬が「婦人画報 第508号 12月号」の表紙を画く。
〇この年、佐藤敬が「Ado in Beppu」「枯葉」を製作する。
   
H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1947 22 41 1月、佐藤敬が「苦楽 新年号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
2月、佐藤敬が「苦楽 2月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
  
  苦楽 2月号 発行 昭和22年2月 
3月、佐藤敬が「苦楽 3月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
月、佐藤敬が「苦楽 4月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
5月、佐藤敬が「苦楽 5月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より

月、佐藤敬が「苦楽 6月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
6月8日〜10月4日付 、朝日新聞に石坂洋次郎著「青い山脈」の連載が始まり佐藤敬が挿絵を画く。

    「青い山脈」はじめ 朝日新聞昭和22年6月8日付

    「青い山脈」最終回  朝日新聞昭和22年10月4日付

7月、佐藤敬が「苦楽7月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
8月、佐藤敬が「苦楽 8月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
9月、佐藤敬が新制作派協会第11回展に「人間(或は失楽園)」「裸婦」「人物」「子供」を出品する。
9月、北畠八穂が「少女クラブ 25(8)大日本雄弁会講談社」に「出発なさい子供たち(佐藤敬画)」を発表する。
9月、橘弘一郎編「映画之友(15巻8号)映画世界社」に佐藤敬が「〇〇」を発表する。
   
 佐多稲子、木下恵介、、双葉十三郎、飯島正他  作品名不明なため調査要 2019・7・20 保坂
9月、佐藤敬が「苦楽 9月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
10月、佐藤敬が「苦楽 10月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
11月、佐藤敬が「苦楽 11月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より
12月、佐藤敬が「苦楽 12月号」に「扉絵」を画く。 出典;「人文社会科学研究 第26号」より

12月、佐藤敬が「週刊朝日 51巻23号 朝日新聞社 特集:東京の生態 変わった銀座・変わらぬ銀座号」の表紙を画く。
〇この年、佐藤敬が憲法公布記念展に「幕間」を出品する。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
〇この年頃、佐藤敬が「セーヌの橋」「眞弓」を製作する。H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
  注 「眞弓」は1944にもあるが別作品 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
12月5日、石坂洋次郎が新潮社から 「青い山脈/猪熊弦一郎(画) 」を刊行する。 pid/1133700
  
青い山脈(単行本) 新潮社  青い山脈(文庫本) 新潮社
発行 昭和22年12月5日  発行 昭和27、11・2 
 猪熊弦一郎(画)
     仲田好江(画) 
目次 /日曜日 /試される者 /根をはるもの /味方の人々 /一つの流れ /理事会開く /ならず者 /和解へ /リンゴの歌 /みのりの秋 /
   参考(協力) 石坂洋次郎文学記念館 秋田県横手市幸町2−10  TEL:0182−33−5052
1948 23 42 1月、佐藤敬が「苦楽 3(1) 苦楽社」の扉絵を画く。pid/3546618
  また。同号に、猪熊弦一カ ; 佐藤敬 ; 荻須高コが「色頁特輯 憧れの碧琉璃海岸へp9〜24」を発表する。
2月、北原武夫が「酣燈社」から「炎斷ち難し」を刊行、佐藤敬が装幀を施す。
  
  炎斷ち難し 表紙  
5月、第2回美術団体連合展に佐藤敬が「子供」「壺」を出品する。
7月、佐藤敬が「別冊・苦楽 涼風号」に扉絵を画く。出典;「人文社会科学研究 第26号」より
8月、佐藤敬が「苦楽 3(7) 苦楽社」に「名作繪物語 ビュビュ・ド・モンパルナッス p1〜8」を発表する。   pid/3546625
8月、佐藤敬が「週刊朝日 8月15日号」の表紙を画く。
  
  
週刊朝日 8月15日号表紙
9月、新制作派協会第12回展に佐藤敬が「裸婦A」「裸婦B」「扉」「花輪」「黒い猫」「窓辺」を出品する。
9月、佐藤敬が「婦人文庫 3(9)鎌倉文庫 特集 愛と死の問題」に「パリーの秋繪と文 p58〜59」を発表する。
   愛と死と / 赤岩榮  敗北の愛 / 荒正人  情死について / 三島由紀夫 情死論 / 龜井勝一カ 等  pid/3562996
10月、佐藤敬がが 朝日新聞社編「婦人朝日 10月号」に、「〇〇」を発表する。
  また、同号に柳田国男も「〇〇」を発表する。
10月、佐藤敬が「アトリエ 262号 セザンヌ・ゴッホ・ゴーガン特集号」に「セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンに就いて」 を発表する。 
10月、 朝日新聞社編「婦人朝日 昭和23年10月号 特集:足もとから見た人生 靴磨き座談会号」に谷口吉郎「欧州の劇場」を発表、佐藤敬が挿絵を画く。
10月、佐藤敬が「別册文藝春秋 (8) 」に「ドガの言葉 」を発表する。pid/7927237
11月、大佛次カが「苦楽 3(10) 苦楽社p10〜17」に「小説 秋夕夢」を発表、佐藤敬が挿絵を画く。
   また。同号に加藤武雄が「小説 おもがげびと p60〜67」を発表する。 pid/3546628
1949 24 43 1月、中村研一・山口蓮春・佐藤敬らと 「サンデー毎日 31(1)新春特別号」に、「迎春画信(オフセット)」を発表する。
1月、佐藤敬が「美術手帖 (13)  1月号 美術出版社 」に「巴里画学生の一週間 木
p36〜37」を発表する。
  また、同号に猪熊弦一カが「 巴里画学生の一週間 水
p28〜29」を発表する。 pid/7923572
1月、芹澤光治良が「苦楽 4(1) 苦楽社 p58〜65」に「小説 ロジエの手紙」を発表、佐藤敬が挿絵を画く。  pid/3546630
2月、写真家林忠彦が「小説新潮 3(2) 新潮社」の口繪寫眞に「辰野隆 瀧井孝作 小林秀雄 佐藤敬」の四人を載せる。 /pid/6074635
2月、佐藤敬が「婦人公論 2月号中央公論社」の「〇〇に、挿絵を画く。 内容未確認
  
2月、佐藤敬が「週刊朝日 2月6日号」の表紙「スキー」を画く。
  
  週刊朝日 発行 2月6日
3月、佐藤敬が「美術手帖 (15) 美術出版社」に「エドガア・ドガ p2〜8」を発表する。
  また、同号に 田辺泰が「本文 法隆寺金堂燒失
p25〜25」を発表する。 pid/7923574
4月、佐藤敬が「サンデー毎日 昭和24年4月3日号」の表紙にタイトル「部屋の一隅」を画く。
4月6日(水)〜、丹羽文雄が北海道新聞の小説欄に「怒りの街(挿絵:佐藤敬)」の連載を始める。  
注 連載は9月20日までと思うが未確認  調査要 2019・8・7 保坂
4月、佐藤敬が「文芸春秋 27(4) 」に「額縁」を発表する。pid/3197861
5月、佐藤敬が第3回美術団体連合展に「画室」「絵」を出品する。
5月、岸田國士が婦人生活社編「婦人生活 3(5) 」に「防風林(佐藤敬画)
 p42〜51」を発表する。pid/2324866
6月、岸田國士が婦人生活社編」婦人生活 3(6)」に「防風林(佐藤敬画)
 p62〜69 」を発表する。pid/2324867
6月、阿部知二が「ニューエイジ 1(6) 毎日新聞社」に「
小説追憶=i佐藤敬画)を発表する。pid/2310435
6月、久生十衛が「苦楽 4(6)」に「風祭り 猪熊弦一郎(画)」を発表する。
 pid/3546635
7月、佐藤敬が「美術手帖 (19) 美術出版社」に「マチスの手紙 p2〜3」を発表する。
pid/7923578
7月、 岸田國士が婦人生活社編」婦人生活 3(7)」に「防風林(佐藤敬画)
 p96〜103を発表する。  pid/232486
8月、佐藤敬が「美術手帖 (20) 美術出版社」にマチス作「口絵 赤い窓枠とい室内の二少女 p51」についての解説文を寄せる。 pid/7923579
8月、岸田國士が婦人生活社編「婦人生活 3(8)」に「春小説 防風林(佐藤敬画) p50〜57」を発表する。 /pid/2324869
8月、北原武夫 が「小説新潮 3(9) 新潮社」に「贐(はなむけ)(佐藤敬画) p9〜19 」 を発表する。 pid/6074642
9月21日(水)〜、梅崎春生が北海道新聞の小説欄に「限りなき舞踏(挿絵:中山巍)」の連載を始める。
9月、「婦人公論 9月号 中央公論社」に宮本三郎、猪熊弦一郎、佐藤敬、高野三三男が対談、その模様が「秋宵閑談」として掲載される。
  また、同号に谷崎潤一郎が「終戦日記=熱海より勝山まで=昭和20年記抄」を発表する。


左より 宮本三郎、高野三三男、佐藤敬、猪熊弦一郎の各氏
9月、吉屋信子が「苦楽 4(9) 苦楽社」に「小説 奏鳴曲(佐藤敬画) p90〜103」を発表する。 pid/3546639
9月、岸田國士が婦人生活社編「婦人生活 3(9)」に「春小説 防風林(佐藤敬画) p48〜55」を発表する。 /pid/2324870
9月、佐藤敬が新制作派協会第13回展に「裸婦A」「裸婦B」「赤い魚」「舞踏」を出品する。
9月、宮田重雄 ; 林武 ; 佐藤敬 ; 周鹿之助 ; 山下新太郎 ; 三岸節子 ; 曾宮一念 ; 中山巍 ; 福沢一郎 ; 中川紀元 ; 村井正誠らと「美術手帖 (21) 美術出版社」に「初入選の想出p26〜29」を寄稿する。 pid/7923580
10月、佐藤敬が「風雪3巻9号 六興出版部」の表紙を画く。
11月30日、丹羽文雄が八雲書店から「怒りの街」を刊行する。  pid/1705750
  
   怒りの街(表紙)






12月、福田豊四カ ; 佐藤敬が「主婦の友 33(12)主婦の友社」に「歳末ク土風景 p38」を画く。また、同号に天野貞祐が「家庭の空気はいつもCらかに」、本誌記者による「いのちの稔り(多摩河畔に祈りの開拓村を訪ねて)」が発表される。  pid/11233553
12月、佐藤敬が「文芸春秋 27(臨時増刊) 」に「目次・扉(カット)」を発表する。
 再確認要 pid/3197871
野球と私 / 天野貞祐
〇この年、丹羽文雄が「落鮎 中央公論社」を刊行、佐藤敬が扉絵を画く。
〇この年、今日出海が「大いなる薔薇 新太陽社」を刊行、佐藤敬が装幀を行う。
1950 25 44 1月、 佐藤敬が「美術手帖 (25) 美術出版社p60〜61」に「ミラノ」を発表する。 pid/7923584
1月、辻荘一 が「音楽の友 8(1);新年號 音楽之友社」に「繪物語 樂聖をめぐる女性 バッハ(佐藤敬画)」を発表する。  pid/10296239
2月、屬啓成(さっかけいせい)が「音楽の友 8(2);二月號 音楽之友社」に「
繪物語 樂聖をめぐる女性 (2) シューベルト(佐藤敬画)を発表する。   pid/10296240

2月、佐藤敬が「美術手帖 (26) 美術出版社p16〜17」に「本文 白いヴォリュームー ラ・マルセイエーズ號 」を発表する。 pid/7923585
3月、つちだえいこが「音楽の友 8(3); 音楽之友社」に「繪物語 樂聖をめぐる女性 ベートーヴェン(佐藤敬画)を発表する。 pid/10296241
3月、滝沢修 ; 木下惠介 ; 佐藤敬が「芸術新潮 1(3) 新潮社p56〜69 」に「顔について(座談会) 」の模様が掲載される。
  また、同号に小林秀雄が「雪舟」を発表する。  pid/6048253 
4月、佐藤敬 が「芸術新潮 1(4) 新潮社p106〜107」に「映画「田園交響樂」」を発表する。 pid/6048254
5月、第4回美術団体連合展「灰色裸婦」「横臥裸婦」。
5月、佐藤敬が「小説公園 1(3);6月號 六興出版社 」の表紙を画く。 pid/11005073
   また同号に 眞夏の夜の夢/檀一雄  K犬/丹羽文雄 
7月、佐藤敬が「小説公園 1(4);7月號 六興出版社」の表紙を画く。 pid/11005074
    また、同号に  貞操/深田久彌  猫/富安風生 /
8月、佐藤敬が「美術手帖 (33) 美術出版社p34〜34 」の口絵に「 原色版 白い裸婦 」を発表する。
  また、土門挙が「アトリエ訪問--佐藤敬
p35〜39」を発表する。  pid/7923591
8月、佐藤敬が「小説公園 1(5); 六興出版社」に表紙を画く。  pid/11005075
9月、新制作派協会第14回展「空」「ピアノ」「白と黒(壁画として)」。
9月、佐藤敬が「小説公園 1(6) 六興出版社 」に表紙を画く。  pid/11005076
9月17日、佐藤敬が「週刊朝日 昭和25年9月17日号」に表紙絵「毬藻」を画く。 
  
 
  週刊朝日 9月17日号表紙
10月、佐藤敬が「芸術新潮 1(10)新潮社 p86〜87」に「杉村の娼婦マヤ」を発表する。 pid/6048260
10月、佐藤敬がアトリエ出版社編「アトリエ (285) 婦人画報社p27〜31」に「赤絵のアンフォラ」を発表する。  pid/2264774
10月、佐藤敬が「文芸春秋 28(14),文芸春秋社 p98〜111」に「スポーツと私・アテネの問違ひ」を発表する。扉 / 猪熊弦一カ  pid/3197895
10月、佐藤敬が「小説公園 1(7)六興出版社」の表紙を画く。 pid/11005077
   また、同号に橋本英吉が「最後の挽歌」を発表する。
11月、佐藤敬が「小説公園 1(8);11月號 六興出版社」の表紙を画く。 pid/11005078
11月、井上靖が「小説新潮 4(12)新潮社p24〜38」に「波紋(佐藤敬画)」を発表する。
   pid/6074659  挿絵はp24の「波紋」か 未確認 2019・7・31保坂
12月、尾崎一雄が「小説新潮 4(13) 新潮社p9〜30 」に「中篇小説傑作集 春の氣配 85枚(佐藤敬画)」を発表する。  また、同号に和田傳が「伊勢蝦と鯛 p96〜105」を発表する。  pid/6074660   挿絵はp9の「春の氣配」か 未確認 2019・7・31保坂
12月25日、ディケンズ 著,村山英太郎訳「リスマス・キャロル 岩波書店 (岩波少年文庫 ; 3)」が刊行され、佐藤敬が挿絵 を画く。 pid/1630941
   
もくじ /一 マーリーのゆうれい / 二 第一のゆうれい / 三 第二のゆうれい /
    四 最後のゆうれい /五 むすび /註 /あとがき /
12月、佐藤敬が「小説公園 1(9);12月號 六興出版社」の表紙を画く。/pid/1100507
   また、同号に丹羽文雄が「晋州」を発表する。
12月、大仏次郎が「新樹 太平洋出版社」を刊行、表紙を画く。
  
〇この年、大仏次郎が「帰郷 、六興出版」を発表、佐藤敬が装丁を行う。挿絵/中西利雄
〇この年、舟橋聖一が「美貌の海 
上・下 文藝春秋新社」を発表、佐藤敬が装丁を行う。
〇この年、宮崎嶺雄(訳)が「ペスト 
上・下  カミュ 創元社」を発表、佐藤敬が装幀を行う。
〇この年、佐藤敬が「LE DANS」を製作する。  
H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1951 26 45 1月6日〜6月17日、久生十蘭が朝日新聞夕刊に『十字街(佐藤敬:挿絵)』を連載する。
1月、佐藤敬が第2回秀作美術展に「ピアノ」を出品する。
1月、佐藤敬 が「小説新潮 5(1) 新潮社」に「巴里の道化師・忘れ得ぬ正月」を発表する。 /pid/6074661
1月、佐藤敬が「芸術新潮 2(1)新潮社p140〜143」に「コクトオの魔術」を発表する。 pid/6048263
1月、松竹演劇部編「現代演劇大合同 歌舞伎座」 が刊行され、佐藤敬、木村荘八が「〇〇」を発表する。注 日本の古本屋  国分寺市天心堂 2000円 内容未確認のため検討要 2019・7・24 保坂
1月、安倍能成 ; 含宙軒夢声 ; 山川菊榮 ; 山本安英 ; 佐藤敬 ; 石川欣一が「ニューエイジ 3(1) 毎日新聞社」 に「正月料理の思い出」を発表する。 pid/2310454
2月、高見順が「婦人公論 37(2)」に「胸より胸に(佐藤敬・画)」を発表する。
  
また、同号に「白緑(大仏次郎/矢島堅土・画)、草の花(幸田文/小穴隆一・画)、
   女家族(林芙
美子/森田元子・画)」等が掲載される。

3月、佐藤敬が「小説公園 2(3);3月號 六興出版社」の表紙を画く。pid/1100508
3月、佐藤敬が「美術手帖 (40) 美術出版社」に掲載された「
絵原色版 印度のモデル / デュフィ 」についての解説文を記す。 pid/7923598
3月、「アトリエ 290号 サロン・ド・メイ特集」に「座談会:フランスの現代絵画/末松正樹×佐藤敬×瀧口修造×木内克」が掲載される。
4月、江戸川乱歩が「湖畔亭事件 その他 187 改造社」を刊行、佐藤敬が装幀を行う。
   陰獣/押絵と旅する男/踊る一寸法師/人間椅子/二癈人/赤い部屋/鬼/二銭銅貨/灰神楽/虫
   芋虫/心理試験/毒草/鏡地獄/黒手組/一枚の切符/白昼夢/D坂の殺人事件/屋根裏の散歩者
   湖畔亭事件
4月、竹林賢が「美術手帖 (41) 美術出版社 p42〜42 」に「佐藤敬論」を発表する。 pid/7923599
   また、同号に「本文 アンリ・マチス展実現す / 猪熊弦一カ / p3〜3」
     「二重自画像--解説 / 滝口修造 /
p10〜10」 を発表する。
    「私の希望する近代美術館 / 猪熊弦一郎 ; 三好十カ ; 長谷川三カ ; 今泉篤男 /
p28〜31 」が掲載される。
4月、佐藤敬が「小説公園 2(4);4月號 六興出版社」の表紙を画く。 pid/11005082
   また、同号に 紫色の愛情論/橋本英吉 /伎藝天(俳句)/橋本多佳子
4月、「出版ニュース 出版総合誌 (194)」が刊行される。 pid/10231109
はがき書評/團藤重光 ; 源氏鷄太 ; 國分一太カ ; 小川芳男 ; 小島政二カ ; 中村光夫 ; 佐藤敬
5月、佐藤敬が第5回美術団体連合展に「子供の時間」を出品する。
5月、佐藤敬・佐藤美子夫妻が「婦人倶楽部
32(5) 講談社」の「グラビヤおしどり夫婦」欄に掲載される。pid/3562244 
   
た、同号に石井漠が「我が郷土(秋田の巻)」、石坂洋二郎が「母の自画像」を連載する。
  
 左から美子夫人。佐藤敬・眞弓ちゃん
おしどり夫婦(全文) 佐藤敬さん佐藤美子さん
「あっ、パパが勝つかな。ママが勝つかな」
 明るい喚声が応接間から洩れてきた。大相撲ならぬ腕相撲の熱戦である。登場選士は洋画壇の重鎮佐藤敬とカルメンで有名な奥様の美子夫人。
/「ママ、がんばって! パパもよ!」と、行司役を買って出たのがお譲ちゃんの眞弓ちゃん。軍配ならぬもみじのようなおててをさっと上げての審判である。結婚してからもう満十七年になるという画伯夫妻は、可もなく不可もなく、ひたすら芸術への情熱をお互
いに燃やし続けての生活であるそうな。たまさかの暇をみつけては水入らずで打ち興ずる温かな一刻は、まことにおしどり夫婦もうべなるかなのスナップであろう。
5月、佐藤敬が「芸術新潮 2(5) 新潮社 p75〜82」に「マチスの礼拝堂」を発表する。 pid/6048267
5月、佐藤敬が「みづゑ (548)
 美術出版社p41〜44」に「ピカソの陶器」を発表する。
5月、佐藤敬が「小説公園 2(5);5月號
六興出版社」の表紙を画く。  pid/11005083 
    
また、同号に ダンナとミキさん/木一雄
5月、佐藤敬が「別册文藝春秋 (21) 」に「マチスの表紙繪について」を発表する。 pid/7927250 
ピカソの風景画 / 福島繁太郎   芸術と遊び--ピカソの場合 / 益田義信
6月、佐藤敬がアトリエ出版社編「アトリエ 増刊(294) 婦人画報社p77〜80」に「マチスの絵画との対談」を発表する。pid/2264783 pid/2459154
6月、佐藤敬が「小説公園 2(6);6月號六興出版社」の表紙を画く。pid/11005084
      
また、同号のp41に「表紙繪について/佐藤敬」も記す。
6月、 「週刊朝日 6月17日号」に永井萌二「山びこ学校の子どもたち」長谷川伸「笑いを忘れた男」城戸四郎、徳川夢声連載対談「問答有用」、佐藤敬「山鳩の巣」他が掲載される。
     「日本の古本屋」より 内容未確認 2019・8・1 保坂
6月、佐藤 敬が「婦人公論 37(6) (通号 409) p.132〜136」に「マチスの人と芸術」を発表する。
6月、佐藤美子と三島由紀夫が「演劇 創刊号 1(1) 白水社」に「「東おどり」を觀て(二頁對談)」と題した対談記事が掲載される。 pid/1857519
あるニュウ・フェイスへの手紙-〔1〕- / 岸田国士 /演劇の誕生 / 加藤周一 / 私も脚本を書いた / 廣津和カ
/(略)/苦しい興業界 /芝居馬鹿(鼎談) / 久保田万太郎 ; 真船豊 ; 千田是也 /
漫才についての対話--域る記者との / 辰野隆 /日用語雑感-1- / 三好達治 /
「カクテル・パーティ」 / 中村眞一カ / 「夢みる乙女」 / 内村直也 / 「セールスマンの死」 / 中田耕治 /
「俳優修業」 / 芥川比呂志 /「摯笏ナ 現代演劇論」 / 杉山誠 /
「東おどり」を觀て(二頁對談) / 佐藤美子 ; 三島由紀夫 /悲劇について / 小林秀雄/未熟同士 / 内村直也 /
理論と實際 / 今日出海 /勿體ない話 / 小山祐士 /(詩)雲 / 谷川俊太カ /
戯曲 武藏野夫人(四幕) / 福田恆存 /戯曲「武藏野夫人」を讀んで / 大岡昇平 /
小言幸兵衛 / / 戯曲時評 /創刊に當つて / 岸田國士 / 「雲の會」會員名簿 /
/
7月、佐藤敬が「芸術新潮 2(7)  新潮社 p80〜82」に「映画「ブラック」の中の絵 」を発表する。また、同号に小林秀雄が「ゴッホの手紙 p124〜130」を発表する。 pid/6048269
7月、佐藤敬 が「スクリーン 6(7)(56) 近代映画社」に「繪画と映画(画家のみた繪と映画のかんけい) 」を発表する。 pid/2333769
7月、佐藤敬が「小説公園 2(7);初夏特別號 六興出版社」の表紙を画く。pid/11005085
8月、益田義信 ; 佐藤敬 ; 小磯良平 ; 猪熊弦一カが「美術手帖 (46) 美術出版社 p36〜39」に「本文 私の舞台裝置」を発表する。 pid/7923604
8月、佐藤敬が「小説公園 2(8);8月號 六興出版社」の表紙を画く。pid/11005086
   
同号に 濃霧の人/丹羽文雄 
9月、佐藤敬が「小説公園 2(9);9月號 六興出版社」の表紙を画く。  pid/11005087
    
同号に   林芙美子とその文学/中村光夫 /  
9月、佐藤敬が新制作派協会第15回展に「ピアノと子供」「栗とたまも」「浴場」を出品する。

月、佐藤敬が「美術手帖 (48) 美術出版社 p43〜50」に「口絵 グラビヤ版 ピカソの造形 」を発表する。
参考(同号):口絵 グラビヤ版 拡大鏡ピカソ / 土門拳  ピカソと近代芸術 / 西脇順三郎
パブロ・ピカソ「西瓜」解説 / 高野三三男  誌上ピカソ展--鑑賞者と対話 / 岡本太郎
芸術の自由--ピカソの牧神について / 福田豊四郎  パブロ・ピカソ「サントール」解説 / 呉茂一
ピカソの言葉 / 北園克衛 / ピカソの詩 / 滝口修造 / パブロ・ピカソ「長椅子の女」解説 / 野口弥太郎 /
メリメ作「カルメン」におけるピカソの挿画をめぐつて / 井上究一郎   本文 ピカソ・妻・子供 / 大久保泰
ピカソの挿絵本--特にイワン・ゴルの詩集について / 福永武彦  ピカソ文献抄 / 仲田定之助
パブロ・ピカソ「なすのある静物」解説 / 柳亮 / 本文 ピカソとアポリネール
ピカソの舞台装置 / 蘆原英了  パブロ・ピカソ「病児」解説 / 宮本三郎  ピカソの変貌 / 安部公房 
ピカソ文献リスト / 仲田定之助    pid/7923606
9月、佐藤敬が「文芸春秋 29(12) 文芸春秋社」 の「カット」を画く。 pid/3197926
9月、佐藤敬が「日曜日
 創刊号雄鶏社」に「開かない扉」を発表する。 
9月、佐藤敬がアトリエ出版社編「 アトリエ (297)
  婦人画報社25〜26」に「ブラックの素描反芻 」を発表する。  pid/2264786
10月、佐藤敬が「小説公園 2(10);10月號 六興出版社」の表紙を画く。  pid/11005088
  また、同号に 零子/梅崎春生   
10月、佐藤敬が「芸術新潮 2(10) 新潮社 p75〜77」の「ピカソ展特集」に「挿畫本「カルメン」「カルメン」「ゴンゴラ」「ドス・コントス」「挽歌」」他を発表する。  pid/6048272
  また、同号に、ゴッホの手紙 / 小林秀雄 / p92〜99
  父・芋錢の面影--畫室に入つて觀音經を唱えた晩年の生活 / 小川洗二 / p130〜133
  隨筆日本美術--文珠院、石川麻呂の精神、法輪寺、
蘇我馬子の桃原墓 / 保田與重郎 / p58〜64
10月、佐藤敬が「小説公園 2(11);別冊 六興出版社」に三雲祥之助 ; 木下孝則 ; 佐藤敬 ; 木村莊八 ; 赤松俊子 ; 高野三三男 ; 吉岡堅二 ; 川端實 ; 伊勢正義 ; 佐藤泰治 ; 長谷川春子 ; 立石鐵臣 ; 茂田井武らと裝畫を画く。  pid/11005089
  また、同号に長與善郎が「山の宿」を発表する。
10月、佐藤敬が「別册文藝春秋 (24) 」に「戦争中のブラック--表紙に因んで」を発表する。 pid/7927253
11月、佐藤敬が「小説公園 2(12);11月號 六興出版社 」の表紙を画く。 pid/11005090
12月、佐藤敬「芸術新潮 2(12) 新潮社p132〜135」に「映画・ピカソ訪問 」を寄稿する。 pid/6048274
  また、同号にゴッホの手紙 / 小林秀雄 最初の美・最後の美 / 猪熊弦一郎  「くせ」のある歌手 / 佐藤美子
 
      ↑サイン



 猪熊弦一郎のサイン(拡大)
参考 埴輪 腰かける巫女(こしかけるみこ)
重要文化財 指定名称:埴輪女子倚像
群馬県大泉町古海出土
(出土した古墳の状況は未詳
1個/高68.5/古墳時代・6世紀
所蔵:東京国立博物館 J-21160

3D CG movie (YouTube)  「e國寶」より 
 現在、東京国立博物館で常設展示されていないので注意
      
 2019・10・27 展示状況確認済 保坂
研究資料@ 最初の美・最後の美 / 猪熊弦一郎(上寫眞・素描部分のところ)
 (略)あぐらした男(D)坐す女(D)の顔の美しさは何に例へる事も出来ない程である。大らかで、可愛く、大まじめで、そして丁度いゝ立體である。膚の美しさ、今時の樣なことさらのツーシュを小手さきでもてあそんでなどゐない。實に自然な表面で、これこそ我等の最初の美であり、最後の美である。顔の面積の中に三つの穴、隆起した鼻、まゆの弧線、これ等が實に素晴らしい間隔で顔の表面に安定して居る。特に適度に高い鼻(これは少しもあぐらをかいて居ない)これを見て居ると我等の祖先は美男、美女であった事が思はれる。然し眉と目の間の面を見て居ると、眼窩は深くなく、西洋種であるとは思はれぬ、東洋の美男美女である。頭部のアクセサリーを考へて見ると、頭には玉をつらねた頭飾を一重に又二重に、現代の女性の好みと少しも異って居ない。耳には大きく、又、小さく耳輪が飾られて居る。私達がいつもポートレートを描く時、一番苦労する點は、耳から下方、肩に到る三角の空間である。この空間をそのまゝにして置く事は實に間がぬけて見えるのである。古代からその空間の淋しさをかくす爲に、耳輪が自然に發達して來たものと思はれるが、今なほ、イヤリングを使用する婦人達の氣持は良く解るのである。頭を見ると、これ又驚きである。(E)(F)に見る形は、今のボーグとかハーバースバザーとかの流行雑誌に出て來る。帽子、髪形と實に似通った所ががある。(F)の帽子の原形には周圍にひさしがあったものと思はれるが、毀(こわ)れて却って面白くなって居る。このまゝ最近の新らしい帽子のデザインが出來さうである。兩側に下げた髪と共に、安定したシックな形である。フランスの一流デザイナーディオールとか、スキャパレリーに見せ度いものである。彼等はきっとこの中から、より面白い形を引き出すに違ひない。(略)
12月、佐藤敬が「小説公園. 2(13);12月號」の表紙を画く。 /pid/11005091
  また、同号に  南の海の幻想/橋本英吉  阿波の秋風/吉野秀雄   聖十字(俳句)/飯田蛇笏
  
  小説公園 12月號 発行昭和26年12月
この年、佐藤敬が新潮社出版部編「花の画帖 新潮社 (世界の絵本 大型版 ; 17)「表紙」絵と「花のはり絵」を発表する  pid/1675002
〇この年、光吉夏弥著「白鳥の湖 
新潮社 (世界の絵本 13) 」に「赤い靴(佐藤敬:絵)」を発表する。pid/1626381
〇この年、猪熊弦一郎、佐藤敬、木村伊兵衛、野島康三他が「アサヒカメラ 36巻3号」に 「ヌード写真を語る。」を語る。
1952 27 46 1月、佐藤敬が第3回秀作美術展に「子供の時間」を出品する。
1月、「 旅 26(1)」に内村直也 佐藤 敬 足立源一郎 益田義信 北村小松 水谷長三郎 河上徹太郎 長谷川かな女 北見志保子等の作品が掲載される。 
    
内容不明検討要 2019・8・2 保坂
1月、佐藤敬 ; 硲伊之助 がアトリエ出版社編「アトリエ (302) 
婦人画報社p42〜45 」に「フランスから持つて帰つた話」を発表する。  pid/2264791 
1月、佐藤敬が「小説公園 3(1);新年特別號 六興出版社」の表紙を画く。 pid/11005092
  また、同号に  馬と自轉車/伊藤永之介 / 都会の美/今和次郎   
1月、佐藤敬が「文芸春秋 30(1)」に「カット(2枚)」を画く。  pid/3197937 注 内容未確認
2月、佐藤敬がカーネギー国際美術展(ピッツバーグ)に「栗とマリモ」を出品する。
2月、佐藤敬が「小説公園 3(2);2月號 六興出版社 の表紙を画く。pid/11005093
   
また、同号に 霧の人/丹羽文雄  
3月、佐藤敬が「小説公園 3(3) 
六興出版社」の表紙を画く。  pid/11005094
   また同号に、「巴里の憂鬱」今日出海 「楕円形の月」井上靖(脇田和挿絵)他
4月、佐藤敬が「小説公園 3(4);4月號 六興出版社」の表紙を画く。  pid/11005095
   
また、同号に  濃霧の人/丹羽文雄   
5月、佐藤敬が「小説公園 3(5);5月號 六興出版社 」の表紙を画く。 pid/11005096
   また、同号に  濃霧の人/丹羽文雄   
5月、「 旅  第26巻第05号」に荻原賢次 佐藤 敬 谷口千吉 馬場恒吾 杉浦幸雄 海音寺潮五郎 木村圭一 田宮虎彦 石川慈彦 富田弘等の作品が掲載される。
 
    内容不明検討要 2019・8・2 保坂

5月、佐藤敬が第1回日本国際美術展に「裸婦」「森」を出品する。
5月13日、佐藤敬が朝日新聞特派員として渡航、パリでファルギェール街シテ・ファルギェールのアトリエ村に住む。
6月、佐藤敬が「小説公園. 3(6);6月號」の表紙を画く。  pid/11005097
7月、佐藤敬が「小説公園 3(7);7月號 六興出版社」の表紙を画く。 pid/11005098
8月、佐藤敬が「小説公園 3(8);8月號 六興出版社」の表紙を画く。 pid/11005099
  
 また、同号に 役者の宿/藤森成吉 
   
   小説公園8月号    「家庭といふ名の電車」の挿絵
    発行昭和27年8月     
(35×30_)
家庭といふ名の電車/佐藤美子
 映画「欲望といふ名の電車」はたうたう二回見てしまった。はじめの時は、歌をうたふAさんと、若い青年のBさんと、三人だった。有楽座の二階ほど映画のみにくい落つかない所はない。照明が明るすぎて、まるでひなたで映画を見てる感じがする。(略・映画の二回目を見た後のK子さんと)間もなく新橋のたもとで二人は別れた。雨上がりの夕方の空は美しく、行きあふ人々は皆いきいきと見え、自分だけがみすぼらしく、みじめで、うらぶれてゐて驛の段々を上る足は重
かった。プラットホームから見おろしたたそがれの町の姿は一人私の氣持をめいらせるばかりだった。私は此のあたりに住むお友達の一人一人の顔を思ひ浮べてみた。そしてたった一人今のわびしさが判ってもらへる人の顔にぶつかった。私は引きかへさうと心にきめたが、ふと先日K子さんに電話した時、たまたまそこに來合せたRさんが電話口に出て『何度も同じ映画をみるのはよいが、自分自身がヘンな電車にのってしまはないやうに』と笑ひながらからかはれたことを思ひ出した。私はあわてて丁度そこに止った櫻木町行きの『家庭』と云ふ名の電車にとびのった。(馨樂家)

11月、佐藤敬 が「美術手帖 (62)
美術出版社 p49〜51 」に「ブラック訪問 」を発表する。pid/7923620
11月、「アトリエ No.312 アトリエ社」に「パリの現地座談会・エトランジェ大いに語る(荻須高徳、田淵安一、関口俊吾、浜中勝、金山康喜、田村孝之助、土方定一、佐藤敬、西村計雄、小松清、船戸洪)ほか」が掲載される。
12月、佐藤敬がアトリエ出版社編「 アトリエ (313) 
婦人画報社 p71〜72」に「パリ便り」を発表する。 pid/2264802
〇この年、佐藤敬編「マチス 
弘文堂 (アテネびじゅつぶんこ ; 第4) 」が刊行される。 pid/2459582
圖版 目次 /
1 モローのヘ室の習性 /
2 アトリエの内部 /
3 鳥打帽子の若き水夫 /
4 オレンジ /
5 ピアノ /
6 畫家とモデル /
7 ニースの窓邊 /
8 アンテーブの道 /
9 い食器入れの靜物 /
10 夢 /
11 パイナップルの靜物 /
12 靜物 /
13 食卓 /
14 ノートルダムの風景 /
15 玉遊び /
16 音樂 /
17 テラスのゾラ /
18 樹木 /
19 安樂椅子の人物 /
20 ニースの風景 /
21 庭 /
22 羽根帽子 /
23 桃色の長椅子の裸婦 /
24 ベニスの女 /
25 タンバリンを持つ踊り子 /
26 い胸飾り /
27 デッサン /
28 デッサン /




〇この年、久生十蘭が「十字街(佐藤敬:挿絵)朝日新聞社」を刊行、装丁・挿絵を行う。
  
1953 28 47 〇この年、門田勲が「外國拝見 、朝日新聞社」を刊行、佐藤敬・荻須高徳・堂本印象・清水崑・猪熊弦一郎らが、さしえを画く。また「序文/拝見の拝見・川端康成 あとがき/大佛次郎」が記す
1954 29 48 1月、佐藤敬が個展(パリ、ミラドール画廊)で「ノートルダム(バラ色)」「椅子」「モロッコにて」他を出品する。
1月、佐藤敬が「文芸春秋 32(1) ,文芸春秋社p33〜35」に「セーヌ河の釣」を発表する。
  また同号に堀内敬三が「話術的解説」を発表する。 pid/3198003
1月、佐藤敬が「アサヒグラフ 1954年1月6日新年特大号に「アルジェリアの娘」と題して表紙を画く。
7月、在仏佐藤敬作品展が(東京画廊)で開かれ「影の反映」「ピカソのアトリエ」他を出品する。
12月、佐藤敬が「週刊朝日 12月5日号」の表紙「ノートル・ダム寺院」を画く。
〇この年、佐藤敬が「映画と演芸 (11) 朝日新聞東京本社 p53〜53」に「絵と文ジャン・コクトー 」を発表する。 pid/2378261
1955 30 49 1月、佐藤敬が第6回秀作美術展に「セーヌ」を出品する。
4月、佐藤敬が「サンデー毎日 昭和30年4月24日号」の表紙絵.「マルヌ川畔のポプラ並木」を画く。
  

11月、荻須高コ ; 佐藤敬 ; 關口俊吾 ; 今井俊滿 ; 田淵安一 ; 中村直人 ; 菅井汲 ; 岡田謙三 ; 籾山七重 ; P崎晴夫 ; 長谷川路可 らが「芸術新潮 6(11) p79〜96 新潮社世界の日本人畫家 ≪アート寫眞特集≫ 」に掲載される。    pid/6048321
〇この年、猪熊弦一郎が活動の拠点をニューヨークに移す。
1956 31 50 4月、「文藝春秋 4月号 特集:赤紙一枚で 市民の戦闘記録」が特集される。
口絵/太平洋戦争絵画集=小磯良平,田村孝之介,宮本三郎,佐藤敬 グラビア/戦塵にまみれし頃=井上靖,宮田重雄,鹿内信隆,花森安治,吉葉山,尾上松緑 他 臨時招集礼状(赤紙)付
4月、猪熊弦一郎が:ニューヨークのウィラード画廊において新作の個展(第1回)(4/3〜28)を開き「埴輪」等を出品する。
5月、佐藤敬フランス風景作品展(東京画廊)が開かれる。
5月、佐藤敬がサロン・ド・メイに「切線」を出品する。
9月、佐藤敬が新制作派協会第20回展に「作品A」「作品B」「作品C」を出品する。

〇この年、角川書店から座右宝刊行会編「現代日本美術全集 第9巻」が刊行される。
   
佐藤敬(解説:今泉篤男)  猪熊弦一カ(解説:富永惣一)
〇この年、佐藤敬が「サンドニィ風景」を製作する。  H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1957 32 51 5月、佐藤敬がサロン・ド・メイに「潜在」を出品する。
7月、佐藤敬が現代美術10年の傑作展に「赤のノートルダム(1952)」を出品する。
9月、佐藤敬が新制作派協会第21回展に水彩「白い月」「金の月」「青い月」を出品する。
1958 33 52 2月、佐藤敬が「文芸春秋 36(2) 」に「ラインの釣」を発表する。pid/3198113
9月、佐藤敬が新制作派協会第22回展に「夜の門」「黒い序説」「Temps des Visions」を出品する。
1959 34 53 3月、佐藤敬個展(パリ、ジャック・マッソール画廊)に17点を出品する。
3月、佐藤敬が開高健編集「洋酒天国34  洋酒天国社」に「田舎廻り」を発表する。
9月、佐藤敬が新制作派協会第23回展に「朝の生」「昼の生」「夕の生」を出品する。
11月、佐藤敬が日本書道展(パリ、ジャネット・オスチーユ画廊)に出品する。
1960 35 54 4月、佐藤敬個展(パリ、ジャック・マッソール画廊)に大作7点のタブローとグワッシュ10点を出品する。
6月、佐藤敬が第30回ヴェニス・ビエンナーレ国際美術展に「凝結土(1958)」「白亜紀(1959)」「風化(1960)」他を出品する。
11月、秋山庄太郎(写真)・ 徳大寺公英が「美術手帖 (181) 美術出版社
p35〜40 」に「パリの 日本人画家たち 菅井汲 佐藤敬 田淵安一 浜口陽三 南桂子 荻須高徳 土橋醇 」を発表する。  pid/7923739
 佐藤敬のアトリエは、モンパルナス近く、シテ・ファルギリエールという古びた集団アトリエの一劃にある。ここにはたしか、その昔、モジリアーニやフジタなど、エコール・ド・パリの画家たちもいたのではなかったか。吹き抜けのアトリエの一方の側が中二階で、ベッドがおいてある。電話器が枕の傍らにあったが、「独りぐらしをしていると、急病で倒れた時、電話だけが頼りだ、ぼくも年だから」と佐藤はいう。東京時代の社交家、ジャーナリズムのタレントとしての佐藤の生活とは天地霄壌(しょうじょう)のちがいである。しかし、有名無名を問わず、これがパリにおける画家たちの生活なのだ。(文:徳大寺公英
〇この年、佐藤敬が「Fleur de Pierre」を製作する。
   H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1961 36 55 4月、佐藤敬個展(パリ、ジャック・マッソール画廊)に「囮(1957)」「石の誕生(1958)」他を出品する。
5月、佐藤敬が第6回日本国際美術展に「内部の皮」、(K氏賞)を出品する。
9月、佐藤敬が新制作派協会第25回展に「凝結天」を出品する。
〇この年、佐藤敬が「罠」を製作する。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1962 37 56 〇この年、佐藤敬が「ダワッシュ ’62」を製作する。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1963 38 57 5月、佐藤敬が第7回日本国際美術展に「石の分裂」を出品する。
6月、佐藤敬が「文学界 17(6) 文芸春秋社」の表紙絵を画く。
また、同号に読切創作−堀田善衛・由起しげ子・小島信夫・河野多恵子(蟹)・佐藤愛子(ソクラテスの妻)・随筆・評論−福永武彦・山本健吉・本多秋五等が掲載される。 
8月、佐藤敬が「文学界 17(8) 文藝春秋新社」の表紙を画く。
〇この年、佐藤敬が「夜は漂う」を製作する。  H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1964 39 58 『ピカソ展 −その芸術の七十年−』展が日本の三会場で開かれる。
 
  東京展 5月23日〜7月5日  東京近代美術館
   京都展 7月10日〜8月2日  国立近代美術館京都分館
   名古屋店 8月7日〜8月18日 愛知県美術館
1965 40 59 3月、佐藤敬個展(ニューヨーク、ワールドハウス画廊)で「心の風景(1963)」「夜は漂う(1963)」「凝結した夜想曲(1963)」他を出品する。
4月19日、帰国する。
5月、第8回日本国際美術展に「結晶天」に出品する。
8月、「文芸朝日 4(8) 」に「佐藤敬氏帰朝歓迎会 / 発起人一同 ・ ピカンさんの滞日十年をねぎらう会 」が掲載される。pid/3563120
8月3日、長女真弓とパリに出発する。
9月、「文芸朝日 4(9)」に「さらば東京よ、また来るまでは――十年ぶりの変貌トウキョウに寄せる二画伯の感慨 / 猪熊弦一郎夫妻 ; 佐藤敬」が掲載される。pid/3563121
10月、<在外日本作家展―ヨーロッパとアメリカ->に「化石の黒(1964)」「空間運行(1965)」を出品する。

〇この年、佐藤敬が週刊朝日編集部編「時の素顔(2)恒文社」に「「ぼくはパリの画学生」を発表する。pid/3044639
〇この年、佐藤敬が「空間の歴史(黒)」を製作する。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1966 41 60 3月、佐藤敬が「第1回ジャパン・アート・フェスティバル」に「化石の黒(1964)」「人間の壁(1965)」「空間運行(1965)」を出品する。
6月、佐藤敬が「近代日本洋画の150年展(神奈川県立近代美術館)」に「赤のノートルダム(1952)」「風景(1956)」「内部の皮(1960)」を出品する。
9月、佐藤敬が「新制作派協会第30回展」に「昨年の旅で(サッカラ)」「(かいろ)」他を出品する。
9月、佐藤敬が「太陽 4(9)(39)平凡社」に「パリの移り変り」を発表する。  pid/1792576

10月、佐藤美子が「婦人倶楽部. 47(12)」に「14年間会わない私たちの別居結婚」の手記を発表する。 pid/2210491
 
  今年のパリで、左から敬氏、長男・亞土さん、右端美子さん
たがいに理解した道を 手記 佐藤美子
 戦争という大きな時代の空白の後、それからまた二十一年という歳月を経て、いまの私は心から夫が立派な仕事をしてくれることを願っている。もし私たちがその後、別々に暮らしていなかったら、いまの私はこんな平安な気持でいられなかったかもしれない。私は私なりに、自分の歌の仕事をつづけていくことができた。「おれは年をとったら真鶴あたりへアトリエをつくって暮らしたいな」と去年帰ってきたときにも言っていた。こんなに長い間、夫婦が外国と日本とに離れて暮らしていれば、ときにはいろいろな中傷めいた陰口も耳にはいってくることはあるが、夫も男である。それに人間である。生活にいろいろの変化がな
ければ、よい芸術も生まれるわけがない。ひとには、わからないかもしれないが、私たち夫婦の間では、おたがいだけが理解しあっている「道」を、静かに歩んでいる。二人がそれぞれの花を咲かせようと、暗黙のうちにはげましあいながら・・・・。 後半部分の手記より
〇この年、佐藤敬が絵付け皿「パリ(高1.5×径23.0)」を製作する。
   H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
〇この年、佐藤敬が「疑結波」を製作する。 H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1967 42 61 5月、佐藤敬が第9回日本国際美術展に「流転化石」を出品する。
5月、「現代の眼150号 グラフィック アートUSA展を見て」 小倉忠夫(作家訪問 佐藤敬氏)
6月、佐藤敬が「小説新潮 21(6)(276) 新潮社 p41〜42 」に「ずいひつ 餅やは餅や」を発表する。 pid/6074894
11月、「毎日グラフ臨時増刊 11/3号 太平洋戦争名画集 日本絵画史の一断面 アメリカ国防総省が押収した記録画」が掲載され佐藤敬が巻頭を寄せる。
  また、同号に「画家が残した日本の戦歴 押収されたフジタ(藤田嗣治) 写真にないリアリズム/鈴木進 戦争と作家/今 日出海」他 も掲載される。
1968 43 62 6月、佐藤敬個展(カンヌ、カバレロ画廊)で「神話の壁」「終りなき人間の壁1」「終りなき人間の壁2」等を出品する。
1969 44 63 5月、佐藤敬が第9回現代日本美術展に「内部の皮(第6回日本国際美術展)」を出品する。
1970 45 64 3月、佐藤敬が<万国博美術展-調和の発見->に「二重空間」を出品する。
4月、佐藤敬個展(パリ、ジャック・マッソール画廊)にグワッシュと油絵を出品する。

12月、「文芸春秋 48(15) 」が刊行される。 pid/3198289
表紙(真珠湾上空) / 谷井建三 /名画にみる太平洋航空戦--十二月八日の真珠湾 / 藤田嗣治 /名画にみる太平洋航空戦--野辺軍曹機の体当り / 中村研一 /名画にみる太平洋航空戦--万朶隊比島沖に奮戦す / 宮本三郎 /名画にみる太平洋航空戦--クラークフィールド攻撃 / 佐藤敬 /東京戦災焼失地図 / 高野橋康 /グラビア 神風--激闘写真集 /グラビア 本土空襲--東京・横浜・静岡・浜松・長岡・名古屋・四日市・大阪・神戸・呉・広島・長崎・八幡の各市を撮った衝撃の未発表写真集 /空を行く"死の兵器"の内幕 / 高木俊朗 /わたしと飛行機 / 糸川英夫 / ペラ屋開業まで / 糸川英夫 /生き残りの記 / 千宗室 /B17操縦の思い出 / 宇野十郎 / 空中戦に生きぬく法 / 坂井三郎 /帝都戦災焼失地図を作る / 植野録夫 / 海外にある日本の名機 / 碇義朗 / 二式大艇の設計係 / 南都雄二 / "特攻は統率の外道である" / 草柳大蔵 /グラビア 日本名機総集--第一線で活躍した陸海軍機の写真集 / グラビア ラバウル海軍零戦隊--零式艦上戦闘機のすべて /ラバウル零戦隊一つの始末記 / 高城肇 /植村中尉の遺書とその娘 / 実松譲 / イラスト 日本の名機 / おおば比呂司 グラビア 真珠湾攻撃--運命の開戦を刻一刻実写によって再現する /われ真珠湾上空にあり 座談会 / 淵田美津雄 ; 志賀淑雄 ; 松村平太 /名機とその設計者--零戦 / 松平精 /名機とその設計者--九九艦爆 / 尾崎紀男 /名機とその設計者--一式陸攻 / 本庄季郎 / 名機とその設計者--鍾馗 / 内田政太郎 / 名機とその設計者--飛燕 / 大和田信 /名機とその設計者--紫電改 / 菊原静男 / 名名機とその設計者--月光 / 永盛義夫 / 名機とその設計者--九七艦攻 / 中村勝治 / 名機とその設計者--彩雲 / 内藤子生 / 名機とその設計者--新司偵 / 久保富夫 /名機とその設計者--二式大艇 / 菊原静男 /米本土爆撃の水上偵察機 / 藤田信雄 / 新司偵とマラリア戦記 / 浅田晃彦 /ドキュメンタリー 本土防空戦 / 豊田穰 /
1971 46 65
1972 47 66 1月、佐藤敬個展(カンヌ、カバレロ画廊)に「青いピラミッド(1971)」「赤いピラミッド」「四幕物1」「太陽の蝕」他を出品する。
10月、佐藤敬がヨーロッパの日本作家展に「四幕劇1」他を出品する。

〇この年、佐藤敬が「青のグワッシュ」を製作する。  H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1973 48 67 5月、佐藤敬個展(パリ、ジャック・マッソール画廊)が開かれる。
6月、佐藤敬が<戦後日本美術の展開-抽象表現の多様化->展に「結晶天(1965)」を出品する。

〇この年、佐藤敬が「空間の通力」「グワッシュ」「Gouache’73」を製作する。
  H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1974 49 68 4月、佐藤敬個展(ローマ、セッティミアーノ・アートセンター)に「空間の通力」「四幕物」「太陽の蝕」他を出品する。
〇この年、佐藤敬が「Gouache’74」を製作する。  H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1975 50 69 12月、ラッカーゼ、ザック、佐藤敬の三人展がルクセンブルグ、ポール・ブルック画廊で開かれる。
〇この年、佐藤敬が「朝」を製作する。
  H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1976 51 70 1月、「版画芸術12 藤田嗣治、棟方志功、斉藤清特集号」が刊行される。
月14日、佐藤敬がパリより帰国する。
9月22日、新制作派協会満40周年祝賀パーティ(帝国ホテル)が開かれ、郷里の別府から上京出席する。
10月18日、佐藤敬がパリへ再び出発する。 
再確認要 2019・8・1 保坂
11月3日、勲三等に叙され、瑞宝章を授けられる。
11月、佐藤敬回顧展がパリ、ジャック・マッソール画廊で開かれる。
1977 52 71 月、佐藤敬個展(ルクセンブルグ、キュター画廊)。
9月、佐藤敬が<大分県立芸術会館記念―大分の美術千年展―>に「内部の皮(1960)」「結晶天(1965)」を出品する。
1978 53 72 1月、佐藤敬が<日本人画家のフランス体験青い眼・黒い眼展―エコールド・パリからアンフォルメルへ->(国立国際美術館に「内部の皮」「切線」を出品する。
4月11日、母親の病気見舞のため帰国。
5月8日、午後2時半、急性心不全のため別府市中央町5―17の自宅で永眠。
9月、第42回新制作展に「スペイン婦人(1931)」「本質について(1960~63)」「人間の壁(白)(1964)」「四幕物2(1970)」「″3(1970)」「″4(1970)」「二重空間(1970)」「空間の通力(1973)」が佐藤敬の遺作コーナーに陳列される。
7月、「芸術新潮 29(7)(343] 新潮社」に「
<オフセット> 佐藤敬の死 」が掲載される。 pid/6048594
〇この年、佐藤敬が「朝のグワッシュ」「遙かなる時間」「墨彩
(24.0×33.0)」「墨彩(49.1×32.0)」を製作する。  H25・佐藤敬展出品目録 (大分市美術館)より
1979 54 2月、佐藤敬遺作展が(パリ、ジャック・マッソール画廊)(パリ、吉井画廊)で開かれる。
4月、佐藤敬を偲ぶ展が(東京、吉井画廊)で開かれる。
4月、第33回サロン・デ・レアリテ・ヌーベル(パリ、ルクセンブルグ美術館)カタログに物故者して紹介される。
8月、佐藤敬遺作展(大分県立芸術会館)に油彩画60点、水彩画4点、墨彩画7点、グワッシュ11点、版画1点。計83点が陳列される。
8月、佐藤敬の自叙伝小説「遥
かなる時間の抽象」が「アドバンス大分社」から刊行される。
1980 55
1981 56 〇この年、佐藤美子がオペラ団体協議会会長に就任、オペラハウス建設に尽力する。
1982 57 7月4日、佐藤美子が、オペラの稽古中に発病、亡くなる。 横浜市西区久保山墓地に眠る。
1983 58
1984 59
1985 60
1986 61
1987 62
1988 63
1989 64
1990 平成2年
1991 3
1992 4
1993 5
1994 6
1995 7
1996 8
1997 9 10月、「心あたたまる12のクリスマスのおはなし」 <A Guideposts book> ガイドポスト編 ; 佐藤敬訳、いのちのことば社 1997.10 注:訳者の佐藤敬は同一人物かは未確認 2019・8・1 保坂
1998 10
1999 11
2000 12
2001 13
2002 14
2003 15
2004 16
2005 17
2006 18 12月、大分市美術館編「佐藤敬展 : 特別展生誕100周年記念 : 新たな創造を求めて・ピカソとの出会い」が刊行される。
2007 19
2008 20
2009 21
2010 22
2011 23
2012 24
2013 25
2014 26
2015 27
2016 28
2017 29
2018 30
2019 令和元年
2020 2
2021 3
2022 4
2023 5
2024 6
2025 7

まとめの途中
 1964に行なわれた、東京オリンピックのポスターは、単純の極みだと思っている。作者は佐藤敬ではないが、あのポスターの図柄は生涯忘れることはないだろう。
 あのポスターが公表された日のことを、私は昨日のことのように覚えている。学校に行くと美術の篠原先生が黒板にポスターの絵を画いて単純の素晴らしさを説いたのであった。それから歳月が過ぎ、ブルーノ・タウトの文学にも触れた。そして、また歳月が過ぎ、今年(2019)7月14日、姉に会いに行った帰り道に神田の古本屋で偶然、佐藤敬の「ピカソ素描集」に出会った。本は半分に割れ、破れていたので値段は何と300円で買えてしまった。
 その時から、佐藤敬とはどのような方だろうと思ったのである。私には未だ未だ分からないが、多分、板垣鷹穂との出会いが大きな力となったのではないかと考えている。あの表紙の文字の配列からすれば彼の発想力はただものではないと。これは私の新たなるテーマだと感心した。(2019・8・15)
 
参考
東京文化財研究所編「佐藤敬関連年譜(出典:『日本美術年鑑』昭和54年版(305-308頁) 」
前川清治著 相模川歴史ウオーク 東京新聞出版局 発行 2005年5月
    ー画家たちの疎開と芸術都市構想ー
丹羽文雄著「怒りの街」 八雲書房 発行 昭和24年11月30日
アサヒグラフ 昭和二十年四月二十五日號 朝日新聞東京本社
佐藤敬著「遙かなる時間の抽象」 潟Aドバンス大分 発行 昭和54年8月
小嶋洋輔・西田一豊・高橋孝次・牧野悠共著「【史料紹介】「小説と讀物」「苦楽」「小説界」―中間小説誌総目次」
(人文社会科学研究 第26号に所収)
美術新報 第四十七號  日本美術新報社 発行 昭和18年1月
三木清編集代表「比島風土記」 小山書店 発行 昭和18年12月15日

平成25年度 大分市美術館 年 報

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