資料 加藤武雄著、「襖の文字」を読む 2017・10・21 作成 はじめに 「襖の文字」に所収されている中に、「銀貨」と云う短篇小説がある。私はこの短篇を最初に読んだのは、地元で「加藤武雄生誕110年祭」を有志で行おうと勉強会を始めたのが平成9年の夏頃でした。 この年の6月、広田小学校の「ほたる観察会」の参加記念として「銀貨」の冊子を作り配布したこともありました。また同年11月には「加藤武雄文庫 第1集」として「合掌」、「銀貨」、「郷愁」を収めた短編集
「加藤武雄生誕110年祭」では、山梨の文学館にバス旅行を企画したり、手作りの冊子のことなども懐かしさに溢れました。 その後、町田市で開かれた八木重吉展との関連もあって、町田文学館「ことばらんど」のご協力を得、洋館風な加藤武雄の生家に御一緒させて戴き、襖に書かれた念願の漢詩を観賞することができました。 2016年、秋から始まった「八木重吉 ーさいわいの詩人ー展」は大盛況の内に閉幕しましたが、始まる前の、あの調査の現場に立ち会えたことを今でも感謝しています。学芸員の決して表には出てこない、あの下向きな努力あってこそ、あのように感動的な、人の心を打つ企画展になったのだと、今でも思っています。
撮影協力:町田市民文学館ことばらんど 襖の文字(全文 ) この一言に関してだけは、私は幸福な人間だと思ふ。この一言といふのは、私が此の齢(とし)になって、まだ両親をもってゐる事である。父は八十歳、母は八十二歳、尚ほ矍鑠(かくしゃく)として―――とは云へないが、兎に角、丈夫で、故國の土を守ってゐるのである。 何を隠さう。私は数年前からもう祖父になってゐる。お祖父さんと云はれるのが可厭(いや)で(おおきなパパ)などと呼ばせてゐたのも二三年前までの事、今では冑(かぶと)をぬいで、いさぎよく(お祖父さん)といふ稱呼を承認っしてしまった私だが、その私が、母の前に出ると依然として子供なのである。たま(く)田舎にとまりに行くと、「御飯は喰べられるかえ。」「寝冷へをしはしないかえ。」などと、うるさいほど気をつかって呉れる母の眼には、私は、まだ膝に眠る赤ん坊と同じに見えるに違ひ無い。平凡な母、愚かな母、どうひいき目に見ても愚痴無智の一女性に過ぎぬ母であるが、この位愛情に豊かな母は他(ほか)に無いやうな気がする。盲愛、溺愛、※舐犢の愛、などと批判的に苦笑した時代もあるが、老いと共に※世路の辛酸やうやく骨に徹せんとする今、この盲愛、溺愛、舐犢の愛のありがたさが、身にしみじみと感じられる。 ※舐犢(しとく):「後漢書」楊彪伝から》親牛が子牛を愛して舌でなめてやること。転じて、親が子をむやみにかわいがること。「舐犢の愛」 ※世路(せいろ):世の中を渡っていくこと。また、渡る世の中。せろ。 「―の辛酸人情の向背を心得たる男」〈露伴・寝耳鉄砲〉 感情は、涙もろい母――私は、はやくから、自分の裏(うち)に、此の母を発見してゐた。父を発見したのはずっとおそくなってからである。 母が火ならば父は水である。父は、穏やかな人、静かな人、いつもにこ(く)とした和親の人で、※ク黨の間に、育徳の君子と目され、多少貶稱的に好人物を稱されてゐた。祖父の代からの※疲弊を受けて、遂に家産を※蕩盡した父の生涯は、明らかに失敗の生涯であった。しかし、どんな失敗も、父の楽天的性格をそこなふ事は出来なかった。父は難破船の※檣(ほばしら)にすがりながらも、なほ、小手をかざして水平線の彼方を望む事を忘れない人であった。よし、それが一片の※雲翳(うんえい)に過ぎなかったとしても、父にとってはそれが希望の陸地であった。 ※ク黨(きょうとう):その人のふるさと。また,ふるさとに住む人々。 「 −の鬼才といはれた/山月記 敦」 ※疲弊(ひへい):1.つかれよわること。 2.経済的に窮乏すること。 ※蕩盡(とうじん):財産などを使い尽くすこと。 ※雲翳(うんえい):雲で空が曇ること。空のかげり。曇り 「なあに、おれはまだこれからだで、お前は文学をやってゐるが、文学は金(かね)には縁の無い仕事だ。おれが一つ盛りかへして、お前をみついでやるて。」 私の仕送がなければ、その日が過せないやうな状態の中でさへ、父は、私の顔を見ればいつもさう云ってゐた。 「どうぞ、然(そ)う願ひますよ。」 私は、ユウモラスに笑って見せる外無かった。が、私は最近になって、私の裏に、さうした一面のあることを自覚した。苦労性の私だが、一面へんに呑気なところがある。他目(よそめ)にはおかしからうが、私は、今でも、まだこれからだと思ってゐる。「絶望」といふ文字は、私の辞書には無いのだ。私は。私の裏に、この父を発見し得た事をうれしいと思ってゐる。 ところで、もう十数年前の事になるが、私は父の為に一軒の茅屋を造って、これを父に献じた。廣い屋敷跡の大半は桑畑になり元の納屋をとりつくろった假の住宅に久しくすまはせてゐたのだが、兎も角も、新居をしつらへて、そこに両親を安んじる事が出来たのである。 父は、非常に喜んで呉れた。 「※樹静かならんとすれば風止まず、といふ言葉があったな。おれは、此の家に静樹軒といふ名をつけようと思ったわい。」 父は、ほく(く)した調子で斯う云ったが、――そして、それほど喜んで貰へた事は大へんに嬉しかったが、しかし、私は、一方では妙にわびしい氣がした。こんなお粗末な小っぽけな家が、父のこの大きな歓びに値するのであらうか。こればかりの事を、そのやうによろこぶ父が何だかみじめな氣がすると共に、こんな事で父がよろおこびを買ひ得て満足してゐる自分なのかと、自分自身に對しても堪えがたいみじめな氣持ちがした。 「なあに、お父さん。こんなけちな家は當座の凌ぎと思って下さい。今にもっと大きな家、昔の家に負けない位の家を建てゝあげますよ。」 「なあに、これで十分――部落(むら)にゃこんないゝ家は一軒もないぞ。」 私の安価な孝行を、非常に高価なものとして受取って呉れた父の喜びの顔を、私はかなしいものに眺めながら、父も老いたと心の中でなげいたのである。 それから三四日経ってから、私が歸省した時、父は私を座敷へ導いて、 「まあ、これを見て呉れ。」 と襖を指して見せた。 「眞白ですこし淋しいと思ったので、かういうものを書かせた。字が大き過ぎたので、少し騒々しいかな。」 次の間をしきる一枚の襖には※墨痕淋漓として、一扁の詩が揮毫されてゐた。旅の書家に書かせたといふのだが、なか(く)立派な文字であった。 「お前も覚えてゐるだらう。才文眞實の中にある詩だ。」 ※樹静かならんとすれば風止まず:韓詩外伝「樹欲レ静而風不レ止、子欲レ養而親不レ待矣」〕 親孝行をしようと思うときには、すでに親はこの世にいない。親が生きているうちに親孝行をせよとの戒め。風樹の嘆たん。 ※墨痕淋漓(ぼっこんりんり):筆で書いた文字が黒々と、生き生きとして勢いのあるさま。 私は讀んだ―― (二月に新糸(しんし)を賣り、五月に新穀(しんこく)をうりよねす、心頭(しんとう)の肉(しし○むら)を○却(わんきゃく)して、眼前の瘡(きず)を醫(ゐ)し得(え)たり、我は願(ねが)ふ君王(くんわう)の心、化(か)して光明(くわうめう)の燭(しょく)となり、綺羅(きら)の筵(むしろ)を照らさず 扁(あまね)く逃亡(とうばう)の屋(おく)を照らさんことを。) ※○却:宛+リの合字 1.えぐる。刀でえぐり取る。 2.けずる。 卻 ※光明(くわうめう):1 あかるい光。光輝。2 あかるい見通し。希望。「前途に光明を見いだす」 ※燭(しょく):1 ともしび。あかり。「 ※綺羅(きら):1 美しい衣服。羅綺。「綺羅をまとう」 2 外見が華やかなこと。また、うわべを装い飾ること。 「綺羅を張る」「綺羅を競う」 3 栄華をきわめること。権勢の盛んなこと。 ※筵(むしろ・えん):1 むしろ。敷物。 2 座席。会合などの席。酒宴の席。 ※扁(あまね)く:[副]《形容詞「あまねし」の連用形から》もれなくすべてに及んでいるさま。広く。一般に。 注 実際の襖の文字は 彳+扁の合字 農民の※窮苦を説いて、為政者の※猛省を促した詩である。 父は※微吟して見せて、 「一寸いゝ字だらう。」 とさりげなく云ったが、そのいつにない厳粛な顔に、(私は心はこの詩の中にあるのだ)とかう云ってゐるやうに思はれた。 私は、千丈の巖となって私の眼の前に聳え立ったやうに思はれたのである。 父が七十の聲をきいてから、懇請されて村長となり、疲弊しつくした村の、村政を※擔任したのは、それから間もなくの事である。 約十年村長の職にあった父は、最近引退して静かに老を養ってゐる。 私は、近頃、今よりも頻繁に帰省の機會をもつやうになったが、襖の私字はその度毎に私の心を撃つのである。その一字々々が私を※叱咤し※警策する。 (※一身一家の中に※かまけてゐる時ではないぞ!) ※窮苦(きゅうく):1 行き詰まって苦しむこと。困窮。 2 貧乏。貧困。 ※猛省(もうせい):きびしく反省すること。「猛省を促す」「今までの態度を猛省する ※微吟(びぎん):小声で詩歌をうたうこと。 ※擔任(たんにん):1.責任を持ってその仕事を引き受けること。また,受け持った仕事。担当。 2.学校で,教師があるクラス・教科などを受け持つこと。また,その教師 ※叱咤(しった):1.大声で叱ること。 2.大声で励ますこと ※警策(きょうさく):禅堂で用いる用具。「けいさく」ともいう。木製の扁平な,長さ 1.2mほどの棒で,修行者が坐禅中に睡気に襲われたとき, また自分の精神を鼓舞させたいときに巡回中の僧にこれで打ってもらう。。 ※一身一家(いっしん・いっか):1 一人のからだ。一人の人。2 自分一人。おのれ自身。3 全身。自分の命。 1 一つの所帯。一つの家族。2 家族全体。家じゅう。 福沢諭吉『人間は、ただ一身一家の衣食が足りていることで満足してはいけない。』 ※かまける:そのことだけにかかわって、他をなおざりにする。 まとめ 昭和2年、故郷の老親のために外観洋風の家を建てる。 もうかなり前のことになるが、こんなことを云われたことがあった。「みんな自分のことが精一杯なのによくやるなあ」と、私は苦笑いをしながら「いやあ」と云っていつものところへ行った。「ほたるの案内所」だった。17年も続けることができた。ほたるについての増殖研究も続けたが、それよりも、ほたるが生きて行けるための生態系研究に重きをおいた。文字にすれば心地のよい言葉かも知れないが、実際は厳しいものだった。でも踏ん張って、踏ん張りぬいた。会員も家族も頑張った。 今の私に何ができるだろう、「一身一家」のことばかりを考えていないか、そして、甘えていないか。「襖の文字」の中に、「警策する。」とあった。「一寸いゝ字だらう。」と、私も遂に、そんな年になった。これから先のことは、ひとつの天分として考えて見るのも、みうらじゅんさんではないが、『スゲェー、(運慶)面白い』かも知れない。 「加藤武雄著 襖の文字 昭和21年7月 発行 文学社」より 教科書に載った加藤武雄 加藤武雄と一瀬豊・農民文学の扉 加藤武雄の「叛逆」を読む 加藤武雄の投書時代 「二月会」と加藤武雄 戻る |