資料「木喰上人作木彫佛」本の世界を訪ねて
pid/1014413 mokujikisan-kibori.html jpg/kibori1(解説No1〜103)
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はじめに
私が、高校一年の秋、一番終いの姉が結婚式を挙げた。そして、その日から、数日して二人の住む飯田の家に招かれた。緊張して炬燵に座りながらキョロキョロと辺りを眺めていると、妙に微笑んでいる仏像が床の間に置かれているのに気がついた。お兄さんから、その仏像の話を聞いた。古関のIさんと云う一寸変わった大工さんが彫ったものだと聞いた。
私の木喰佛に対する最初の感動は、この時から始まったが、柳宗悦たちの見た最初の感動もまた同じか、いや、それどころか、それ以上のものだった信じている。何しろ※木喰佛の発見から、このような豪華な本の※完成までに何と、一年半と云う短い歳月で完成させてしまったのである。それどころか「木喰上人作木彫佛」本のどこを切っても、どこを眺めても躊躇したところがない。作者自身から溢れ出す思う存分の世界が伝わって来るのである。
四ツ切写真を104枚も組み入れた豪華な写真集は当時としても見事なもので、それは凡例に記されている内容からも十二分に窺うことができる。
私はこの「木喰上人作木彫佛」本の実際を未だに手にしていない。それどころか、ひと抱えもあるこの豪華な本の最初に見た時期を残念ながら忘れてしまったのだ。ただ、なんどなく覚えているのは、「薄暗い展示場の中にあった。」とだけ記憶している。しかも、展示ケースには鍵が掛かっていて、その豪華な本の表紙だけしかガラス越しに見ることが出来なかった。本の中味は全く分からないままだ。
いつか、この豪華な「木喰上人作木彫佛」本を手に持って見たい、そして、その感触に触れて見たいと、ますますに思っている現状でいます。
不思議な本だと思う。通り過ぎる本の中で、あの時に見た、あの薄暗い会場の中で、あの本が光明の光のように感じてならないでいる。
※柳が最初に小宮山邸で見た木喰佛 大正13年1月9日
※木喰上人作木彫佛の発行日 大正14年7月30日 |
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凡例
1 圖版はほゞ年代順に配列してある。
1 ※啻(ただ)に佛像のみならず、上人の建立にかゝる堂、縁ある寺社、併びに書畫軸をも挿入した。
1 彫刻の撮影は細心の注意を要する。私は能ふ限り之に意を用ゐた。
1 若し此出版が受け容れられるなら、私は第二巻を準備するつもりでゐる。
私達の手にある寫眞版は既に五百枚にも達してゐる。
1 装幀は私自身が擔當した。甲種製本に用ゐし昔の模様は、五輪塔と阿字と卍字。
その背皮は甲州産の印傳である。
見返し用紙は市川大門紙。布は郷土的産物を用ゐた、之に關しては川勝竪一氏の尽力を受けた。
1 製版は大塚稔氏の好諠により、一切の用務は式場隆三郎君の勞に負ふた。
又出版に對する資財は小宮山清三氏等の配慮を受けた。 竝にそれ等の諸氏に對し衷心の感謝を献げたい。
※啻(ただ)に:ただ。ただに。否定・反語の言葉の下について、そればかりでない意を表す。 |
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(仮)※目次
扉 種子木喰上人作 木彫佛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
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限定盤 三百冊之内 木喰五行研究會 蔵版 種第 番・・・・
上人の靈に捧ぐ 柳宗悦 ・・・・・・・・・・・・・・・・
心願 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
序 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
凡例 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上人の一生と其遺作・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一 前半生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二 日本廻國・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三 三千躰佛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四 行實・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五 解説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一〜一〇三・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(奥付)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(広告)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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※目次がなかったため扉を仮に1として付与しました。 2022・5・24 保坂 |
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掲載された写真内容と解説番号が途中から違っていた。
原因は解説番号No24に掲載された「弘法大師」像の次の「弘法大師」像拡大図に解説番号が付与されていなかったためだった。私は、このホームページだけでもと便宜状24−1、拡大図に24−2と付与することで全体ページのズレをなくそうとした。それで解説番号の最終がNo103であってもNo24−2を付与したことで最終がトータル104で落ち着いた。
但し、此の豪華本には最初からページ数が付与されていなかったので読者は勿論なこと、製本者も間違い易かったと思う。
「弘法大師」像と解説番号がなかった(欠番)「弘法大師」拡大図
No24−1 弘法大師 No24−2 弘法大師(拡大図)
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解説No |
コマNo |
写真 |
解説文等 |
事項 |
1 |
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薬師堂 栃木県上都賀郡菊澤村字栃窪 |
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薬師堂、仏壇 |
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薬師堂 薬師大咒 安永九子十二月八日四ツ時 作
日本廻國行者(行道花押) 丈 二尺四寸五分 |
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薬師堂 薬師大咒(拡大図) |
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5 |
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薬師堂、十二神将 |
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薬師堂、十二神将 |
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・ |
7 |
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薬師堂、十二神将 |
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8 |
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薬師堂、十二神将 |
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9 |
21 |
薬師堂、十二神将 |
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10 |
22 |
達磨大師 佐渡國両津町字谷垣 吉祥寺
丈 二尺六寸八分 |
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11 |
23 |
如意輪観世音 佐渡加茂村白瀬 高野甚左衛門所蔵 |
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12 |
24 |
九品堂 佐渡國加茂村大字梅津小字平澤 |
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25 |
九品佛 |
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14 |
26 |
九品佛 |
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15 |
27 |
自刻像(九品堂内に安置) 丈 一尺七寸
天明五巳三月十五日
慈眼□(シ)衆生 出生甲斐國主
奉納大乗妙經 日本回國 ※年五十八才
福集海無量 木食行道 |
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自刻像(拡大図) |
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17 |
29 |
空藏普賢菩薩 諏訪郡本郷村乙事広隆寺
天明六年四且4日作 丈 三尺六寸
象の上に座る。 |
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18 |
30 |
十一面観世音菩薩 諏訪郡宮川村田澤真言宗社宮寺
天明六午四月八日作 丈 三尺一寸 |
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19 |
31 |
不動尊 日向國児湯郡三財村靴馬寺
寛政元酉十一月廿八日 丈 一尺一寸 |
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・ |
20 |
32 |
大日如来 五智如来の内 |
稿本「四國堂心願鏡」に云ふ、「九州修行ノ節ニイタッテ、日向ノ國分寺ニ、ヨン所ナキインエン(無拠因縁)ニヨッテトドマリテ、住シヨクイタシ、三年目ノ正月廿三日ニシユ火(出火)ニアイ、ソレヨリ七年ケ間、ナンキャウクキヤウ(難行苦行)ニテ、ガランコンリュウ(伽藍建立)成就シテノチ、寛政九己歳四月八日ニ國分寺出立ス」(略) |
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33 |
釈迦如来 日向國国分寺 五智如来の内 |
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22 |
34 |
釈迦如来(拡大図) |
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23 |
35 |
阿〔シュク〕如来 日向國国分寺 五智如来の内 |
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24-1 |
36 |
弘法大師 日向國国分寺 丈 二尺一寸 |
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24-2 |
37 |
弘法大師(拡大図) |
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38 |
唐獅子台 日向國国分寺 丈一尺八寸四分 |
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26 |
39 |
釈迦如来 宮崎郡佐土原釈迦堂
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旧同地 全栢寺の境内にあったが明治10年西南の役で焼かれ、上人の作になる本尊も僅かに頭部及胴體のみを残すに過ぎぬ。
顔部二尺 胸部三尺五寸 |
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27 |
40 |
若宮八幡宮 長州阿武郡山田村東本間
寛政九己歳九月七日より滞留八日間に隋神尊を刻む |
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28 |
41 |
随神尊 若宮八幡宮祭壇に向かって右側に安置 八十才
「随神尊 國土國中萬民安泰 日本千躰の内日本廻國八宗一見
天一字在法門 木喰五行菩薩」
寛政九年九月十二日成就 丈三尺二寸五分 |
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・ |
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42 |
随神尊 若宮八幡宮祭壇に向かって左側に安置
寛政九年九月十四日作 丈三尺三寸 八十歳 |
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30 |
43 |
立木薬師 長州阿武郡福川村字福井下榎屋 願行寺
(カヤ) 寛政九巳歳十二月頃 |
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31 |
44 |
信盛寺 長州阿武郡紫福村土井 |
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32 |
45 |
弘法大師 信盛寺境内丘の上の観音堂に安置
寛政十午歳二月十八日成就ス |
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33 |
46 |
釈迦如来 信盛寺境内丘の上の観音堂に安置
南無釈迦如来 國王國中父母安楽
寛政十午年二月廿一日カク 丈 二尺九寸二分 |
,. |
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47 |
子安観世音 厨子内に安置
周防國山口町下竪小路法界寺
南無子安観世音 寛政十午歳十月十一日成就
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祠 愛媛縣宇摩郡中之庄光明薬師堂の境内
右に封じられてあるのは如意輪観音、左にみゆるのは立木子安観音。
奉納 観世音菩薩(略)寛政十一未六月廿八日」
如意輪像 丈 二尺八寸九分
立木子安観音 二尺一寸五分 槇の立木 |
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49 |
閻魔王 十王堂 遠州引佐郡
寛政十一年暮れ 丈一尺八寸」前後 |
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葬頭河婆 十王堂 丈 一尺七寸五分
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51 |
聖徳太子 駿州岡部町 光泰寺
寛政十二年七月五日 丈 三尺七寸
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52 |
聖徳太子(拡大図) |
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40 |
53 |
薬師如来 駿州岡部町 梅林院
寛政十二年八月八日作 丈 三尺三寸
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54 |
子安観世音 駿州安倍郡長田村手越泉秀寺
寛政十二年八月二十二日作 丈三尺 |
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55 |
大黒天神 駿州安倍郡長田村手越泉秀寺
寛政十二年八月二十三日作 丈 二尺九寸五分 |
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56 |
和歌軸 八十三才筆
寛政十二年九月上人は甲州西八代郡河内村帯金にある浄仙院の
客となった。此一軸はその折書かれたものと考へられる。
村松志孝氏蔵。 長三尺、巾八寸八分
壽 長久は ながくひさしき わか心
心にとへば いつも長久 |
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44 |
57 |
丸畑全景 木喰上人の生まれ故郷
甲斐國西八代郡古関村 |
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58 |
永壽庵 甲斐國西八代郡古関村丸畑 |
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46 |
59 |
阿〔シュク〕如来 永壽庵五智如来の内
丈 二尺八寸五分 |
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彌陀如来 永壽庵五智如来の内 |
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61 |
釈迦如来 永壽庵五智如来の内 |
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49 |
62 |
山神 永壽庵の背後、小高い丘の上の村の神社
寛政十三酉□二月廿一日 丈 二尺二寸 |
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63 |
山神(拡大図)
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51 |
64 |
自刻像 甲斐國西八代郡古関村丸畑
「五行菩薩自身之□像、日本□國八宗一見之図、
寛政十三酉二月廿四日成就ス」 丈 二尺四寸五分 |
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65 |
自刻像(拡大図) |
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53 |
66 |
自刻像(拡大図) |
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67 |
弘法大師 寛政十三酉歳三月八日丈 一尺八寸
南無大師遍照金剛
小宮山清三氏所蔵 |
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68 |
弘法大師(拡大図) |
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56 |
69 |
八十八躰佛 祠
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凡ての丈凡そ二尺三四寸である。作られしもの「釈迦如来」五躰、「阿弥陀如来」十躰、「大日」六躰、「地蔵」六躰、「薬師」最も多く廿三躰、つぎに「千手」十三躰、「十一面」十躰、「聖観音」四躰、「虚空蔵」、「不動尊」各々三躰、「馬頭」、「文殊」、「彌勒」、「毘沙門」、「大通智勝佛」各一躰づゝである。是等の一群は凡て離散する不幸を見たが、今日迄発見せられたものの殆ど七十躰。凡ては個人の有に帰した。 |
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, |
・ |
57 |
70 |
地蔵菩薩 寛政十三年四月 八十八躰佛の内
小宮山氏より余に贈られしものであって、 |
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八十八躰佛 |
58 |
71 |
千手観世音菩薩 八十八躰佛の内
四月作 柳宗悦蔵 |
, |
八十八躰佛 |
59 |
72 |
地蔵菩薩 八十八躰佛の内
五月八日作 菅原誠延氏蔵 |
, |
八十八躰佛 |
60 |
73 |
地蔵菩薩 五月十三日作 菅原誠延氏蔵 |
, |
八十八躰佛 |
61 |
74 |
不動尊 八十八躰佛の内。
作月日消失 研究會蔵 |
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八十八躰佛 |
62 |
75 |
不動尊(拡大図) |
,, |
八十八躰佛 |
63 |
76 |
十一面観世音菩薩 北村甚三郎氏像
作年月は消失しているが、恐らく七月一日の作であらう。 |
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八十八躰佛 |
64 |
77 |
薬師如来 九月二十八日作。 細川保平氏蔵 |
, |
八十八躰佛 |
65 |
78 |
馬頭観世音菩薩 小林源吉氏蔵。
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上人は十一月十八日と記したが十月の誤であらう。丸畑南澤に残された内佛八個の内の一つである。 |
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八十八躰佛 |
66 |
79 |
釈迦如来 十一月二日作。 菅原誠延氏蔵 |
, |
八十八躰佛 |
67 |
80 |
阿弥陀如来 十一月六日作。 菅原誠延氏蔵 |
, |
八十八躰佛 |
68 |
81 |
奉納額 丈 九寸四分 巾 二尺二寸五分。
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四國堂に奉納せられたものであって、今は丸畑岩松正吉氏の蔵である。 |
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奉納
四國どふ ぼだいのみちは とふくとも
ちか道なれば あむあみた佛
享和※二酉十一月晦日 八十五才
天一自在法門 木喰五行菩薩
※二酉→元酉 ・ |
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82 |
三十三躰佛 新潟県古志郡東山村小栗観音堂
八十六才 |
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83 |
馬頭観世音菩薩 三十三躰佛の内。 |
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千手観世音菩薩 三十三躰佛の内。 |
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85 |
聖観音菩薩 三十三躰佛の内。
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三十三躰佛 |
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86 |
眞福寺山門
新潟縣刈羽郡上小国村太郎丸新浮海禅林眞福寺
享和三亥三月末、小栗山から此寺に入る。 |
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87 |
二王尊 山門に向かって右側に安置される。
享和四子四月二十一日作 丈八尺 |
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二王尊(拡大図) |
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89 |
二王尊 山門に向かって左側に安置される。
享和四子五月二日 成就。 丈八尺 |
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二王尊(拡大図)
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91 |
立木観世音 同地太郎丸保坂庄助氏の庭に刻みしもの。
五月十八日作。 丈二尺二寸 材は梨
既に木は枯れ去った爲、今は眞福寺境内大悲閣に勧請してある。 |
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92 |
立木観世音(顔部拡大図 ) |
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93 |
金毘羅大権現 眞福寺厨子内に安置。
享和四子八月十三日 丈一尺六寸八分 |
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81 |
94 |
龍水軸 太郎丸保坂庄助氏の末□上坂正男氏蔵
丈一尺二寸 巾 一尺八寸二分。 |
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95 |
閻魔大王 新潟縣刈羽郡琵琶島村澤田 十王堂
文化元年十一月十三日作 丈三尺一寸 |
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96 |
葬頭河婆新潟縣刈羽郡琵琶島村澤田 十王堂
文化元年十一月十五日作。 丈二尺三寸 |
, |
・ |
84 |
97 |
葬頭河婆(拡大図)
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, |
・ |
85 |
98 |
米壽自画像 |
上人、八十八歳 正月元旦 版木にして印刷、人々に贈る。
木喰の 身は はちぼくや あけのはる
おもしろそうな ぎょけいなりけり |
86 |
99 |
道元禅師 大洲村洞雲寺にあったが今は中村藤明氏蔵
永平開山道元大和尚
文化二丑正月二十二日作 丈 二尺二寸二分 |
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87 |
100 |
道元禅師(拡大図) |
, |
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88 |
101 |
頻頭慮(びんずる)尊者 枇杷島村十王堂内
文化二年二月十一日 刻む 丈 一尺八寸五分 |
, |
・ |
89 |
102 |
興教大師
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琵琶村を去って中頸城郡米山村大清水大泉寺に入った。此寺に止まる事凡そ二十日間。その間に五六の作を残したが多くは散逸せられた。 |
文化二丑三月七日 丈 二尺七寸八分
※西巻進四郎氏所蔵 ※大正四年11月 柏崎町消防後援隊長 |
, |
・ |
90 |
103 |
加哩尊者 十六羅漢の内 東頸城郡保倉村大平 大安寺
文化二年四月廿二日作
丈 二尺二寸 八十八歳 三体のみが残る |
廿 |
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91 |
104. |
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蘇頻陀尊者 十六羅漢の内 保倉村大平 大安寺
文化二年四月廿四日作 丈 二尺二寸八分 |
, |
・ |
92 |
105 |
那迦犀那(ながせな)尊者 十六羅漢の内
保倉村大平 大安寺
文化二年四月廿四日作 丈二尺二寸二分 |
, |
. |
93 |
106 |
自刻像 文化二丑歳五月十二日作 八十八歳
丈 二尺二寸四分 |
. |
. |
94 |
107 |
自刻像(拡大図) |
.. |
. |
95 |
108. |
和歌軸
新潟縣古志郡東山小栗山 廣井喜助氏像
長さ二尺五分 九首 |
木喰の衆生さいどは なにやらむ
唯(ただ)堪忍が 修行なりけり
木喰に みなたあまされて きてみれば
佛法僧の 浄土なりけり
木喰の衆生 さいとの 一念は
身のこんなんも いとはさりけり
木喰の はだかの姿た なかむれは
のみや しらみの ゑじきなりけり
木喰の けさや衣は むしろこも
きたり すひたり のじゅくなりけり
木喰も 世にすてられて 身をすつる
みらひ おもへば なむあみた佛
木喰も 道にはまよふ はらはへる
こよひはこゝに からの だんじき
木喰も いずくのはてか 行だをれ
いぬかからすの ゑじきなりけり
木喰の かたみのふても なむあみだ
かへす〔く〕も なむあみた佛
文化二牛歳五月廿三日 八十八才
天一自在法門 木喰五行菩薩 (花押)
.. |
96 |
109 |
薬師畫像 文化三寅八月四日ニコレヲカク
巾二尺二寸一分、丈五尺四寸五分
伊藤瓶太郎氏の家に傳はる |
薬師如来像台座下に記された和歌
儒 しすめしすまる あめかした
日月清明 國土
佛 國々の おきて おふほう 御せいさつ
おそれぬ人は あやうかりけり
神 天等の信との道を わすれすは
一も二もなし すぐに そく心
心願(省略)
木喰の 衆生さいどは なにやらむ
誰かんにんが 修行なりけり
木喰も 衆生のめしが くひたらで
又出てくゑは はらもぼてれむ
けさや衣は やぶれても
まだ本願は やぶれさりけり
かたみのふても なむあみだ
かへす〔く〕も なむあみた佛
天一自在法門
木喰 八十九才
五行菩薩(花押)
.. |
97 |
110 |
如意輪観世音大士 金手町浄土宗教安寺七観音
文化五年四月十四日
丈はほゞ同じく皆二尺四寸餘り。 |
九七、九八 如意輪観世音大士
文化五年三月末、九十一歳の上人は甲府に錫を留めた。上人を迎へしは金手町浄土宗教安寺の観誉上人。此寺に今日形見として七観音が残る。驚くべきは佛躰裏に記されたる文字。上人は既に千躰佛を成就し、更に「二千躰」の心願に入った。而も名を悉く改め 「神通光明 明満仙人」 と自著した。上人は僅か三日間に是等の七躰を刻み終った。丈ほゞ同じく皆二尺四寸餘り。年を経て□ぶり。保存悪く甚だ虫に痛む。此如意輪像を刻みしは、四月十四日。
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98 |
111 |
如意輪観世音大士(拡大図) |
99 |
112 |
千手観世音大士 金手町浄土宗教安寺七観音
文化五年四月十四日作
丈はほゞ同じく皆二尺四寸餘り。 |
|
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100 |
113 |
聖観世音大士 金手町浄土宗教安寺七観音
文化五年四月十五日作
丈はほゞ同じく皆二尺四寸餘り。 |
|
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101 |
114 |
十一面観世音大士 金手町浄土宗教安寺七観音
文化五年四月十五日作
丈はほゞ同じく皆二尺四寸餘り。 |
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102 |
115 |
子安観世音大士 金手町浄土宗教安寺七観音
文化五年四月十六日作
丈はほゞ同じく皆二尺四寸餘り。 |
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103 |
116 |
馬頭観音大士 金手町浄土宗教安寺七観音
文化五年四月十六日作
丈はほゞ同じく皆二尺四寸餘り。 |
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(奥付)
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参考
七観音を奉納した甲福山教安寺について甲斐国志(全文) 甲斐国志は文化十一年に成立
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一甲福山教安寺(金手町)同宗知恩院末安栖院ト称ス境内除地三千坪開山教運社便誉提椿永正元年創建ス神祖御曽祖父信忠君曾テ寺内ニ御入アリ安栖院ヲ営ミ御住居、享禄四年七月廿七日逝去、乃チ
安栖院殿ト謚ジ奉ル便誉御導師タルニ因リテ葬式場ヲ賜ハル今ノ境内即是ナリ御宝塔ハ御参州ヘ引取ラレシ由云伝フ今猶 安栖院ヲ院号トセリ便誉ハ天文元辰年三月十六日寂年八十七(又七(ナラ)沢)本光寺河内法蔵寺ヲ創ス)(略)本堂(類焼後未造立)本尊阿弥陀(長弐尺五寸)降天善道大師ノ像(五世岌往、永禄十一年辰年三月黒駒善導原ニ於テ感得スル所是ナリ)(略)墨画観音(勿慶筆也)弥陀三尊(帳思慕筆)日蓮宗僧徒法衣ノ片袖(於駿府御城内浄土宗、日蓮宗対論ノ時日蓮ノ徒答話ニ不及依之師弟六人ノ法衣ヲ剥キ取リ末寺諸山ニ配分ス増上寺十二世観智国師ノ添場アリ)(略) |
(松平)信忠公御由緒記(和本)
大きさ、容量等 5丁 ; 27cm/部分タイトル 三河国大樹寺にある松平信忠の墓銘、その他を記したものである。
所蔵: 静岡県立中央図書館/〒422-8002 静岡市駿河区谷田53-1 電話:054-262-1242(代表)
関西美術会展覧会出品目録 明治36年 村上勘兵衛 編 山田芸艸堂[ほか] 1903/pid/850323
水彩画 夕日 牧野克次
水彩画 海浜 牧野克次
水彩画 海浜 牧野克次
水彩画 秋の墅 牧野克次
水彩画 ◇干 牧野克次
水彩画 出島の海浜 牧野克次
水彩画 暁露 都島英喜
水彩画 夏の日 都◇英喜
水彩画 鐘楼 都◇英喜
水彩画 河岸 都◇英喜
水彩画 山門 都◇英喜
水彩画 鴨川の夕 都◇英喜
水彩画 八阪の塔 都◇英喜
水彩画 森 都◇英喜
水彩画 夕日の秋の山 浅井忠
水彩画 春の日 浅井忠
水彩画 春のロアン橋 浅井忠
水彩画 垂水の浜 浅井忠
水彩画 ロアンの春水 浅井忠
水彩画 香港の雨 浅井忠
水彩画 ホンテヌブローの若葉 浅井忠
水彩画 ホンコン及コロンボ 浅井忠
水彩画 冬のロアン橋 浅井忠
水彩画 ボアードフーローニユ公園 浅井忠
水彩画 秋林 浅井忠
水彩画 巴里の公園 浅井忠
水彩画 グレー古城 浅井忠
水彩画 垂水の浜 浅井忠
水彩画 シナイ山及びマルタ島 浅井忠
水彩画 淡路島 浅井忠
水彩画 秋林 浅井忠
水彩画 ソコトラ島 浅井忠
水彩画 春の芽出し 浅井忠
水彩画 セーブルの春 浅井忠
水彩画 グレーの黄昏 浅井忠
水彩画 寒林 浅井忠
水彩画 樹陰の山羊 浅井忠
水彩画 洗濯揚 浅井忠
水彩画 ホンテヌブロー公園 浅井忠
水彩画 ロアン川 浅井忠
水彩画 水車小屋 浅井忠
水彩画 出町の柳 ◇巻◇一
水彩画 鴨川 ◇巻◇一
水彩画 郊野 ◇巻◇一
水彩画 比叡山 ◇巻◇一
水彩画 夏の森 石川一
水彩画 松並木 石川一
水彩画 葵橋の秋 市村◇
水彩画 寺の暮 中林僊
水彩画 白川の渓流 中林僊
水彩画 林中の小路 中林僊
水彩画 知恩院 中林僊
水彩画 初夏 井上悌蔵
水彩画 夕陽 井上悌蔵
水彩画 農家 井上悌蔵
水彩画 野路の朝 井上悌蔵
水彩画 八瀬の秋 井上悌蔵
水彩画 晩暉 井上悌蔵
水彩画 祠畔 新井謹哉
水彩画 裏口 新井謹哉
水彩画 秋 新井謹哉
水彩画 上加茂の森 大塚知三
水彩画 朝顔 大塚知三
水彩画 八瀬の秋 大塚知三
水彩画 六甲山遠望 浅野快川
水彩画 納戸 浅野快川
水彩画 大和川の夏 浅野快川
水彩画 灯籠 浅野快川
水彩画 犬 浅野快川 |
水彩画 唐崎 山本勇吉
水彩画 湖上の一望 山本勇吉
水彩画 落◇ 筒井斉
水彩画 渓流 浅井有隣
水彩画 景色 浅井有隣
水彩画 ◇島 浅井有隣
水彩画 肖像 萩原一羊
水彩画 郊外 中沢岩太
水彩画 夕陽 中沢岩太
油画 山問 伊藤快彦
油画 厨の老婦 伊藤快彦
油画 清国チーフー 伊藤快彦
油画 下鴨夕陽 伊藤快彦
油画 肖像 伊藤快彦
油画 樹陰 伊藤快彦
油画 田舎 伊藤快彦
油画 肖像 伊藤快彦
油画 処女 伊藤快彦
油画 田舎の子供 伊藤快彦
油画 労働夫 伊藤快彦模写 原田直次郎筆
油画 田舎 伊藤快彦
油画 秋の田舎 伊藤快彦
油画 陣羽織 桜井忠剛
油画 貝合せ 桜井忠剛
油画 秋草 桜井忠剛
油画 草花 桜井忠剛
油画 草花 桜井忠剛
油画 草花 桜井忠剛
油画 老婆 浅井忠
油画 落葉 浅井忠
油画 千◇かき 浅井忠
油画 黄葉 浅井忠
油画 肖像 浅井忠
油画 八瀬の秋 浅井忠
油画 洗濯場 浅井忠
油画 グレーの秋 浅井忠
油画 婦人読書 浅井忠
油画 寒林 浅井忠
油画 吉田村の秋 浅井忠
油画 春◇ 浅井忠
油画 筧 牧野克次
油画 八阪の黄昏 都◇英喜
油画 白川村 都◇英喜
油画 村路 都◇英喜
油画 八瀬の秋 都◇英喜
油画 荒神口の森 都◇英喜
油画 小原女 都◇英喜
油画 祈り 荻原一羊
油画 肖像 荻原一羊
油画 農家 石川一
油画 藍の花 石川一
油画 肖像 印藤真楯
油画 秋のむら◇ 印藤真楯
油画 曙 堀規矩太郎
油画 残月 堀規矩太郎
油画 家庭 内藤博
油画 開墾 内藤博
油画 海岸の秋 日比野勇次郎
油画 蝦と貝 折井愚哉
油画 田家の小春 折井愚哉
油画 肖像 折井愚哉
油画 初夏 田中立夫
油画 肖像 田中立夫
油画 肖像 田中立夫
油画 夏の湖辺 田中立夫
油画 田舎の夕 田中立夫
油画 庭内 山田虎雄
油画 鴨川の朝 山田虎雄
油画 鴨の深林 井上悌蔵 |
油画 秋野 井上悌蔵
油画 真如堂銅像 大塚知三
油画 牛 大塚知三
油画 東寺の◇望 大塚知三
油画 老女肖像 野村芳光
油画 紀州◇島景 野村芳光
油画 ◇堂の紅葉 三井耕夫
油画 笛吹 西沢光城
油画 不忍の池 大森鶴雄
油画 海岸 立見淑
油画 見越の花 安藤静也
油画 秋 安藤静也
油画 渓流 田村宗立
油画 肖像 田村宗立
油画 肖像 田村宗立
油画 肖像 田村宗立
油画 施糧 田村宗立
油画 桃 田村宗立
墨画 桃山南麓 加藤源之助
墨画 松尾村 加藤源之助
墨画 水車 加藤源之助
墨画 鎮守 加藤源之助
墨画 今宮附近 加藤源之助
墨画 橋 加藤源之助
墨画 若王寺附近 加藤源之助
墨画 伏見指月河畔 加藤源之助
墨画 上加茂 加藤源之助
墨画 竹田街道 加藤源之助
墨画 太秦村 加藤源之助
墨画 木立 加藤源之助
墨画 森 加藤源之助
墨画 加茂 梅原良三郎
墨画 農家 梅原良三郎
墨画 桂附近 梅原良三郎
墨画 白川近傍 梅原良三郎
墨画 家屋 梅原良三郎
墨画 ブイナス 梅原良三郎
墨画 竹田街道 井上悌蔵
墨画 老樹 井上悌蔵
墨画 霜除 井上悌蔵
墨画 市街 井上悌蔵
墨画 帰路 井上悌蔵
墨画 ブイナス 明石精一
油画 曙 堀規矩太郎
油画 残月 堀規矩太郎
油画 家庭 内藤博
油画 開墾 内藤博
油画 海岸の秋 日比野勇次郎
油画 蝦と貝 折井愚哉
油画 田家の小春 折井愚哉
油画 肖像 折井愚哉
油画 初夏 田中立夫
墨画 白川橋畔 明石精一
墨画 白川附近 明石精一
墨画 疏水 明石精一
墨画 伏見 明石精一
墨画 油画 曙 堀規矩太郎
油画 残月 堀規矩太郎
油画 家庭 内藤博
油画 開墾 内藤博
油画 海岸の秋 日比野勇次郎
油画 蝦と貝 折井愚哉
油画 田家の小春 折井愚哉
油画 肖像 折井愚哉
油画 初夏 田中立夫 疏水 明石精一
墨画 生田附近 明石精一 墨画 森林 小谷隆一
墨画 テ◇ル写生 大塚知三
墨画 白川の里 大塚知三 |
墨画 妙心寺裏門 新井謹哉
墨画 智恩院 新井謹哉
墨画 下鴨の森 小川多三郎
墨画 田舎 小川多三郎
墨画 新熊野の春 小川多三郎
墨画 人家 久保井翠桐
墨画 家の内 久保井翠桐
墨画 樹蔭 久保井翠桐
墨画 雨 芝千秋
墨画 街道の秋 牧野克次
墨画 水車 牧野克次
バステル 肖像 浅井忠
胡粉画 小原女 浅井忠
胡粉画 薊 浅井忠
装飾画 薊 牧野克次
装飾画 ◇花 牧野克次
装飾画 養鶏 塚本藤吉
装飾画 メリゴランド 塚本藤吉
装飾画 唐崎の松 塚本藤吉
装飾画 清水寺 塚本藤吉
装飾画 家具◇案 武田五一
装飾画 室内装飾 武田五一
装飾画 室内装飾 武田五一
装飾画 戦勝紀念塔 武田五一
塑像 老婆 磯崎常之助
塑像 獅子 磯崎常之助
彩色写真 人物 撮影者田中松太郎 彩色者浅井忠
彩色写真 農夫 撮影者田中松太郎 彩色者浅井忠
彩色写真 夕◇け 撮影者田中松太郎 彩色者浅井忠
彩色写真 湖畔 撮影者田中松太郎 彩色者浅井忠
写真 少女弄猫 小泉道太郎
写真 夏の遊 小泉道太郎
写真 菓物◇ 田中松太郎
写真 耕シ 田中松太郎
写真 羅馬の裏町 田中松太郎
写真 冬の河畔 田中松太郎
写真 荷馬車 田中松太郎
写真 グレーの牧場 田中松太郎
写真 野菜売 田中松太郎
写真 モンタールの小川 田中松太郎
写真 ライン川 田中松太郎
写真 ロアン橋 田中松太郎
写真 羅馬の裏町 田中松太郎
写真 田舎の寺 田中松太郎
写真 羅馬の裏町 田中松太郎
写真 鶏 田中松太郎
写真 グレー村 田中松太郎
写真 ライン川 田中松太郎
写真 羅馬の裏町 田中松太郎
写真 露店 田中松太郎
写真 ロアン川 田中松太郎
写真 林檎の花 田中松太郎
写真 漁 田中松太郎
写真 馬の引舟 田中松太郎
写真 羅馬の市場 田中松太郎
写真 墺太利皇帝行列 田中松太郎
写真 落◇拾ひ 田中松太郎
写真 モンタルーの秋 田中松太郎
写真 寺院の雪 田中松太郎
写真 グレー村 田中松太郎
写真 群鶏 田中松太郎
写真 湖辺 ◇巻◇一
写真 公園 ◇巻◇一
絹画 農婦 徳永左助
絹画 古美人 田村宗立
二葉会出品
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芸術新潮 4(2) 新潮社 新潮社 1953-02 /pid/6048288
原色印刷第一號 原色製版創始者田中松太カのこと / 後藤眞太カ / p153〜155 (0082.jp2)
「文学者」が写真集を製作するとき : 志賀直哉編『座右寶』をめぐって 山本 芳明
掲載誌 学習院大学文学部研究年報 = The annual collection of Essays and Studies Faculty of Letters / 学習院大学文学部 編 (68) 2021 p.87-114
写真撮影 大塚稔 国立国会図書館書誌ID:032105183
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研究課題 当時の、写真撮影者についてですが、写真撮影を専門にしている写真師と云う人たちがいて専門にいたようです。そのうち、個人でも撮影をされる人々が現われはじめ、段々と写真技術も向上されて行きました。武田博士もその内のひとりで、武田文庫の中からは当時の貴重なメモ等も残されており今後の研究が期待されています。また、この本の中からは、撮影者の名前が一切記載されていませんでした。記載されているのは、写真印刷(製版)の責任者であった大塚稔だけが掲載されていました。大塚稔自身も勿論、写真撮影には長けていましたが、田中松太郎も「木喰上人之研究」の中で携わっていますので、今後の研究課題として記載しておきました。
これから
二十代の頃、私は木喰上人さんの仏像のある京都郊外の八木駅に下車したことがあった。その寺までは歩くと相当時間がかかりそうだったので、駅前のタクシーに乗って山際の清源寺と尼さんがいた蔭涼庵と云う尼寺に行った。お目当ての木喰上人の佛像も勿論だったが、運転手さんから話を聞いたり、車窓から眺めた田んぼの光景も忘れられないでいる。また、庵主さんから教えて戴いた、木喰上人の作仏小屋の佇まいも今でも忘れられない。その小屋のほとりには彼岸花がひっそりと咲いていた。私は京都の町に戻ってから、その記念として楽焼茶碗に「木喰の小屋のほとりに彼岸花」と絵入りで描いて見た。その後、その茶碗でもっともらしく、お茶を点てたり、即席ラーメンを入れて食べたりした。そして、青春を楽しんでいたが、今年に入りとうとうその茶碗が割れてしまった。
ここまで来る迄には、途中、宮崎の国分寺に行ったり、展覧会にも何回も足を運んでなりきっていた。皆、楽しい思い出だ。只、心残りであったのは「木喰上人作木彫佛」の本の事を書こうと思っていても、木喰上人の故郷にある四國堂のところまで来ると、どうしても筆が止まってしまい前に進めなくなっていた。理由は、佛像の所有者が途中から次々と変わっているようにも感じたことだった。著者柳宗悦自身も解説番号No56のところで「是等の一群は凡て離散する不幸を見たが、今日迄発見せられたものの殆ど七十躰。凡ては個人の有に帰した。」と記したように嘆かわしく感じていたと思う。
公表されている所有者名のところだけでも代が変わって行くとその内に分からなくなって行くと思う。このままでは、本当に分らなくなってしまうと思うのです。せめて、「旧何々」とでも添え書きでもしておかなければ、恐らくは理解されないままでいると思う。そして、理解されるまでには、相当な時間が必要と思う。
ある有名な寺院から、ある展覧会に木喰上人作の微笑佛が出品されていたようだが、佛像の元々の現況はどのような状態であったかを説明(添え書き)でもしておかないと拝観者には理解がされないままでいるだろう。中々に難しい局面に差し掛かっていると思う。
これから先のことですが、後世の後も何らかの形にして伝達されて、いけるような仕組みになればと思っています。
また、お一つぐらいは、微笑んでいる木喰さんの仏像が鍵の掛かっているところを離れ、人々に「抱っこ」されながら恥ずかしそうにしているお姿を拝見したいとも思っています。
それには、木喰上人さんへのご理解も勿論ですが、文化財保護思想のような日頃の活動も大切なものだと思っています。 |
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