大森禅戒の生涯    oomori-zenkai.ttml
2020・8・31 開始

西暦 和年号 年齢 出来事
1870 3
1871 4 7月14日、福井県坂井郡丸岡猪爪に八木惣八の二男として誕生する。
1872 5 1
1873 6 2
1874 7 3
1875 8 4
1876 9 5
1877 10 6
1878 11 7
1879 12 8
1880 13 9
1881 14 10
1882 15 11
1883 16 12
1884 17 13
1885 18 14 4月、福井県坂井市丸岡町台雲寺の大森董戒(臥雲童龍の弟子)を師に得度し、名を「禅戒」と改める。  注 「大本山永平寺諸禅師略伝」の松岡を丸岡に訂正する。 2020・8・27 保坂
1886 19 15
1887 20 16
1888 21 17
1889 22 18 〇この年、永平寺専門支校(永平寺地藏院付属)を了え、上京し東京中学林に入る。
   参考 「曹洞宗第四中学林一覧」の科目表では五年制になっていたので再検討が必要。 明43.5 pid/812863
1890 23 19
1891 24 20
1892 25 21 8月、曹洞宗大学林(現駒沢大学)に入る。
1893 26 22
1894 27 23
1895 28 24
1896 29 25 7月、曹洞宗大学林(現駒沢大学)を、首席で卒業する。
8月、台雲寺大森董戒の室に入り嗣法。此の時、和尚の養子となり「八木」姓から「大森」に改める。
9月から4年間、宗門内地留学生に選ばれ、比叡山天台宗大学、真宗本派大学、真言宗高野山大学、奈良東大寺勧学院等において、それぞれ(華天密)の教学を修める。
1897 30 26
1898 31 27
1899 32 28
1900 33 29 8月、曹洞宗大学林の教授兼学監に就任する。
1901 34 30 7月18日〜31日、麻布区曹洞宗大学林講堂に於て「第1回曹洞宗青年夏期講習会」が開かれる。
  曹洞宗青年夏期講習會略則
一、会 期  明治三十四年七月十八日より同三十一日まで
一、会 場  東京市麻布區北日下窪町曹洞宗大學林講堂
一、時 間  連日午前七時より同十一時まで
一、學科及び受持講師
宗乗大綱
修證義
禅宗史要
社會學
論理學
能大本山貫主猊下
大内青巒
(せいらん)居士
鷲尾順敬君
浮田和民君
中島徳蔵君
  其他越大本山貫主猊下并に大家を請して臨時講演を開く
(略)
  明治卅四年六月  日 
 曹洞宗青年夏期講習會



曹洞宗大學林総監
同      學監
同 高等中學林監理
同 第一中學林教授
風俗佛教新聞主任
陸鉞巌(りくえつがん)
大森禅戒

忽滑谷怏天
栗木智堂
高田道見
7月23日、講師である大内青巒が40度の高熱となり講演が困難となる。
廾三日、能山禅師、浮田、鷲尾両先生等講□例の如し、大内居士の好意にて、居士所蔵の軸物數十巻、展覧に供せらるゝありし、然るに意外なるは、四時頃に至りて居士發熱四十度の高度に達し遺憾ながら今回の講習會には出席相叶はずとの、意外なる報知に接し、委員等は落擔惜く所を知らず。大森顧問員及び委員相會して協議を開き、談遂に鎌倉の圓覺管長を屈請するに決し乃はち電報を以て紹介せし信州長野に開かれつゝある大日本佛教青年會の夏期講習會に出張せられたる旨返電ありければ、乃ち児玉委員を派して請するととす、
廾四 日、能山禅師、浮田、鷲尾両先生各講義例の如し此日課業後会員相携へて高等師範學校を参観なす、木田會長も赴かる、前記児玉委員今朝未明に長野市に向かう、午後三時着、先事務所に監事眞岡文學士を訪ふて來意を告ぐ、眞岡氏等ふるに宗演禅師昨日講を了へて帰途北佐久郡岩村田町の信濃佛教国民同盟會支部發會式に臨まられたりと、梶X辞し去って、直ちに六時上り列車に乗じ岩村田村在志賀村の豪農神津某氏に馳せ、辛うじて圓覺禅師の一諾を辱
(かたじけの)うせり
  
  ※児玉委員児玉祖虔):静岡県旧金谷町洞善院住職 
              
「曹洞宗青年夏期講習会記事 p6」より
7月27日、釋宗演が曹洞宗青年夏期講習会に於て「臨済禪師四料簡」を講演する。
11月、曹洞宗青年夏期講習会編「曹洞宗青年夏期講習会講演集」が「鴻盟社」から刊行される。 pid/823314 閲覧可能(重要)
夏期講習会について / 大内青巒
洞山五位説 / 西有瑾英
臨済禪師四料簡 / 宗演
修証義大意 / 大内青巒
宏智禅師頌古 / 大内青巒
禅宗史要 / 鷲尾順敬
社会学綱要 / 浮田和民
倫理学綱要 / 中島徳蔵
曹洞宗青年夏期講習会記事
曹洞宗青年夏期講習会名簿

・  
大森禅戒戒師 顧問
・ 
1902 35 31
1903 36 32
1904 37 33 2月、宗門より欧米(海外)留学を命ぜられ、留学の途に就く。
始め渡米し、ウエストバージニア州立大学に学ぶこと2年にして渡英、オックスフォード大学で2年、さらにドイツライブチヒ大学で3年を過し、宗教制度、比較宗教学、及び宗教哲学を専攻するかたわら社会事業を視察、帰国の途中、インド仏跡を巡拝する。
5月、「米国仏教 5(5) 米国仏教誌社」に「論説 禪門の宗要」を発表する。 pid/3563214
日本赤十字社主旨
法話 變に處する覺悟 / 紀開藏
思潮 米國佛ヘに見ゆ / 秋田竹園
文苑 都の友へ / 竹園
雜纂 博覽會見聞録 / 聖路史 ; 竹園
會報 / 桑港佛ヘ年會
5月、「禅宗 (110) 禅定窟 p60〜61」に「大森禪戒氏の着米」のことが掲載される。 pid/11006098
入明使節としての周良禪師/上村周映
西藏國と美術/河口慧海
アーノルド氏の訃/ /
全國圖書舘の現状/ /
宗ヘ徒と文部省/ /
宗ヘ局の注意/ /
米國宗ヘ新聞の同情/ /
眞宗信徒の禪學研究/ /
大森禪戒氏の着米
臨濟宗各派黄檗宗臨時事務所公報/
7月、「禅宗 (112) 禅定窟」に「禪門の宗要」を発表する。 pid/11006100
表題揮毫/故 久松琢宗師 /
禪宗/ / 1〜6
從軍僧原南溟師を送る/記者 / 1〜4
軍人宜しく禪法を修むべし 寄書/ / 4〜5
布ヘ師養成の途を開くべし 寄書/金毛野狐 / 6〜6
論説/ / 7〜18

禪門と淨土門の比較/忽滑谷快天 / 7〜15
禪門の宗要/大森禪戒 / 15〜18
法話/ / 19〜24
本來成佛/山田孝道 / 19〜24
講話/ / 25〜30

西藏國と美術/河口慧海 / 25〜30
普説/ / 31〜32
茶話一則/永覺禪師 / 31〜32
纂録/ / 33〜45
近重博士の禪學論を讀む/上村觀光 / 33〜38
道の栞/棲梧寳嶽 / 38〜40
慈悲と戰爭/上島休哉 / 41〜45
詞苑/ / 46〜47
國山樵隱・南方茗溪・米翁時保・藤川實道・棲梧寳嶽・
  →山田玉田・竹下梅溪・森宗豁・古川翠嶺・秋月浩天・
  →愚佛生等/ / 46〜47
雜俎/ / 47〜56

千光御諱/ / 47〜49
末派布ヘの終結/ / 49〜50
拂子を以て大隊を指揮す/ / 50〜50
禪機と軍略/ / 50〜51
琢宗禪師の遷化/ / 51〜51
伏見宮文秀女王の御事/ / 51〜52
各宗よりの從軍僧/ / 52〜52
支那帝國の人口精數/ / 52〜52
韓佛間宗ヘ取締協議/ / 52〜53
支那學堂の寺院利用/ / 53〜53
卒業證書授與式廢止/ / 53〜53

金閣の修繕と八坂塔/ / 53〜53
基督ヘ徒と大藏經/ / 53〜53
高野山官林事件の却下/ / 53〜54
維摩會/ / 54〜54

楞伽窟の歸朝/ / 54〜54
草鞋と頭陀袋/ / 54〜54
負傷兵と古雜誌/ / 54〜55

第十三回佛ヘ夏期講習會等/ / 55〜55
ヘ界の時事 二十一件/ / 55〜56
附録/ / 1〜18
臨濟宗各派黄檗宗臨時事務所公報 二件/ / 1〜9
聯合本山録事 數件/ / 1〜16
地方ヘ信 數件/ / 17〜18
大惠書講義 八頁/ / 219〜226
1905 38 34
1906 39 35
1907 40 36
1908 41 37
1909 42 38
1910 43 39
1911 44 40 8月、帰国する。
10月、「救濟 1(3) 大谷派慈善協會」に「歐米社會の暗K面」を発表する。 pid/1887469
會説 ヘ家慈惠事業の完成 / p1〜6
救濟 / 村上專精 / p7〜10
僧道の振興を望む / 大草慧實 / p11〜14
信念 機に二あり / 住田智見 / p15〜16
詞藻 蝸牛會俳句 / p17〜19
萬國人道會議と小兒虐待防止會/武田慧宏/p20〜25
四恩瓜生會の施藥施療 / 下井生 / p25〜27
貧民 / 諸同人 / p27〜31
感心なる佛ヘ信者 / 大内巒 / p32〜35
東西の慈善事業 / 小河博士 / p35〜37
歐米社會の暗K面 / 大森禪戒 / p37〜38
時報 / p39〜42
入會者報告 / p42〜46

1912 大正元年 41 〇この年、山梨県(現甲斐市)有富山慈照寺特撰住職となる。
11月、再び、曹洞宗大学林(現駒沢大学)の教授兼学監に就任する。
1913 2 42 7月、「救濟 3(6) 大谷派慈善協會」に「歐洲に於ける救濟事業の傾向と吾人の反省」を発表する。pid/1887488
會説 淨土眞宗の矯風的威力 / p1〜7
講演 / p8〜22
歐洲に於ける救濟事業の傾向と吾人の反省 / 大森禪戒 / p8〜15
特殊部落に就て〔承前〕 / 小河滋次カ / p15〜22
雜纂 / p23〜38
巡回視察其折々〔承前〕 / 小河滋次カ / p23〜27
癩探〔承前〕 / 本多慧孝 / p27〜32
見たまゝ聞たまゝ / 宇南生 / p32〜38
談叢 / p39〜46
海外近事 / p47〜52
詞藻 鱈腹會俳句 / p53〜54
彙報 時報 / p55〜60
8月、「救濟 3(7) 大谷派慈善協會」に「歐洲に於ける救濟事業の傾向と吾人の反省〔承前〕」を発表する。pid/1887489
會説 報恩思想の反映 / p1〜4
講演 / p5〜17
歐洲に於ける救濟事業の傾向と吾人の反省〔承前〕 / 大森禪戒 / p5〜11
特殊部落に就て〔承前〕 / 小河滋次カ / p11〜17
雜纂 / p18〜27
巡回視察其折々〔承前〕 / 小河滋次カ / p18〜25
陰コ美談 / 和田生 / p25〜27
談叢 / p28〜34
海外近事 / p35〜39
米國兒童局の事業 / p35〜36
大學生の社會事業 / p36〜37
優生學と其實地運動 / p37〜39
詞藻 鱈腹會俳句 / p40〜41
通信 / p42〜50
大島療養所視察報告 / p42〜45
無料宿泊所たより / p46〜50
彙報 時報 / p51〜56

1914 3 43 3月、「博愛 第弐百参拾五號 峡中博愛社」に「欧米於ける救済事業の傾向と吾人の反省(三)」を発表する。また、同号に釋宗演が「道に志ざせ」を寄せる。

 
 「博愛」(表紙)発行T3・3 


  参考:『博愛』1914年3月8日号 ¥4,060 弥津謙道編/大森禅戒他、峡中博愛社、1914
  18頁、欧米に於ける救済事業の傾向と吾人の反省他、金沢文圃閣(TEL: 076-261-8884)
月、第22回仏教夏期講習會が山梨県中巨摩郡龍王村慈照寺で開かれる。
    「博愛235號」雑報欄(予定)より 詳細について調査要  2021・10・11 保坂 
1915 4 44
1916 5 45 〇この年、安藤嶺丸・渡辺海旭や大森禅戒(等)によって、各宗派による「東京連合花祭り会」が組織される。
 前年の12月には「仏教連合会(「全日本仏教会」の前身)が組織されており、仏教各宗派の協賛を得て「各宗連合花祭り」として盛大に行われることとなった。まず4月7日に、築地本願寺・浅草本願寺・増上寺・両国回向院・浅草公園仏教青年伝道会堂など10カ所で、「花祭り連合大伝道」が開催され、各宗派の名僧碩学が講演した。翌8日には、在留スリランカ人が制作した花御堂を日比谷音楽堂前の広場に設営し、午後2時を合図に各宗派の代表・稚児数百名の行列が入場した。祝辞ののち、安藤が、花祭りの挙行を通じて、仏教徒として精神的団結を図り、世界平和と人類の幸福、国家社会への貢献を期する旨の宣言を読み上げた。9日には東京の仏教系諸学校の学生ら数万人が集結し、少年音楽隊の先導により盛大な音楽法要が挙行された。夜には日本とインドの仏教徒の懇談会も開催された。期間中、仏教徒経営の工場で臨時休業するところもあり、日比谷警察署は、非番の巡査600余名を臨時召集して警備にあたったという。翌年以降、花祭りは、京都・大阪など全国へ広まっていった。
 
 出典:中西直樹「花祭り」の起源(2/2ページ)  2018年4月6日付」 HPより 
1917 6 46 〇この年、現代仏教家人名辞典刊行会編「現代仏教家人名辞典」に「大森禪戒(曹洞) 111」が掲載される。
1918 7 47 12月16日、大内青巒が亡くなる。
1919 8 48
1920 9 49 2月、曹洞宗大学林学監を辞す。
7月、欧米各国の宗教教育視察のため、二ケ年間遊学する。
1921 10 50
1922 11 51
1923 12 52 〇この年、藤本隣道, 船越丹堂編「活人剣」を「発心寺僧堂(福井県小浜市)」から刊行する。 
pid/969638 〔参考〕
序文 原田祖道 / 1
嗚呼我が同胞 原田祖岳 / 4
震災觀 飯田儻隱 / 51
路頭甚の處に向てか去る 徳武文爾 / 86
震災地通信の一節 阿部唯一 / 88
理想王國の建設 饒村雪水 / 89
血涙を揮つて 輕部恭順 / 91
災餘を奈何にせん 藤本隣道 / 92
生死に就て 淺野梅天 / 95
絶大の教訓 高橋大巌 / 97
耐震耐火の殿堂 船越丹堂 / 99
業と土地 杉本正之 / 102
法悦に生きよ 高野繁正 / 103
震災を正面から 鈴木志道 / 105
乱雜住位を凝視して 今井祖關 / 108
逆境は是順境の基礎 眞川育道 / 110
失敗は成功の基 笠松龍童 / 112
築けよ心の竪城を 大島逸雄 / 113
心の王國 桝井雷音 / 114
不壞の世界へ 盛光得禪 / 116
全人類自覺せよ 山田自禪 / 117
悲慘事を經て文明の帝都へ 中村鐵舟 / 118
震災に就て 鍵本英瑞 / 120
愛愍の戒め 折本道喚 / 121
我同胞の犠牲者よ 小杉拂〔セン〕 / 122
嵐の夜に 山崎祖琳 / 123
平常是逆境 長岡謙道 / 124
所感 奥山祖仙 / 126
哀れなる同胞へ 藤木泰忍 / 126

参考:福井地震(ふくいじしん)が1948年(昭和23年)6月28日午後4時13分頃、福井県嶺北地方北部(福井市の北北東約10km、現在の坂井市丸岡町付近 )を震源として発生した。地震の規模はマグニチュード7.1で、福井市では当時の震度階級としては最大の震度6(烈震) を記録した。その時の教訓は生かされていたか。
1924 13 53 10月、「大乗禅 = The mahayana zen buddhism 1(1) 中央仏教社」に「「寫眞版」梵[文]心經 / 大森禪戒師書」を発表する。 pid/7885145
道元禪師自畫自賛肖像
「寫眞版」一圓相 / 新井石禪禪師揮毫 / p1〜1
「寫眞版」筆蹟 / 杉本[道]山老師 / p17〜17
「寫眞版」六祖大師 / 關清拙禪師畫賛 / p23〜23
「寫眞版」
達磨 / 竹田默雷禪師畫賛 / p37〜37
「寫眞版」梵文心經 / 大森禪戒師書 / p47〜47
「寫眞版」筆蹟 / 隆g大雄禪師 / p59〜59
「寫眞版」寒山拾得 / 關廬山禪師畫賛 / p63〜63
「寫眞版」[達]磨 / 五葉愚溪師畫賛 / p74〜74
「寫眞版」[達]磨 / 釋宗活老師畫賛 / p75〜75
「寫眞版」[達]磨 / 間宮英宗禪師畫賛 / p76〜76
「寫眞版」女[達]磨 / 菅原時保禪師畫賛 / p77〜77
「寫眞版」筆蹟 / 野田大塊居士 / p78〜78
「寫眞版
」廓然無[聖] / 中村不折氏畫 / p79〜79
「寫眞版」[達]磨 / 來馬琢[道]師畫 / p80〜80
「本領」 大乗禪の發刋に際して / 原田祖岳 / p2〜5
「公論」
現代思想と禪 / 鈴木大拙 / p6〜14
「講壇」 參禪の仕方 / 杉本[道]山 / p16〜19
「講壇」 參禪今昔譚 / 關清拙 / p20〜23
「講壇」 大乗禪の使命 / 岡田乾兒 / p24〜25
「講壇」 日常生活と禪 / 關廬山 / p61〜63
「漫録」 [遼]東の豕 / 飯田
儻隱 / p28〜31
「漫録」 秋燈禪談 / 竹田黙雷 / p36〜38
「漫録」 碧巖漫畫釋(一) / 岡本一平 / p26〜27
「漫録」 廣長舌 / p39〜39
「提唱」 修証義講話 / 原田祖岳 / p42〜49
「提唱」 碧巖集提唱 / 飯田儻隱 /
p64〜73
「研究」 黄檗隠元禪師の禪風 / 隆g大雄 / p56〜60
「研究」 宗教と人生 / 今成覺禪 / p82〜8
「研究」 人生の意義 /習田勤五郎 / p86〜89
「[説]苑」 参禪名婦鑑 / 島田春浦 / p90〜94
「[説]苑」 寒巖禪師皇胤問題に就いて / 孤峰鳥石 / p95〜96
「[説]苑」 秋の公案 / 飯塚夢袋 / p97〜101
「[説]苑」 布袋和尚(禪畫) / 佐藤禪忠 / p81〜81
「[説]苑」 現代名士の達磨觀 /
山田孝道 ; 金杉英五郎 ; 釋宗活 ; 永松爲次郎 ; 兒玉花外 ; 立花俊道;
 →伊藤忠太 ; 内田貢 ; 孤峯鳥石 ; 木戸忠太郎 ; 西田天香;
 →高須芳次郎 ; 中村不折 ; 小林雨峰 ; 岡田乾兒 ; 深作安文/p74〜80
「文藝」 一休禪師--(舞踊劇) / 坪内逍遙 / p50〜54
「文藝」」 禪と句境--(新詩) / 兒玉花外 / p15〜15
「文藝」」
行雲流水--(漢詩) / 小林雨峰 / p35〜3
「文藝」」 秋と非思量--(短歌) / 柳原白蓮 / p55〜55
「彙報」 十月禪會案内 / p40〜41
「彙報」 禪界ニュース / p102〜104

〇この年、曹洞宗務局の教学部長に就任する。
1925 14 54 6月15日、柳宗悦編「木喰上人之研究 第3号 木喰五行研究会」に「木喰佛圓光中の梵字に就て」を発表する。
木喰佛圓光中の梵字に就て
越後に於ける将来の調査
木喰上人修道の遺跡九品堂
上人作宗祖像
木喰さんに就て
東京展覧會景況
木喰上人研究経過報告(三)
大森禅戒
柳 宗悦
若林浦舟
柳宗悦
淺川伯教
小宮山清三

〇この年、大学令により認可、「曹洞宗大学」を「駒澤大学」と改称する。
1926 昭和元年 55 5月、児玉祖虔が「洞上公論17」に「新時代における布教の対機」を発表する。
1927 2 56
1928 3 57
1929 4 58 8月、曹洞宗管長代理として再び渡米、在留同胞慰問の任を果たす。
12月7日、太洋丸にて無事帰朝する。
1930 5 59
1931 6 60 5月23日より5日間、富山市五番町、光厳寺に於いて「梵語講習会」の講師となる。
1932 7 61
1933 8 62
1934 9 63 2月1日、 忽滑谷快天(ぬかりや かいてん)氏の逝去の後を受けて、駒澤大学の学長に就任する。
注 「大本山永平寺諸禅師略伝」では「忽滑谷快天氏の逝去の後を受けて」とあるので検討が必要 2020・8・28 保坂
7月11日、 忽滑谷快天(ぬかりや かいてん)が逝去される。(享年66歳)
12月、「駒沢大学仏教学会年報 5(2) p.24-29」に「釋尊の宗教精神」を発表する。 pdf
12月、「駒沢大学仏教学会年報 5(2)」に序文を寄せる。
〇この年、「東洋學研究 4(0) p.9-18」に「東洋學と佛教」を発表する。 pdf
1935 10 64 1月、キング 昭和10年1月(11巻1号)北蓮蔵、末次信正、中川日史、子母沢寛、矢野恒太、諏訪三郎、鶴見祐輔、和田邦坊、大森禅戒、菊池寛、吉屋信子、林不忘、白井喬二、三上於菟吉、眞山青果、吉川英治 他 ¥2,030 淵田忠良編、講談社、昭和10年、A5版624頁
1月、「実業の日本 38(1) 実業之日本社」に「腹とは何ぞや」を発表する。 pid/3552365
   非常時第一年の初頭に臨みて / 荒木貞夫
3月、大森禪戒が「駒澤大学人文学会会誌 巻 2  駒澤大学人文学会」に「脚下を照顧せよ」を発表する。
6月、「実業の日本 38(12) 実業之日本社」に「正信と迷信との境界」を発表する。 pid/3552376
   米國財界の現状と我が財界に及ぼす影響 / 堀越鉄藏
8月、大森禅戒が編集兼発行人/石原俊明「大法輪 8月号 (6頁分) 大法輪閣」に「脚下を照顧せよ」を発表する。
12月、治安部参謀司第二課編「鉄心 1(9)  [満州国]治安部参謀司 」に「滿洲刀槍匪賊の信仰と護符・祈祷及び神通力に就いて」を発表する。pid/2276224
滿軍指導ニ就イテ / 石K大佐
米人記者の眼に映じたる王道樂土・滿洲國
對支ソヴエート革命戰略
將來の戰爭形態と經濟 / 宮武一カ
阿片に就いて / 虞舜臣
滿洲國映畫國策に對する一考察 / 山内友一
滿軍討匪行動の現況 / 軍政部顧問部
滿洲國中小學生の大亞細亞主義
〇この年、「駒沢大学実践宗乗研究会年報 第3輯(昭和9年度)」に「至人己なし己ならざるなし」、また附録に「非常時對策と禪」を発表する。pid/1120255
眼藏研究の提唱・岡田宜法 / 1
至人己なし己ならざるなし・大森禪戒 / 13〜14
宗教の本質を論じて道元禪師に及ぶ・衛藤即應 /15
大智禪師の生涯とその鴻業・大久保道舟 / 33
修證問題の再認識・榑林皓堂 / 64
太祖常濟大師の温い家風・神保如天 /72
勇僧湛然和尚・立花俊道 / 85
八大人覺の原始的研究・増永靈鳳 / 90
寺院の將來性・久我佛宗 / 103
洞上尸羅會の成立とその展開・田島柏堂 / 117
道元禪師の「人」と「法」とに就いて・宮崎宙道 / 135
禪戒の具体的解説・本元良雄 / 144
禪戒に就いて・寺西玄猶 / 151
將來の布教法に就いて・井上正道 / 166
曹洞宗將來の布教法・須田徳定 / 175
附録 /

非常時對策と禪・大森禪戒 / 189
會報 /
實踐宗乘研究會々則 / 201
會長及顧問住所氏名 / 202
本年度會員名簿 / 203
事業報告 / 207
編輯後記 / 212
〇この年、 大森禪戒が「駒沢大学仏教学会年報 6(2) p.11-19」に「道元禪師の佛法」を発表する。
1936 11 65 1月、「大亜細亜 4(1) 大亜細亜建設社」に「刀槍匪賊の信仰(上) 」を発表する。 pid/1568523
中華民國人に與ふ
滿洲の農民生活と農政(後) / 井上實
日支關係の平行線 / 若宮卯之助
露國占領當時の滿洲 / 岡野搦漲カ
東京より長城まで / 金森第三
鎭海觀音供養會の記
印度獨立志士慰靈祭執行さる

2月、「大亜細亜 4(2) 大亜細亜建設社」に「刀槍匪賊の信仰と護符・祈祷及神通力(完)」を発表する。pid/1568524
支那の政治と輿論、知識階級 / 松浦嘉三カ
大亞細亞主義に反對の言論 / 西山榮久
支那社會は畢竟如何 / 陶希聖
ゲヂゲヂ崇拜 / 佐藤富江
蒙古實務學校の創設

3月、「駒沢大学実践宗乗研究会年報 4 p.7-11」に「佛法興隆の要道」を発表する。
3月、「 駒澤大学人文学会会誌3 駒澤大学人文学会」に「仏教より見たる公民学」を発表する。
7月、「現代仏教 13(129);7月號 大雄閣書房」に「火光三昧へ」を発表する。pid/11185624
女學生・奧さま/生田花世
山と修驗道/高井善證
金毘羅大權現(體驗記)/吉田豐作
心頭滅却すれば火も亦凉し/ /
〇この年、「図書駒沢大学仏教学会年報 昭和10年度 第2」に「道元禪師の佛法」を発表する。 pid/1125994
衣法一如・澤木興道 正法眼藏の側面觀・橋田邦彦
平安時代に於ける聖・上人の一考察 特にその發展・形態・行業等に就て・鏡島寛之
1937 12 66 1月、「現代仏教 14(135);新年號   大雄閣」に「維摩經大意(一)」を発表する。 pid/11185630
止觀と念佛/石垣源膽
運命のヒツト/相馬御風
聖コ太子傳物語(一)/濱口惠璋
怪げな彼の女/平林たい子
2月、榑林皓堂が「現代仏教. 14(136);2月號」に「維摩經講話(一)」を発表する。
(参考)
pid/11185631
3月、榑林皓堂が「現代仏教. 14(137);3月號」に「維摩經講話(三)」を発表する。
(参考)pid/11185632
3月、「駒沢大学実践宗乗研究会年報 5 p.6-9」に「道元禪師の教育精神を発表する。
閲覧可能
道元禪師の教育精神 (一)、(二)、(省略)
(三)、宋の叢林にも一師の会下に数百千人の徒があった。併しまことの道得法の人はわづかに一人二人である。それは何故であらうか。即ち志の至ると至らざるとによるのである。眞實の志を發して随分に産学する人であるならば得ない筈はないのである。されば道元禅師も「此の如く道を求ぬ志切になりなば或は只管打坐の時、或は古人の公案に向はん時、若は知識に逢はん時、實の志を以て行ずる時、高くとも射つべく深くとも釣りぬべし。是ほどの心發らずして、仏道の一念の生死の輪廻をきる大事をば如何んが成ぜん」と述べられてゐる。正しくは発心が切であるか否かが其の効果の如何を決定するのである。求道の志氣ある者のみが得法するのである。教育も亦然りである。求める心を先づ喚起すべきである。被教育者も求める心を振起しなければならない。慧可(エカ)大師は達磨大師正傳の仏法を求める爲めにその志の切なるを示すべく自らその臂を斷たれたといふではないか。釈尊は前生に於て四句の偈の後半を知らんが爲めに自ら身命を捨てられたといふではないか。今は其の事實の如何を問ふのではない。古人はそれほどしてまで求道の意気に燃えたのである。是れを思ふ時は我々は自己を深く反省すべきである。文明は去って却って人を怠隋にする。道を學ぶ者は多い併し得法の人が少い。それは出發點の志氣が足りないからである。世人皆易行につかんとするからである。千里の旅も最初の一歩が其の結果を規定するのである。道元禅師は明日を思ふなと常に言はれてゐる。只今日今時ばかりと思ふて時光を失はず、學道に心を入るべきである。教育の出發點は正しくこの切なる發心でなければならない。一箇半個もよい。求道の志氣切なるものに正法は傳へられるのである。それは必ずしも量の問題ではなく、質の問題である。佛法はかかる人によって支へられてゆくのである。是れを考へ彼れを思ふ時我々は禅師の教育精神の偉大さに無限の思慕を禁じ得ないのである。
会下(えげ):禅宗などで、一人の師僧のもとに集まって学ぶ修行者、また、その修行する所。えか。
得道(とくどう):@ 聖道または仏の無上道の悟りをうること。成道。悟道。 
         A 物事の道理をよく理解すること。得心すること。 B 技芸の道に熟達すること。
得法(とくほう):仏法の真理を会得すること。転じて、物事の奥義をきわめること。

怠隋(たいだ):なまけてだらしないこと。また、そのさま。
易行(いぎょう):だれにでもたやすく行える修行。
3月、「実業の日本 40(6) 実業之日本社p38〜41」に「明朗世わたり法」を発表する。 pid/3552416
   グラビヤの頁 アメリカの新黄金島
〇この年、神保如天著「従容録通解」が「森江書店」から刊行、序文を寄せるpid/1255609
    駒澤大學長 大森禪戒老師序文
4月、駒沢大学旧大講堂が完成する。
5月6日、駒澤大学の学長を突然辞任する。
参考:突然の辞任に、学生は大森学長の徳を慕い、その留任を望んでやまなかった為、辞任理由に不満を持った学生一同は同盟休校を行うこと一週間に及んだ。結局、教授会は大森学長を名誉学長に推し、同盟休校首脳学生を処分しないことで一応の決着をみた。同年5月14日、駒澤大学当局はこの事件の説明書信を学生の父兄や保証人に送っている。この大森学長突然辞任事件の裏には、設立者の曹洞宗、責任者の宗務院と大学の自治問題が隠されていたようある。(略)駒沢大学学長辞任の後は自坊(山梨・慈照寺)に帰り、念願の悉檀(梵語)辞書編纂へ向けて、その研究に勤しむことになる HP 「大本山永平寺諸禅師略伝」より
6月9日、駒澤大学名誉学長に推される。
〇この年、菅原洞禅編纂「現代仏教界要覧」が「修養世界社」から刊行される。 pid/1092272 閲覧可能
足利紫山師(方廣寺派管長)
赤井大休師(南禪寺派前管長)
伊藤道海師(總持寺貫首)
岩井智海師(淨土宗管長)
家永一道師(東福寺派管長)
今井徳順師(輪王寺門跡)
伊藤敬宗師(金閣寺前貫主)

梅谷孝永師(比叡山座主)
太田常正師(大徳寺派管長)
大西良慶師(清水寺貫主)
大西玄光師(禪林寺前管長)
大森亮順師(淺草寺貫主)
大島徹水師(増上寺貫主)
大谷光照師(本派本願寺管長)
大谷尊由師(善福寺門跡)
大谷光瑞師(前本派本願寺管長)
大谷光暢師(大谷派本願寺管長)
大谷光演師(東本願寺前門跡)
大森禪戒師(前駒澤大學長)
尾關本孝師(等持院貫主)
岡本慈航師(仁和寺門跡)
加藤精神師(前豊山派管長)
加藤至道師(南禪寺派管長)
勝平大喜師(國泰寺派管長)
勝部敬學師(向嶽寺派管長)

神月徹宗師(圓福寺前貫主)
加藤咄堂氏(中央教化團理事)
北川智〓師(唐招提寺管長)

木下寂善師(四天王寺貫主)
木邊孝慈師(眞宗木邊派管長)
椋本龍海師(泉涌寺門跡)
雲井春海師(東大寺管長)
久我篤立師(龍拈寺董主)
小早川隋康師(光明寺管長)
五葉愚溪師(妙心寺前管長)
小林正盛師(長谷寺前化主)
佐伯定胤師(法隆寺管長)
佐伯惠眼師(三寳院門跡)
酒井日愼師(本門寺貫主)
齋藤隆現師(智山派管長)
釋宗活師(兩忘協會總裁)
惟尾辨匡師(大正大學長)
柴田一能師(妙法寺貫主)
鈴木天山師(曹洞宗管長)
菅原時保師(建長寺派管長)
鈴木諦教師(深草派管長)
關精拙師(天龍寺派管長)
關盧山師(妙心寺前管長)
關義道師(黄檗宗管長)
棲梧寳嶽師(惠林寺貫主)
石堂惠猛師(中山寺貫主)
高岡隆心師(高野山管長)
高木獨鳳師(永源寺派管長)
高階瓏仙師(可睡齋貫主)
高島米峰氏(上宮教會理事)
竹田頴川師(建仁寺派管長)
谷内清巖師(神護寺門跡)
田中道淳師(寺門派管長)
東海東達師(妙心寺前管長)
秦慧昭師(永平寺貫首)
橋本獨山師(相國寺前管長)
蓮生觀善師(善通寺管長)
古川慧訓師(圓覺寺派管長)
古仲鳳洲師(徳源寺貫主)
藤村密幢師(大覺寺門跡)
福山界珠師(豊川閣貫主)
福定無外師(輪王寺門跡)
星徹定師(時宗管長)
松永昇道師(東寺法主)
圓山傳衣師(大徳寺前管長)
間宮英宗師(臨川寺貫主)
峯尾宗悦師(妙心寺派管長)
三浦承天師(瑞巖寺貫主)
密門快範師(勸修寺門跡)
望月日謙師(日蓮宗管長)
山崎大耕師(相國寺派管長)
山崎益洲師(佛通寺派管長)
山本玄峰師(龍澤寺貫主)
山田慧等師(白鳥山董主)
湯崎弘雄師(安禪寺貫主)
若生國榮師(圓通寺貫主)
大塚洞外師(洞雲院主)
進藤端堂師(覺苑寺主)
高山雲濤師(湖雲寺主)
樋口文勝師(福壽院主)
(位次不同)

(全文)〇慈照寺董主 大森禅戒師
 前駒澤大學長、明治四年福井縣に生まれ、明治十八年同縣の大森薫戒和尚に依って薙染してその養子となる、明治二十九年曹洞宗大學卒、後内地留学生として、華厳、天台、禅、密を學ぶ、同三十七年海外留学生として北米の東部ヴァージニア大學、英國のオクスフォード大學、マンチェスター大學、獨逸のライプチヒ大學にて神學、宗教制度、宗教法等を學びて四十四帰朝、曹洞大學々監となる、昭和九年駒澤大學長に就任、爾來洞門教育家として内外の信任厚かりしに昭和十二年五月梵語研究の故を以て辭任せられる。

董主(とうしゅ)ただす。おさめる。とりしまる。 薫か 確認要 20202・8・29 保坂
薙染(ちぜん):仏門にはいる、出家する

爾来(じらい):それ以来。その後。
1938 13 67 2月19日、台湾駐屯派遣軍慰問管長代理を命ぜられる。
5月21日、「長篠役甲軍戦歿将士慰霊塔」が愛知県南設楽郡東郷村大字竹廣字信玄原(元福來寺境内)で開眼式が行われる。
11月10日、長篠役甲軍戦歿将士慰霊塔建設会編「慰霊塔建設事業報告書」が刊行される。 pid/1098678
 同書p16に「寳篋印塔 梵字揮毫 駒澤大學名誉學長大森禅戒師」と記される。
  

〇この年、福山白麟著,中西檀成編「妙厳白麟老師遺録 妙厳寺」が刊行される。pid/1117202
   扉 大森禪戒老師揮毫    扉陰 高田忠周先生篆書
1939 14 68 〇この年、高嶋米峰著「人 : 現代五十人物を語る 随筆 大東出版社」が刊行され「腹の出來た和尚大森禪戒師 」を発表する。pid/1687516
護國愛理の權化井上圓了先生 哲学堂
霜に傲る菊花犬養木堂翁
芥川龍之介君の自殺
高砂族の少年
〇この年の春、永平寺東京出張所監院となる。
昭和十四年四月十二日、永平寺に上山し、東京出張所監院就任拝登、並びに就任の挨拶。「私はこの度、東京出張所監院の職を拝し、山梨の自坊を離れて東京の出張所に詰めることとなったのであるが、実は自分には、何としてでも自分の手で完成しなければならぬ特殊な仕事があり、そのため駒沢大学からもお暇をもらって山梨の自坊へ帰り、書斎に閉じ籠って、その仕事に専念しつつあったのであるが・・・」と。この「自分には、何としてでも自分の手で完成しなければならぬ特殊な仕事」とは「梵語辞書」編纂のことである。 HP 「大本山永平寺諸禅師略伝」より
1940 15 69 10月4日、曹洞宗管長となる。
10月12日、大政翼賛會発会式が行われる。
10月19日、永平寺に上山し、高祖真前へ曹洞宗管長就任報告する。
10月23日、政府、大政翼賛発会、文化思想団体の政治活動禁止を決定。
11月10日、紀元二千六百年記念式典が皇居前で挙行される。
1941 16 70 1月、「曹洞宗報 第四十号」の巻頭言に「大政翼賛と大乗精神」を寄せる。
1月17日、この日より十日間、宗制特別審議会が開催され「曹洞宗管長制度」について審議が続行される。しかし、両本山の何れかを背景とする両派の委員は平行線をたどり、何等の進展もなく、決裂という最悪の状態で終会となる。
3月31日(付)、大森禪戒曹洞宗管長、「宗教団体法」による新宗制修正案を文部省へ提出する。
3月31日、総持寺貫首(独住第十一世)に就任する。
6月11日、永平寺貫主、鈴木天山禅師が遷化される。
6月28日、大森禅戒禅師、總持寺初入山式を挙げる。
6月28日 永平寺七十世貫首に就任する。
7月17日、永平寺へ初入山式。
   しかし、この後永平寺を下って直ちに、退董する。 HP 「大本山永平寺諸禅師略伝」より
   退董(たいとう):住職が退任すること
 注 15・16年は特に動きが目まぐるしいので精密な調査が必要 20202・8・31 保坂
1942 17 71
1943 18 72 6月17日、此の春より四大不調であったが、回復し、御令妹の葬儀の爲、丸岡町生家八木家に来錫する。
四大不調(しだいふちょう):仏語。四大の調和がくずれ、病気になること。僧の病気にいう。
  四大(しだい):1 仏語。万物の構成要素とされる、地・水・火・風の四つの元素。四大種。/ 2 人間の肉体。
8月、石川県湯涌谷(白雲楼)康楽寺初代住職(開山)となる。
1944 19 73
1945 20 74
1946 21 75 5月、「大乗禅 = The mahayana zen buddhism. 23(1)(249) 」が「中央仏教社(河辺町:秋田県)」から刊行される。pid/7885146
本來の面目 / 原田祖岳 / p3〜3
大乗禪の使命 / 朝比奈宗源 / p4〜6
禪に國境無し / 長尾大學 / p7〜7
禪と民主々義 / 鈴木大拙 / p8〜9
眞の自由と禪--天地の
  →公道主幹/石黒天海/p10〜12
大愚の遷化 / 倉光大愚 / p12〜12
古稀之歌 戯作 / 壬生雄舜 / p12〜12
新世に生く 短歌 / 杉本寛一 / p13〜13
無門關第廿三則
  →不思善惡 / 原田禪岳 / p14〜19

和を以て貴しと為す / 小川煙村 / p20〜23
手紙禪 / p32〜0012
禪のヘ學化 / 安田白牛 / p24〜25

怒是れ何者ぞ / 飯田儻隱 / p26〜28
禪界ニュース / p28〜31
編輯後記 / 飯塚夢袋 / p32〜32
特別社告 / p2〜2
1947 22 76 2月4日、永平七十世大森禅戒禅師が慈照寺隠寮で遷化される。
3月、「大乗禅 = The mahayana zen buddhism 24(4)(257)p3〜3 中央仏教社」に「大森禪戒禪師最後の親簡」が掲載される。pid/7885154
巻頭題詩 / 高橋竹迷 / p1〜1
安住不動の新生活 巻頭言 / p1〜1
梅花禪 / 熊澤泰禪 / p2〜3

大森禪戒禪師最後の親簡 / p3〜3
再建日本と宗ヘ(續) / 角張月峰 / p4〜8
ヘ化面に進出せよ / 永久岳水 / p9〜12
南無阿彌陀佛 / 高島宇朗 / p13〜13
大乘禪の實行と民主々義/安谷白雲/p14〜17
臘八接心の思い出 / 青木心定 / p18〜18
般若心經の註釋 / 芳川祖眼 / p19〜19
俳禪茶話 / 八木泰洲 / p20〜23

無門關卅一則趙州勘婆 / 原田祖岳 / p24〜27
三十棒 禪僧の無學 /伊藤康安/p28〜28
三十棒 街頭進出禪 /島田春浦/p28〜29
婆子燒庵 (遺稿) /飯田儻隱/ p30〜31
禪界ニユース / p32〜33
編集後記 / p34〜34

4月13日 密葬(導師 熊沢泰禅禅師)が行われる。
4月22日、永平寺にて本葬(荼毘式)が行われる。

10月、永平寺機関誌「傘松」復刊第一号(通刊二百号)が刊行される。(参考)
11月、「大乗禅 = The mahayana zen buddhism 24(10)(262) 中央仏教社」に「大森禪戒禪師」のことが特集される。pid/7885160
卷頭題詩 / 無隱禪師
良書と正師を擇べ--讀書週間實施に因みて / 卷頭言
死是れ何物ぞ (遺稿) / 飯田〔トウ〕隱
甲斐の祖曉和上干丈勘破の趣 / 安谷白雲
大森禪戒禪師御傳記
大森禪師を追想する / 高階瓏仙
深重の勝録を喜ぶ / 熊澤泰禪
御親切なるヘ導 / 渡邉玄宗
大森禪師と余 / 孤峰智〔サン〕
大森禪師を憶う / 原田祖岳
五十年の因録 / 立花俊道
五丈原頭明星落つ / 長岡活宗
佛とともに / 今成覺禪
玲瓏富士の如き人 / 高橋竹迷
人間味豊かな禪師 / 今枝法雲
紫衣の禪師を思う / 飯塚夢袋
禪師の遷化に當りて / 大森弘道
慈照寺密葬大導師熊澤泰禪々師香語
康樂寺本葬大導師渡邉玄宗禪師香語
永平寺本山本葬大導師丘球學老師法語
大森禪戒禪師眞影並に筆蹟 (口繪)
禪界ニユース
編集後記 / 飯塚夢袋

1948 23
1949 24
1950 25
1951 26
1952 27 〇この年、笛岡自照が「我等の郷土と人物 1巻 福井県文化誌刊行会」に「大森禪戒」を掲載される。 pid/2974044
題字 永平寺管長 熊沢泰禪
杉田玄白  齋藤靜
松平春嶽  川端太平
間部老中  小林豊次
橋本左内  川端太平
第三章  宗教家
泰澄大師  出雲路康哉
道元禪師  笛岡自照
瑩山  大久保道舟
蓮如  出雲路善尊
釈宗演  古田紹欽
北野玄峯  大久保道舟
大森禪戒  笛岡自照
1953 28
1954 29
1955 30
1956 31
1957 32
1958 33 6月19日、慈照寺山門が山梨県指定文化財となる。
1959 34
1960 35
1961 36
1962 37
1963 38
1964 39
1965 40 5月13日、慈照寺法堂が山梨県指定文化財となる。
1966 41
1967 42
1968 43
1969 44 6月19日、慈照寺文書 16通が山梨県指定文化財となる。
1970 45
1971 46
1972 47
1973 48
1974 49
1975 50
1976 51
1977 52
1978 53
1979 54
1980 55
1981 56
1982 57
1983 58 5月6日、慈照寺庭園が旧竜王町(現甲斐市)の「名勝」に指定される。
1984 59
1985 60
1986 61
1987 62
1988 63
1989 64
1990 平成2年 〇この年、禅文化研究所編「禅僧留学事始」が刊行される。国立国会図書館書誌ID:000002084334
同書には、大森禅戒留学の時の「航海日記」(明治三十七年)、「米国だより一、二、三、四」(明治三十七、三十八年)が禅文化研究所編集発行の「禅僧留学事始」に掲載されている。
             HP 「大本山永平寺諸禅師略伝」より
1991 3
1992 4
1993 5
1994 6
1995 7
1996 8
1997 9 10月、曹洞宗宗学研究所編「曹洞宗宗学研究所紀要. (11)」 が「曹洞宗宗学研究所」から刊行される。 pid/2224566  〔参考〕
『正法眼蔵』における草木国土論(4)
  →特に「百草」について / 粟谷良道 / 1〜15
道元禅師における禅と天台について--特に
 →「身心学道」巻をめぐって / 石島尚雄 / 17〜27
帰山上堂私注 / 岩永正晴 / 29〜41
麟広書写本『瑩山清規』の涅槃講式について/尾崎正善/43〜67
瑩山禅師の坐禅観について(2)
 →『洞谷開山瑩山和尚之法語』を端緒として/宮地清彦/69〜82
『梵網経略抄』の考察(9) / 晴山俊英 / 83〜93
『禅戒教授文略註』について / 佐久間賢祐 / 95〜107

禅籍抄物研究(1)『天童覚和尚小参抄』『疎山大師
  →根脚語訣抄』『十八般妙語抄』 / 飯塚大展 / 109〜207
黙隠祖价の偏正五位説をめぐる諸問題(前)/松田陽志/209〜236
汾陽善昭と五位(1) / 桐野好覚 / 237〜249
『洞上公論』と『公正』 / 熊本英人 / 251〜258
「水子供養」と女性(3)女性の権利と
  →「生命倫理」 / 中野優信(優子) / 259〜281
曹洞宗宗学研究所彙報 / / p283〜290
「坐禅箴」の一考察(下)"作仏"と
  →打ち返し表現について / 下室覚道 / 33〜58
曹洞宗関係文献目録(6) / / p1〜32

1998 10
1999 11 〇この年、明治大正昭和新聞研究会編「新聞集成昭和編年史 昭和22年版 1 新聞資料出版」が刊行、22年2月6日付の項で「大森禪戒師 四八〇」が掲載される。
2000 12
2001 13
2002 14
2003 15
2004 16
2005 17
2006 18
2007 19
2008 20
2009 21
2010 22
2011 23
2012 24 2月、加藤徹編訳「漢詩の絵本 p191 ナツメ社」に「名句(めいく)・名言(めいげん)『天日(てんじつ)に私無(わたくしな)く…』大森禅戒(おおもりぜんかい)」が掲載される。
2013 25
2014 26
2015 27 〇この年、北川利秋著「水源は遙かに」に「まぼろしの大東亜寺」を発表する。(参考)
2016 28
2017 29
2018 30
2019 令和元年 6月、大澤広嗣が戦争社会学研究会編「戦争社会学研究 ; vol.3 宗教からみる戦争 みずき書林 」に「ビルマの独立と仏舎利奉遷 : 桜井兵五郎が構想した大東亜寺」を発表する。(参考)
2020 2
2021 3
2022 4
2023 5
2024 6
2025 7


参考
木喰上人の生涯とその研究史
五十五年後の「長篠之戦五百年祭」に
 
道元さんの年譜
「正法眼蔵諸写本」を調査された團野弘之翁の生涯
團野弘之先生による「正法眼蔵諸写本」、5750本のネガフィルム
『博愛』から読む釋宗演の言葉「道に志せ」

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