参道から見た雄龍籠山


     
    
900メートルも続く長い参道

  神奈川県相模国津久井郡川尻村村社八幡神社見取図
       (明治初期 城山町役場所蔵)
奥に見える杜(もり)は川尻八幡宮、そして、その正面に御神体山の雄龍籠山(おたつごやま)が見えます。昔は、参道の両側に松が植えられていたことから、川尻八幡宮のことを別名「並木八幡」とも呼んでいました。

 広田の田圃より龍籠山を望む

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向って左側・雌龍籠山(めたつごやま)  右側・雄龍籠山(おたつごやま)
資料 皇國地誌 相模國津久井郡川尻村 山  
雄龍籠山
雄龍籠山一名金毘羅山 戌ノ方字龍籠ト本沢ノ境ニ跨(またが)ル高百十九丈三尺(ハロメートル以テ測量以下同シ)山脈申酉ノ方本沢峯ヨリ分岐セル一支脈ニシテ余勢一ハ東方小松川ト穴川トノ間ニ支出シ一ハ東ヨリ漸ク東ニ向ヒ穴川ト本沢トノ間ニ起伏シ南ハ小松川ノ渓澗ヲ隔テヽ雌龍籠山と相對ス山中樹木ナク總テ茅荻ノ叢莽ニ屬ス山東ニ琴平神社アリ社傍ニ一泓ノ清水ヲ湛フ百日旱モ乾涸スルコトナシ云フ小渓東谿間ニ湧出シ東流シテ境川ニ帰ス之ヲ穴川ト云フ(略)
    ※叢莽(そうもう):茂った草むら ※一泓(いちおう):ひとたまりの深くCき水

雌龍籠山
雌龍籠山前龍籠山トモ云フ中澤村ニテハ込田峯ト云フ 西ノ方字龍籠ニアリ高百十五丈六尺嶺上ヨリ両分シテ東ナ本村ニ南西ハ中沢村字禮(小名込田)ニ屬ス山脈西方本沢峯ノ支脈本村ト中沢トノ界小名怒田(ヌタ)打塲ヨリ分岐シ其東スルモノ雄龍籠山を爲シ其東々スルモノ即該山ヲナス余脈東ニ支出シテ村内字久保沢ニ抵(あた)リテ散漫ニ帰シ東ハ本村小松川西南ハ中沢村込田(コンタ)沢ノ渓澗ニ臨(のぞ)メリ本村ノ部内ハ近時小松ノ植付アリ本沢峯ヲ南ノ零度高山前ニアリ ヲ酉四度半六地蔵山一名ハイタキアタマ千木良上椚田界(略)
    ※怒田(ヌタ)打塲となっていた場所は、今の発電所のある辺りで湿地で覆われていたと云う。小松川の源流。

  明治九年調/明治十八年二月稿 總閲 神奈川縣令 沖 守固/編纂 神奈川縣 八等屬 内田赫一郎 
  神奈川縣皇國地誌殘稿(下巻)  昭和三十九年三月発行 編集神奈川県図書館協会 郷土資料編集委員会


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