その後(67年後)の道祖神 
                                              
作成2008・11・14
追加2011・6・16 陽原地区の覆屋を追加

 昭和16年12月、武田久吉博士はアルス社から「道祖神」と云う本を出版しました。相模原市内の道祖神は5例が報告されています。「武田久吉博士からの写真」の項では出版までの経緯や、関わった鈴木重光のことについて紹介してきましたので、ここでは掲載された「5例の道祖神」が、今どんな風になっているかを訪ねてみました。

凡例:@モノクロ写真と濃紺の字は「道祖神」の中の写真と文章をそのまま資料として掲載しました。
    Aカラー写真と黒字の文章は現在の状況です。

三ヶ木(みかげ)の道祖神    撮影2008・11・4
  
相模津久井郡中野町三ヶ木 新宿                 津久井町青山 八阪神社境内
105cm・×57cm
天保十巳亥年正月吉日
 今迄の例は楷書や行書、又は草体であったが、自然石に篆書で道祖神を彫った例を揚げるのも無意義でもなからう。これはこの隣村串川村青山にあるのを真似て書いたものに相違ないことか、年号によって想像できる。即ち青山のものは、天保九戊戌年四月吉日とあって、三ヶ木のものよりも八ヶ月も早く建てられたものである。この二基は共に篆書であると同時に、道字には卜占に用ひられた亀甲文に見るやうな特異性が認められる。


 現状:二つの道祖神はどちらも県道の脇に祀られてあります。道祖神と彫られた部分には赤いペンキが塗られてありました。八阪神社の入口にある道祖神は基壇がなく地面からそのままの状態で立てられてありました。特徴としては祖の部分に男根を思わせる意匠が施されています。



内郷
(うちごう)の道祖神


津久井郡内郷村関口
ca・60cm×36cm
右に正徳六丙申天正月吉日
左に奉造立道祖神成就所
下に施主五六あれども判然せず

 下図は正徳時代のものとしては、甚だ複雑な形式であるのも珍しい。向かって左は女神で、左手を以て男神の腕を擁する以外に何の奇もないが、男神は右手に弓を、左手に沸子(ほっす)を持つ処が奇抜である。「奉造立道祖神成就所」の文字は、庚申塔の影響によるものであること論ずる」迄もなからう。

沸子(ほっす):はえなどを払うために僧の持つ仏具。獣の毛をたばねて柄をつける。「ほっす」は唐音。












 現状:後の石塔に寄りかかるように、斜めになった状態で立てかけられてありました。向かって左側の部分が既に破損しているため奉造立道祖神成就所」と、彫られていた部分は分からなくなっていました。割れた部分からは笹も出ていました。道祖神が割れているため蓮の台座は当時?のまま後に置かれてありました。南側に2体の石造物がありましたが、こちらは簡易的な屋根がかけられてあるので極度な風化もなく良好な状態が保たれています。



陽原(みなばら)の道祖神               撮影2008・11・11 
 今迄の写真では、自然石のみを祀って道祖神としたものとか、又は人口の石像の傍らに自然石を置くものを示したが、自然石の報賽物のある石像が、万が一にも破損乃至は紛失したとすれば、是等の自然石は、直様神体の代理を務め得るものと考えてよいやうである。
 この上図に示すものは、高さ1尺余の安山岩塊である。推測するに昔からの神体といふよりも、報賽物が神体に出世したものと見るべきものであるらしい。




高座郡相模原町田名 陽原 観音前                   上から見たところ
高サ 37cm・周囲77cm

 発見の動機と現状:実はこの道祖神さんを探すのにとても時間がかかりました。「観音」堂が県道を隔てた隣の南光寺の境内にあったこと、また現在はそこが更地となっていた事で探すのに手間取ったことなど。庚申塔や自然石でできた立石のある所(下図)も勿論探していましたがどうしても分かりませんでした。ある日、Yさんに手伝ってもらいました。Yさんはいきなりコンクリートの祭壇(?)に上って溶岩でできている丸石を眺めはじめたのです。「これかな・・・・・」、「あ〜あった・・・・」道祖神はちゃんと横になってありました。私は今までコンクリートの台に上って見たことがなかったのです。
 立ててあった道祖神は何時の頃か横に置かれ、おまけに凹んだところには小さな溶岩石まで置かれてあったのです。いつも気になりながら、なんとなく見ていた石でしたが、まさか上から見てあの「道祖神様」だとは思いませんでした。しかも「女陰石」だったのです。
 いつの頃か分かりませんが、半在家のセイノカミのように多分、自然石でできた男根石と一緒に並んで祀られていたと思います。昭和56年当時は縁に石垣が組まれ塚のように高くなっていた形跡が認められます。
 
                               撮影2008・10・23
 
 庚申塔 正徳元辛卯歳十月五日  自然石でできた「男根石」と横になった「女陰石」

       撮影 昭和57年8月             撮影2011・6・16






相模津久井郡内郷村道志 南
             未調査




















                 撮影2008・11・9
  
高座郡大野村 上鶴間 谷口(ヤグチ)                             参考
63cm×35cm 中央上部に造立
右に道祖神 相ыmタ郡谷口村
左に享保三戊戌年十一月卅日の刻銘あり


 下図は復も相州からの一例であるが、珍しくも相模川以東の地で、境川の西である。左右とも合掌ではあるが、有冠の神像で、向かって左が男神なのもやや珍しく、又神像でありながら、上図と同じく袈裟を掛けている。上部中央に造立の字を見るが、その上に奉の字のあったのが缺損したものと考へられる。


  

 S家の裏側の山肌をくりぬいたようなところに祀られています。道祖神の前には季節の花が手向けられ「お水」の交換用ペットボトルも置かれてありました。コンクリートでしっかりできた祭壇の横には箒と竹棒が置かれてありました。屋根は石垣間に柱を横に置き、厚いベニア板が被せてありました。とてもよく管理がなされ「祈りの場」となっていました。荒れ果てた石造物が多い中で何か救われたような思いになりました。
 直ぐ近くにも同系統の道祖神さんがありましたので参考になさって下さい。


参考
 
津久井町青山 岩の中の道祖神        相模湖町内郷増原の道祖神
                  鈴木重光先生喜寿記念文集 「道祖のこころ」の表紙となった道祖神

 
相模湖町橋沢地区の石造物群        左 霊随上人念仏塔

参考資料 
神奈川県の道祖神調査報告書 神奈川県教育庁文化財保護課 昭和56年3月
道祖神    武田久吉   アルス 昭和16年12月発行
津久井郡文化財ー石造物 編集津久井郡文化財調査研究会 津久井郡広域行政組合 昭和58年9月発行
鈴木重光先生喜寿記念文集 「道祖のこころ」 編集 平井正敏・細野優・佐藤英夫 
  発行者 加藤哲雄  印刷社 みんせい社  発行 昭和39年11月3日
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