その後の道祖神 2 〜鈴木重光さんからの伝言〜 作成2009・1・11
津久井をこよなく愛した鈴木重光は昭和39年、喜寿のお祝いに「道祖のこころ」と云う記念文集を刊行しました。その草稿は現在、津久井郷土資料室に保管されています。またファイルの中には調査のメモ書きも残され直接手にふれることもできます。大護八郎先生との出会いについての資料は未だ見つかっておりませんが、恐らく鈴木重光との出会いがなければ津久井は紹介されなかったことでしょう。「道祖神 路傍の石仏U」が刊行された翌年、鈴木重光は79才の生涯を終えこの世を去りました。 今回取りあげた、相模湖町寸沢嵐・道志地区に伝わる「道祖神の杉小屋づくり」について、鈴木重光も大変興味を持たれておりました。こうした素朴なおまつりが今どのように伝承されているか、その様子を訪ねることにしました。 資料@ 「民俗 第34号」 津久井郡の道祖神雑観 鈴木重光 道祖神碑はどこでも露天にさらされたままのが普通であるのに、相模湖町寸沢嵐道志部落のものだけは、三箇所とも杉葉で簡単な小屋を造ってあり、団子焼きの際焼き払うが、そのあと直ぐに青杉葉で小屋掛けをすることになっている。かく鄭重に扱うけれど、毎年毎年神像も男根石も一緒に焼かれるので、見るも哀れに砕けているのは惜しいものである。 「道祖神 路傍の石仏U」に掲載された 津久井郡相模湖町寸沢嵐・道志地区に伝わる杉小屋 ![]() ![]() この辺りの道祖神像はすべて男根か女陰であり、1月14日の道祖神焼に男根を入れて焼き、 その跡又はその傍らに杉の枝でこうした小祠を作り〆縄等をかけている。 平成21年1月11日、「ダンゴ焼き」と杉小屋づくりの次第 南地区の場合 「道祖神まつり」のことをこの地域では「ダンゴ焼き」と呼んでいます。まつりは早く朝の8時から始まりました。前の年に作った道祖神の杉小屋の杉葉に火がつけられました。そしてその杉葉の火を種火にしながら予め寺の北側に集められた正月飾りの山に火を運びます。枯れた杉小屋の杉葉はパリパリと音を立て正月飾りとともに天高く燃え盛ってゆきました。 火の勢いが落ち着いたところで各家から持ち込まれた木に刺したダンゴを焼き始めました。ここでは子供や女性たちが中心となり「ダンゴ焼き」の行事が進行されて行きます。昔は道祖神ごと小屋に火をつけていたそうですが今は杉葉を種火に今(別)の場所でダンゴを焼くようにしたと云います。 一方、男達はトラックで山に出かけ杉小屋の材料となる杉の枝を運こんで着ました。先ず4本の柱を建て枠組みを作り、それから太陽が昇る東側が正面となるよう庇を作り〆飾りをつけました。次に杉の枝を道祖神が見えなくなるまで北・西・南側の3面に建て掛けました。そして長老が頃合を見ながら植木バサミで杉の葉を刈り込んで小屋の形を整えて行きました。 小屋の大きさを予め物差しで計るわけでもなく、長老を中心に終始なごやかな雰囲気の中で小屋作りが行われました。 初春を呼ぶ素朴な民俗行事。この日、地域みなさんは総出で道祖神まつりに参加されていました。私はこうした伝統行事が何時までも続けられるよう祈る気持ちで一杯でした。「道祖のこころ」、鈴木重光さんはこうしたことを語り継ごうとしていたのではないか、私は帰りの車の中でそんな風に考え、柔らかな春の日差しを胸いっぱいに浴びました。 去年の杉小屋 撮影2009・1・10 撮影2009・1・11 9時15分〜10時頃 ![]() ![]() 相模湖町内郷・道志・南 12人の男達が山から杉の枝を運んだ。 ![]() ![]() 元は下の道路脇にあったが今は集落を見下ろす高台に移した。 総出の杉小屋作り ![]() ![]() 長老が植木バサミで形を整える。 完成 ![]() ![]() 相模湖町内郷・道志・北 相模湖町内郷・増原地区の道祖神 参考 民俗 第34号 神奈川県道祖神特集号 津久井郡の道祖神雑観 鈴木重光 発行 昭和34年3月 路傍の石仏 大護八郎 真珠書院 発行 昭和40年6月 道祖神 −路傍の石仏 U− 大護八郎 真珠書院 発行 昭和41年10月 鈴木重光先生喜寿記念文集 「道祖のこころ」 編集 平井正敏・細野優・佐藤英夫 発行者 加藤哲雄 印刷社 みんせい社 発行 昭和39年11月3日 城山の石仏たち 石仏修復への道 伊奈石のふるさと セイノカミ 赤い石仏・白い石仏 船に乗ったお地蔵さん その後の道祖神 武田久吉博士からの写真 津久井を走る霊随上人 戻る |