加藤武雄と大衆小説 作成 2011・4・19 正直な気持ちで云えば、加藤武雄の書籍が世の中に出ていないことを非常に残念に思っています。芥川龍之介や志賀直哉や島崎藤村と云った小説家の本は本屋さんに行けばいつでも購入することができます。それに引き換え当時の人々に最も愛読されていた、所謂(いわゆる)大衆小説家たちの作品はいったいどこへ行ってしまったのでしょう。 昭和初期に起こった世界恐慌による閉塞感の中で大衆小説が果たした力は、恐らく、はかり知れないものがあったと思います。当時の人々の心を潤おした大衆小説とはどのようなものか。昭和8年、改造社から発行された「日本文学講座 第十四巻 大衆文学篇」の中から、加藤武雄が記述した「家庭小説研究」を基に、当時の読者層がどのような作品を求めていたか、作家の立場から探って見ました。
人気投票の結果と後世の歴史に残そうとする作家との違いに、どこか隔たりのあるようにも思えますが如何なものでしょうか。 勿論、文学的に高い評価を受けた作品ばかりですが、大衆小説家たちのもたらした作品が、当時の人々にどれほどの影響力を与えたか、はかり知れないものがありました。 下記に目次の内容を表記しました。加藤武雄が「作家としてどんなふうに心掛けていたか」を感じ取って戴けたらと思います。尚、紺字の部分は原文で、そのまま掲載しました。加藤武雄は投書時代を経て「文章倶楽部」を創刊させ、昭和11年2月には「小説の作り方」を執筆しました。その巻頭部分に「小説を作る場合の心構へ、手法についてのあらゆる問題に触れ、説き得る限り、これを説いたつもりである。」と記したように、書き手としての心構えを存分に書き記し新たな小説家の誕生を待ちました。 「大衆文学篇」の目次から
資料 加藤武雄が家庭小説に寄せる考え方 A、通俗小説の二つの要素 家庭小説は、通俗小説の一種である。通俗小説のうち、特に、家庭の読物としてふさはしいやうな小説、それを家庭小説と云ふのである。 従って、家庭小説の研究は、先ず通俗小説の研究から出発しなければならぬ。家庭小説とは何ぞや。それに答ふる前に、通俗小説とは何ぞやといふ問ひに答へなければならぬ。 通俗小説とは何ぞや。それは別講に於て詳述せられる筈(はず)であるから、ここに縷説(るせつ)することを止めるが、便宜の為め、一通りざっと説いて置く。 通俗小説は、その言葉の示す通り、通俗を旨(むね)とした小説である。文学に対する特殊教養の無いもの、文学を味ふべく、何の用意をも持たぬ謂(い)はば、文学の素人(しろうと)が、これを読んでも、十分理解し得るやうな、理解して相当の面白味を感じ得るやうな小説である。一口に云へば、何人(だれ)が読んでもわかる、何人読んでも面白い小説である。 通俗小説には、缺(か)く可(べ)からざる二つの要素がある。一つはわかり易い事である。一つは面白いといふ事である。面白いといふ言葉の内容は複雑である。甲が面白いと思ふもの、乙には必ずしも面白くない、乙が面白いと思ふもの、丙には必ずしも面白くない。面白いといふ言葉は、これに対する人の主観によってその内容が決定される。教養の高い人の感じる面白さと、教養の低い人の感じる面白さとでは、その面白さの内容が違ふ。チエホフが面白いといふ人もあれば、デューマが面白いといふ人もある。葛西善蔵の作が面白いといふ人もあれば、久米正雄の作が面白いといふ人もある。何が面白いかは、それを味ふ人の教養の有無や程度によって違ふのである。 通俗小説の面白さは、わかり易い面白さでなければならぬ。教養の低い人でも感じ得る面白さでなければならぬ。小説といふものを初めて読んだ人にも「ああ、面白かった」と感ぜしめるやうな面白さでなければならぬ。 C、救ひのあること 悲惨な事実を描くのは構(かま)はないとしても、どこかに救(すく)ひがなければならぬ。目出度し目出度しのハッピィ・エンドでなければならぬといふのでは無いが、結局に於(おい)て道徳の勝利といふものが歌はれてゐなければならぬ。少なくとも、家庭小説としてすぐれた作、家庭小説として歓迎された作品は、その意味に於て、理想主義の基調に立ってゐるものが多い。 B、同情すべき女性を主人公とせること 「己が罪」にしろ「不如帰(ホトトギス)」にしろ、「無花果(イチジク)」にしろ、皆、その主人公は女性で、しかも、それが非常に読者の同情を惹くやうな性格に描けてゐる---家庭小説の秘訣は実にここにあった。家庭小説の読者が、主として女性である以上、これは当然であらう。「己が罪」の読者は、斉(ひと)しく環(たまき)の数奇なる運命に泣いたのだ。そしてその甘い涙の中から此の作への喝采を送ったのである。 「己が罪」/菊池幽芳 「不如帰」/徳富蘆花 「無花果」/中村春雨 C、解決が与えられてあること 勿論、ここには恋愛もかかれてゐる。しかし、恋愛の描写も、決して性慾の匂ひを帯びたやうなものでは無かった。そして決して単なる恋愛を終始せず、母性の嘆きだの、父子の愛だのがその中に畳み込まれてゐる。又、塚口虔三(げんぞう)のやうな悪人も描いてゐるが、決して徹底した悪人としてはかかれてゐない。最後には悔い改めて眞人間に返せる事で、そこに道徳の勝利が示されてゐる。道徳の勝利といふ事にはっきりと解決づけられてゐて、決して無解決のままに投げ出されてはゐない。そこに、自ら理想主義的な色彩が加はって来てゐる。即ち、「斯(か)くある」といふ事を描いた現実主義(リアリズム)ではなく、「斯くあれかし」と思ふところを描いて、読者を堪能せしむるところの理想主義なのである。「己が罪」にしろ、「不如帰」にしろ、「無花果」にしろ、家庭小説の殆どすべてが、人間の悲痛事を取扱ったものであるが、しかし、最終にはさうした道徳的解決があり、読む者の心に一道の光明がもたらされる。「無花果」の如きは、光明小説の名を以て呼ばれさへした。 必ず解決を与へてやるといふ事は、家庭小説と限らず一般に通俗小説にとっても必須の條件である。問題を投げ出して、解決を読者に任せるというやうなやり方は、より高級な読者を相手の作品にのみゆるされる事なのである。しかし、その解決が、道徳的であり、光明的であり、一般の時代常識によって十分に受け入れられるやうなものでなければならぬ事が大切なのである。 七、結論 家庭小説から社会小説へ-----。 これが通俗小説の動向であることは争はれないが、併し、家庭小説の埒(かこい)を脱する事は案外に困難で、今に尚(な)ほ、社会小説らしいものはあらはれてゐない。要素としてはそれがとり入られてゐるが、基調は依然として家庭小説のそれだ。 この進歩の遲々(ちち)たることをひとへに、作家の疎懶に帰するのは間違ひであらう。多くの読者が未だ家庭小説への愛着を捨て切れずにゐるのである。家庭本位の組織に生きてゐる我々の生活には、家庭対個人、家庭対社会の問題が絶える時は無い。家庭小説は、未だなかなか廢(すた)らないであらうと思ふ。否(いや)、家庭小説は廢るかも知れないが、家庭小説的要素は、いつまでも残って行くことであらう。 参考 日本文学講座 第十四巻 改造社 発行 昭和8年11月 「郷愁の人 評伝 加藤武雄」 安西勝著 昭和54年 現代日本文学史 吉田精一 昭和42年5月 第三版 筑摩書房 大衆文学への招待 ー庶民の中の文学ー 編者荒正人・武蔵野次郎 南北社 昭和34年11月 加藤武雄、「入門百科叢書」に「小説の作り方」を「新潮社」刊行。 加藤武雄の年譜 加藤武雄と一瀬豊・農民文学の扉 教科書に載った加藤武雄 もう一人の加藤武雄・小林愛川 「放浪記」の中の加藤武雄 「二月会」と加藤武雄 加藤武雄様・芥川龍之介からの手紙 加藤武雄の投書時代 戻る |