竹水道があった頃       takesuidou.html
2019・8・26 作成
はじめに
 人々が生きて行くために一番必要なことは水である。町田市相原地区にこんな話が伝わっている。もう昔のこととなったが、「(隣町)原宿には嫁に出すな。」と云われていた。理由は井戸が深いためだ。水汲みは女の仕事と云われ毎日の水汲みは大変な仕事だった。津久井の集落を歩くと、横井戸が残っていたり、コンクリートで出来た枡の跡を見かけることがある。下図の写真は、旧津久井町三井地区のコンクリート枡である。一段高い穴は入水口で、その下層には小さな穴が水平に開いてヒューム管が埋め込まれている。この枡から各家々に大切な水が分配されて行くのである。標題に「竹水道」と名づけたのは、まだ、ヒューム管のなかった頃のことで、竹の節に穴を開け、管にして谷川や湧水池から水を引いたのです。
 私たちは、蛇口をひねると当たり前のように水を利用しているが、昔は大変な作業で、最近のTV「お風呂めぐり」の中で「お風呂いただきます」は、そうしたことに対する感謝の念が込められているように思えてならないのです。
                           撮影 2012・4・21

 旧津久井町三井地区に残っているコンクリート枡の跡

            簡易水道施設一覧表(昭和27年6月現在) 
No 簡易水道組合名 所在地 種類 取入口 集水方法 環境(地形) 消毒設備
新宿 中野町三ヶ木新宿 渓流・湧水 二槽式 土管 雑木山林
中村 中野町三ヶ木 渓流・湧水 鉄管・誘水 雑木山林
野尻 中野町三ヶ木野尻 渓流 設備不十分 鉄管・誘水 山林・畑
又野 中野町又野谷津 渓流 鉄管・誘水 雑木山林
小網 中野町小網 湧水 流れ込み 道路・畑・山林
長竹(石ヶ沢) 串川村石ヶ沢 渓流 竹管にて誘水 竹管にて誘水 道路・山林
鮑子 串川村鮑子山腹 湧水 土管 土管 山地(斜面大木蜜)
串川村鳥屋の境 渓流 コンクリート管 堰式
(土砂コンクリート)
道路・山林
立山 串川村立山山中 渓流 二槽式 竹管 道路・山間・谷間
10 関中央 串川村小池原 渓流 堰式 土管 道路・山間・谷間
11 谷戸 串川村長竹3271 湧水 道路・山間・畑
12 長竹 串川村長竹北尾 湧水 設備不備 竹管にて誘水 山林・畑・道路
13 韮尾根 串川村長竹 渓流 コンクリート枡 鉄管にて誘水 山林・道路・谷間
14 長竹中央 串川村長竹石ヶ沢 渓流 コンクリート枡 鉄管にて誘水 山林・道路・谷間
15 稲生 串川村稲生 湧水 コンクリート枡 鉄管にて誘水 山林・河川・田
16 原沢 串川村韮尾根 渓流 コンクリート枡 竹管にて誘水 道路・畑・山林
17 前戸 青野原村前戸 コンクリート枡 流れ込み 雑木林・谷間
18 梶野 青野原村梶野 渓流 コンクリート樋 竹管にて誘水 山林・道路・谷間
19 青野原 青野原村青野原 コンクリート樋 鉄管にて誘水 山林・道路・谷間
20 長野 青野原村長野 渓流 コンクリート樋 コンクリート樋誘水 山林・道路・谷間
21 東開戸 青野原村東開戸古沢 渓流 コンクリート枡 木樋にて誘水 谷間・丘陵・山地
22 西野々 青野原村猪室沢 渓流 コンクリート枡 コンクリート樋湧水 谷間・丘陵・道路
23 上野田 青根村高瀬の先 湧水
24 奥畑 内郷村大道川上流 渓流 コンクリート枡 暗渠誘水 雑木・山林
25 内郷村上川上流 渓流 堰式(土砂コンクリート) 暗渠誘水 雑木・山林
26 増原 内郷村増原 渓流 堰式(土砂コンクリート) 鉄管 雑木・山林
27 東沼本 内郷村沼本 渓流 堰式(土砂) 鉄管にて誘水 道路・畑・山林
28 横橋 与瀬町小林尾 渓流 堰式 鉄管 雑木・山林
29 岡本 千木良雷岩 渓流 コンクリート枡 林野
30 赤穂馬 千木良村宮の台 渓流 直接竹管送水 竹管にて送水 丘陵・谷間・道路
31 宿 千木良村宿 渓流 三槽式 流れ込み 山林
32 千木良村中央 千木良村三本木 渓流 設備不備 流れ込み 山林
33 小原 子原町入山 渓流 設備不備 コンクリート樋誘水 山林・谷間・道路
34 吉野町新町 吉野町山腹 伏流水 道路下暗渠 鉄管 水源山腹地下
35 吉野町新地 吉野町山腹 伏流水 暗渠 鉄管 水源山腹地下
36 小淵 小淵村下小淵 伏流水 コンクリート枡 竹管にて誘水 道路・山林・谷間
37 関野 小淵村関野1315 伏流水 コンクリート枡 コ字形集水鉄管 崖下・山地・畑
38 大刀 名倉村大刀 渓流 三槽式 コンクリート樋誘水 山間林
39 大久和中尾 牧野村大久和 湧水 埋歿ヒューム管 自然横穴 山崖下・県道
40 牧郷 牧野村大鐘 渓流 コンクリート枡 林野
41 奥牧野 牧野村奥牧野 湧水 コンクリート枡 鉄管にて誘水 山林・谷間・畑
42 舟久保 牧野村舟久保 渓流 道路・畑・山林

  参考    神奈川県知事宛てた当時の陳情書(写)
            陳情書(写)
 日支事変より引続いての長期に亘る人手不足と資材難で、私達の使用している簡易水道は止むを得ず手持の資材を用い、かろうじて維持管理を続けて来ました。 
 しかし終戦後も木材、薪炭、食糧の不足は山林の乱伐開墾となり、特に近時観光地としてハイカー、ハンターの出入りはげしく、私達の生命線たる水道の維持に各種の障碍を来して居ります。
 簡易水道布設の大部分は自然を利用して居るので、林道作業や伐採開墾により土砂泥寧流入し、衛生試験の結果飲用不適と判明されたものが多数あり、これに原因した消火器疾病による死亡も昭和二十五年一二・五%、昭和二十六年七・一%を見、腸管伝染病も年を追って増加の傾向で、誠に憂うべき現況にありなお漸次数を増して居ります。
 酪農家におきましても清潔を必要とする牛乳の容器洗滌にもこの使用水を使用しています。
 このような乳罐に入れて牛乳を都市に輸送するのは食品衛生上大きな問題と思われます。
 以上のような状況でありまして、これ等簡易水道の改補修は一般公衆衛生の見地からも緊急やむを得ない急眉の問題であると思います。
 以上のような状態でありますので、別紙参考資料御参照の上特別の御詮議を賜りたく茲に陳情致す次第であります。
 昭和27年2月24日、津久井にある上記42の簡易水道組合が「津久井郡簡易水道組合連合会」を組織、それぞれの悪条件を打開するために簡易水道設備補助の請願運動を始めました。上記一覧表はその時に作成されたもので、当時の水道事情を今に伝えています。集水方法の項の中には「竹管にて送水」とか「竹管にて誘水と記された箇所があり、水を通すために竹に穴を開けつなぎ、管路にしたことが想像できます。
 ここでの表記は簡易水道組合が組織されているところのみですので、竹水道の実際はかなりの量にのぼると思われます。
 旧城山町中沢地区にも渓流から竹で水を引いた所がありました。私は、そのことを地元の子どもたちに紹介した所、是非その現場を見たいと云うことになり、子供たちと現地見学会を行いました。その後、音楽の授業ではミュージカルとなり津久井音楽祭で上演が行われ、好評を博しました。そのことが更に話題となり、小学校の体育館で町長や父兄を招いてのミュージカルの再演がなされました。水の大切さや竹水道を作る話などを折までた素晴らしいミュージカルでした。
 この項で「竹水道」と名付けられているのは、ミュージカルの台本に記された言葉で、上演される直前までは、その言葉はありませんでした。
 「竹水道」と云う呼び名は子供たちがつくった造語なのです。懐かしい15年くらい前の話でした。

参考資料
津久井郡勢誌(復刻 増補版) 津久井郡勢誌復刻増補版刊行委員会 発行  昭和53年12月

原宿と原宿用水 
城山・津久井の湧水
旧津久井町(旧中野村)の湧水群
馬本の水神さん 
横浜水道はじめて物語
昭和58年当時の相模原事情(快適で住みよいまちづくり)
政令指定都市相模原の誕生と津久井四町の消滅
水源はヤツボ 
安全な水を送り続けています。(旧城山町 小倉橋周辺)

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