竹水道があった頃 takesuidou.html
人々が生きて行くために一番必要なことは水である。町田市相原地区にこんな話が伝わっている。もう昔のこととなったが、「(隣町)原宿には嫁に出すな。」と云われていた。理由は井戸が深いためだ。水汲みは女の仕事と云われ毎日の水汲みは大変な仕事だった。津久井の集落を歩くと、横井戸が残っていたり、コンクリートで出来た枡の跡を見かけることがある。下図の写真は、旧津久井町三井地区のコンクリート枡である。一段高い穴は入水口で、その下層には小さな穴が水平に開いてヒューム管が埋め込まれている。この枡から各家々に大切な水が分配されて行くのである。標題に「竹水道」と名づけたのは、まだ、ヒューム管のなかった頃のことで、竹の節に穴を開け、管にして谷川や湧水池から水を引いたのです。 私たちは、蛇口をひねると当たり前のように水を利用しているが、昔は大変な作業で、最近のTV「お風呂めぐり」の中で「お風呂いただきます」は、そうしたことに対する感謝の念が込められているように思えてならないのです。 撮影 2012・4・21 ![]() ![]() 旧津久井町三井地区に残っているコンクリート枡の跡 簡易水道施設一覧表(昭和27年6月現在)
参考 神奈川県知事宛てた当時の陳情書(写)
ここでの表記は簡易水道組合が組織されているところのみですので、竹水道の実際はかなりの量にのぼると思われます。 旧城山町中沢地区にも渓流から竹で水を引いた所がありました。私は、そのことを地元の子どもたちに紹介した所、是非その現場を見たいと云うことになり、子供たちと現地見学会を行いました。その後、音楽の授業ではミュージカルとなり津久井音楽祭で上演が行われ、好評を博しました。そのことが更に話題となり、小学校の体育館で町長や父兄を招いてのミュージカルの再演がなされました。水の大切さや竹水道を作る話などを折までた素晴らしいミュージカルでした。 この項で「竹水道」と名付けられているのは、ミュージカルの台本に記された言葉で、上演される直前までは、その言葉はありませんでした。 「竹水道」と云う呼び名は子供たちがつくった造語なのです。懐かしい15年くらい前の話でした。
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